第1話
文字数 4,466文字
伊崎は雪山で寒さに歯をガチガチいわせながら歩いていた。
靴はぐちょぐちょに濡れて爪先の感覚が無いし、かれこれ麓からもう一時間も歩いてクタクタだ。
彼は根性無しだった。
会社でも大変な仕事は後輩に全部押し付け、残業は絶対にしない。
昇進試験も勉強するのが嫌だから受けようとしない。
同じ会社に勤めている彼女も同期の仲間もみんな言う。
「もうちょっと頑張って」
すると伊崎は言うのだ。
「無理」
そんな彼にあいそを尽かした彼女に先週、フラれた。
彼女は昇進試験にみごと合格した伊崎の同期に乗り換えたのだ。
伊崎は怒ってなかばヤケになって、死のうとしてこの雪山に来たのだった。
そして三十分もしない内にひどく後悔していた。
ツライ、ツライ、イヤだ、もうやめだ。
元来た道を引き返したつもりだったがどこで間違えたのか、完全に迷ってしまった。
彼はタクシーを呼ぼうとしたが頼みのスマホはつながらないうえに、この山に入ってから人っ子一人あっていない。
「このままじゃ、死んでしまう」
そんな八方ふさがりの伊崎の前に一軒の山荘がその姿を現した。
「ああ、助かった」彼は山荘の玄関に駆け寄ると呼び鈴を押した。
何の反応も無い、もう一度押してみる。
「誰かいませんか?」
家は静まり返ったままだ。
「え~マジで」伊崎は思わず肩を落とした。
どうやら留守のようなので家人が帰って来るのを待つことにした。
でも彼は根性無しだった。
十五分もすると寒さに耐えきれなくなって、なんとか中に入れないかと山荘の周りをウロウロした。
「くそ、どの窓も鍵がかかってやがる。まったくどこに行ってるんだよ。早く帰って来いよ」
ぼやきながら伊崎は玄関の横に置いてある植木鉢を見ていた。
まさか、この下に鍵があったりして・・
大して期待していなかったから下に鍵があった時は小躍りして喜んだ。
「マジで、ほんとマジで」
こうして彼は山荘に入ったのだ。
中に入った彼はまずトイレを拝借した。
「フゥー」
一息つくと図々しく他の部屋を見て回った。
洗面所、キッチン、そしてリビング。
「へぇ、石油ストーブだ。珍しいな」そう言いながらストーブを勝手に点ける。
「ああ、あったかい。生き返るー」
身体が温まると今度は喉の渇きを覚えた。
伊崎はキッチンに行くと冷蔵庫を開けて牛乳を飲みながら「何か食べられる物ないかな」と探し始めた。
昨晩の残り物か、芋の煮っ転がしと切り干し大根があった。
「うーん、微妙」
目ぼしい物が無かったので冷蔵庫の扉を閉めあたりを見渡した。
キッチンの奥にドアがあった。
鍵がついていたのでそれを開けドアを開けるとそこは食糧庫、パントリーだった。
十畳ほどの広さの非常に大きなもので三方の壁には床から天井まで棚が設えてあった。そして どの棚も段ボール箱で埋め尽くされていた。
彼は箱を開けてみた、中身はツナ缶だった。
「すごいな。これ全部食料品か?」
早速、何かつまめるものがないか、探しだした。
「お、魚肉ソーセージじゃん。こっちはサバ缶だ」
彼はソーセージを頬張りながらダンボール箱を開けた。
そして切り餅の箱を開けた時、それを見つけたのだ。
餅の袋の下に隠されていた百万円の札束を・・箱の中に札束は二十個あった。
「なんでこんな所に大金が?」
それにしても植木鉢の下の鍵といい、パントリーの大金といい、いくら山の中で誰もいないからってなんて不用心だろう・・・・
伊崎はそこで気付いた。
山に入ってから誰にも会っていない、ってことは金を持ち逃げしてもバレナイ?
彼は大急ぎで背負っていたリュックに札束を押し込んだ。
その時だった。
「何してるの」大きな声がした。
パントリーの入り口に伊崎をにらみつけている年配の女性がいた。
「あっいや、僕は山で迷っ、ひゃあ」伊崎は悲鳴をあげた。
女性が胸を押さえて突然、倒れたのだ。
「大丈夫ですか?大丈夫ですか?ああ、どうしよう」
スマホで救急車を呼ぼうとしたがつながらないのでパントリーを飛び出てリビングにあった電話の受話器を取った。
あの婆さんが死んだら俺は人殺しになるのか?
金を詰め込んだ重いリュックは足元にあった。
「ああ、どうしよう」
電話を前にして迷っていると
「誰、アンタ。あっ久枝さん」とまたしても大きな声がした。
中谷というその若い女性は看護師だった。
彼女は電話で救急車を呼ぶと心臓マッサージを久枝にほどこし始めた。
伊崎はその横で一部始終を彼女に説明した。ただし金の事は黙っていた。
「ふーん」
「どうもすみません」
「あのさ、あんまり気にしなくていいよ。元々、久枝さん胸が悪かったの。だからあたしが住み込みで二十四時間そばにいたんだから。それに今日だって寒いから心臓に負担かかるから外出しないほうがいいって忠告したのに、買い物がしたいって言いだしたら聞かないんだもん」
「はあ」
その時、外に救急車が到着した。
「アンタ隠れていなよ。話がややこしくなるからさ。あたしは久枝さんに付き添って行ってそれで病死の診断が出たらまた戻ってくるからさ」
「ありがとう、本当にありがとう」彼は感じ入った。
救急隊員が玄関から入って来たので伊崎が慌ててパントリーに身を隠すと中谷はパントリーのドアを閉め鍵をかけた。
隊員は久枝をストレッチャーに乗せ中谷に言った。
「カバンを持って一緒について来て下さい」
「え?」
見ると見知らぬリュックが置いてあった、あの男のものだ。
疑われるとまずい、そう考えた彼女は言われるままにリュックを背負うと救急車に乗り込んだ。
自宅で死亡した久枝の遺体は死亡解剖される事になり中谷も警察官に話を訊かれた。
「住み込みで看護していたんですね」
「はい」
「いつからですか?」
「三年前からです」
「そんなに前から・・大変だったでしょう」
「?」
「いえ、あんな寂しい山の中で」
中谷は思わず笑って言った。「ええ、久枝さんは煩わしい付き合いを嫌がっていたので三年の間、人が訪ねて来たことは一度もありませんでした」
「そうでしたか」
「はい。今日は一緒に買い物に行って家に着いたら突然、倒れてしまって」
「死亡解剖の結果も病死という事でした」
中谷はハンカチで目頭をぬぐうと吹っ切るように
「じゃあ、もう帰ってもいいですか?」と訊いた。迫真の演技だった。
「はい、長い間お引き留めして申し訳ありませんでした」
彼女が帰り支度を始めると警察官は言った。
「すっかり遅くなってしまいましたのでお送りしましょう」
「有難うございます」
「山荘に戻りますか?それとも最寄り駅にしますか?」
彼女はリュックを見た。
さっきトイレに行った時あまりに重くて中をこっそり見てしまった。
二千万円、入っていた。
山荘に戻らなければならない。
パントリーのドアに鍵をかけて来た。戻らなければあの男は死ぬ。
でも戻れば・・・・
このお金が何なのか知らないけど、あの男に返さなければならない。
彼女は考えていた。
腕時計は夜中の一時をさしていた。
パントリーでひたすら伊崎は彼女を待っていた。
「遅い、遅すぎる」
そばにはさっき食べたサバ缶とせんべいの袋があった。
アイツは逃げたんだ、リュックの二千万を持って逃げたんだ。
伊崎は昼間、あの女を良い人だと思って感謝していた自分をぶん殴りたかった。
そして誓った。
こんだけ食糧があればあと半年はもつ、その間には誰かがこの山荘を訪ねて来て俺は外に出れるだろう。
ここを出たらあの女を探して金を取り返してやる。あれは俺が見つけた金、俺の金だ。
伊崎はもちろん知らなかった。看護師の中谷がいた三年間、誰ひとり訪ねて来なかった事を。
彼は床に寝転がるとまぶたを閉じた。
普段なら五分もしない内に高イビキなのだが今日はイライラして寝付けない。
「くそ、寝酒にビールでも飲むか」
立ち上がってビールのダンボール箱を開けている時だった。横の箱の切り干し大根の袋の下にまた見つけたのだ。
札束だった、十束あった。
伊崎には分かった、この大量の食糧の訳が・・・・
多額の金を隠す為だったのだ。
そして血走った目で次々とダンボール箱を開けだした。
三十分後、彼は床に腰を下ろし目の前の五千万円に祝杯をあげていた。
「ハハハ、やった。あの女、ざまぁみろ」
気分が高揚してビールがうまかった。つまみが欲しくなった。
焼き鳥の缶詰をダンボール箱から取り出した。
彼は一瞬、こんなに食べちゃいけないかな、と考えた。
でも伊崎は根性無しだった、自制する事が出来ない。
彼は缶詰を開けた。
それから三カ月後、まだ雪の残った山道を若い男が歩いていた。
三月だというのに山は寒く、そのうえ男は道に迷っていた。
そんな彼の前に一軒の山荘がその姿を現した。
若い男は家に入るとまずトイレを拝借して、次に石油ストーブを点けた。
そしてキッチンに行くと冷蔵庫を開けた。
中の牛乳が腐ってツーンと匂った。
男は顔をしかめると冷蔵庫を閉めてあたりを見渡した。
奥にドアがあった。
男は鍵を開けるとドアを開けた・・・・
「ひゃあ」
山荘に悲鳴が響きわたった。
死体があった。
普段の男なら逃げだしていただろう、でも彼がそうしなかったのは死体の横に札束があったからだ。
彼はコワゴワ死体を見ながら金に近づくと背負っていた自分のリュックに金を詰め込み始めた、その時だった。
「う、うう」
骨と皮のミイラがうめき声を発した。
「うわぁ」
若い男は驚いてしりもちをついた。
伊崎は辛うじて生きていた、ミイラのようになっていたが・・
彼は半年はもつと思われた大量の食糧をわずかに二ヶ月で食べ尽くして、ミイラになってしまったのだ。
「助けて」伊崎は言ったが
若い男の顔は恐怖でひきつっていた。
「助けてくれたらそのお金、全部あげるから」
すると男は恐怖におののきながら、うなずいた。
男は金をリュックに全部詰め込むと体の前にかけた。
「う、重い」五十の札束は重かった。
次にミイラになって全く動けなくなってしまった伊崎を背中に背負った。
糞尿にまみれた伊崎は悪臭を放ち、骨と皮だけなのに重かった。
非常に重かった。
「ううう、重い」
彼は立ち上がり歩き出そうとしたが、余りにも重くて一歩も動けない。
やがて男は言った。
「無理」
そしてリュックと伊崎を床に降ろした。
若い男は根性無しだった。
去年、大学受験に失敗して一年間浪人する事を選んだが、結局少しも勉強しないで今年も全落ちしてしまい死に場所を求めてこの山に来たのだ。
彼はパントリーを出て行こうとした。
伊崎は懇願した。
「少しでいいから頑張って」
若い男は立ち止まり考えていたが、きびすを返すといつになく決意をあらわにした顔で
「少しだけ頑張ってみます」
と言った。
そして伊崎より軽いリュックを持ってパントリーを出て行ってしまった。
靴はぐちょぐちょに濡れて爪先の感覚が無いし、かれこれ麓からもう一時間も歩いてクタクタだ。
彼は根性無しだった。
会社でも大変な仕事は後輩に全部押し付け、残業は絶対にしない。
昇進試験も勉強するのが嫌だから受けようとしない。
同じ会社に勤めている彼女も同期の仲間もみんな言う。
「もうちょっと頑張って」
すると伊崎は言うのだ。
「無理」
そんな彼にあいそを尽かした彼女に先週、フラれた。
彼女は昇進試験にみごと合格した伊崎の同期に乗り換えたのだ。
伊崎は怒ってなかばヤケになって、死のうとしてこの雪山に来たのだった。
そして三十分もしない内にひどく後悔していた。
ツライ、ツライ、イヤだ、もうやめだ。
元来た道を引き返したつもりだったがどこで間違えたのか、完全に迷ってしまった。
彼はタクシーを呼ぼうとしたが頼みのスマホはつながらないうえに、この山に入ってから人っ子一人あっていない。
「このままじゃ、死んでしまう」
そんな八方ふさがりの伊崎の前に一軒の山荘がその姿を現した。
「ああ、助かった」彼は山荘の玄関に駆け寄ると呼び鈴を押した。
何の反応も無い、もう一度押してみる。
「誰かいませんか?」
家は静まり返ったままだ。
「え~マジで」伊崎は思わず肩を落とした。
どうやら留守のようなので家人が帰って来るのを待つことにした。
でも彼は根性無しだった。
十五分もすると寒さに耐えきれなくなって、なんとか中に入れないかと山荘の周りをウロウロした。
「くそ、どの窓も鍵がかかってやがる。まったくどこに行ってるんだよ。早く帰って来いよ」
ぼやきながら伊崎は玄関の横に置いてある植木鉢を見ていた。
まさか、この下に鍵があったりして・・
大して期待していなかったから下に鍵があった時は小躍りして喜んだ。
「マジで、ほんとマジで」
こうして彼は山荘に入ったのだ。
中に入った彼はまずトイレを拝借した。
「フゥー」
一息つくと図々しく他の部屋を見て回った。
洗面所、キッチン、そしてリビング。
「へぇ、石油ストーブだ。珍しいな」そう言いながらストーブを勝手に点ける。
「ああ、あったかい。生き返るー」
身体が温まると今度は喉の渇きを覚えた。
伊崎はキッチンに行くと冷蔵庫を開けて牛乳を飲みながら「何か食べられる物ないかな」と探し始めた。
昨晩の残り物か、芋の煮っ転がしと切り干し大根があった。
「うーん、微妙」
目ぼしい物が無かったので冷蔵庫の扉を閉めあたりを見渡した。
キッチンの奥にドアがあった。
鍵がついていたのでそれを開けドアを開けるとそこは食糧庫、パントリーだった。
十畳ほどの広さの非常に大きなもので三方の壁には床から天井まで棚が設えてあった。そして どの棚も段ボール箱で埋め尽くされていた。
彼は箱を開けてみた、中身はツナ缶だった。
「すごいな。これ全部食料品か?」
早速、何かつまめるものがないか、探しだした。
「お、魚肉ソーセージじゃん。こっちはサバ缶だ」
彼はソーセージを頬張りながらダンボール箱を開けた。
そして切り餅の箱を開けた時、それを見つけたのだ。
餅の袋の下に隠されていた百万円の札束を・・箱の中に札束は二十個あった。
「なんでこんな所に大金が?」
それにしても植木鉢の下の鍵といい、パントリーの大金といい、いくら山の中で誰もいないからってなんて不用心だろう・・・・
伊崎はそこで気付いた。
山に入ってから誰にも会っていない、ってことは金を持ち逃げしてもバレナイ?
彼は大急ぎで背負っていたリュックに札束を押し込んだ。
その時だった。
「何してるの」大きな声がした。
パントリーの入り口に伊崎をにらみつけている年配の女性がいた。
「あっいや、僕は山で迷っ、ひゃあ」伊崎は悲鳴をあげた。
女性が胸を押さえて突然、倒れたのだ。
「大丈夫ですか?大丈夫ですか?ああ、どうしよう」
スマホで救急車を呼ぼうとしたがつながらないのでパントリーを飛び出てリビングにあった電話の受話器を取った。
あの婆さんが死んだら俺は人殺しになるのか?
金を詰め込んだ重いリュックは足元にあった。
「ああ、どうしよう」
電話を前にして迷っていると
「誰、アンタ。あっ久枝さん」とまたしても大きな声がした。
中谷というその若い女性は看護師だった。
彼女は電話で救急車を呼ぶと心臓マッサージを久枝にほどこし始めた。
伊崎はその横で一部始終を彼女に説明した。ただし金の事は黙っていた。
「ふーん」
「どうもすみません」
「あのさ、あんまり気にしなくていいよ。元々、久枝さん胸が悪かったの。だからあたしが住み込みで二十四時間そばにいたんだから。それに今日だって寒いから心臓に負担かかるから外出しないほうがいいって忠告したのに、買い物がしたいって言いだしたら聞かないんだもん」
「はあ」
その時、外に救急車が到着した。
「アンタ隠れていなよ。話がややこしくなるからさ。あたしは久枝さんに付き添って行ってそれで病死の診断が出たらまた戻ってくるからさ」
「ありがとう、本当にありがとう」彼は感じ入った。
救急隊員が玄関から入って来たので伊崎が慌ててパントリーに身を隠すと中谷はパントリーのドアを閉め鍵をかけた。
隊員は久枝をストレッチャーに乗せ中谷に言った。
「カバンを持って一緒について来て下さい」
「え?」
見ると見知らぬリュックが置いてあった、あの男のものだ。
疑われるとまずい、そう考えた彼女は言われるままにリュックを背負うと救急車に乗り込んだ。
自宅で死亡した久枝の遺体は死亡解剖される事になり中谷も警察官に話を訊かれた。
「住み込みで看護していたんですね」
「はい」
「いつからですか?」
「三年前からです」
「そんなに前から・・大変だったでしょう」
「?」
「いえ、あんな寂しい山の中で」
中谷は思わず笑って言った。「ええ、久枝さんは煩わしい付き合いを嫌がっていたので三年の間、人が訪ねて来たことは一度もありませんでした」
「そうでしたか」
「はい。今日は一緒に買い物に行って家に着いたら突然、倒れてしまって」
「死亡解剖の結果も病死という事でした」
中谷はハンカチで目頭をぬぐうと吹っ切るように
「じゃあ、もう帰ってもいいですか?」と訊いた。迫真の演技だった。
「はい、長い間お引き留めして申し訳ありませんでした」
彼女が帰り支度を始めると警察官は言った。
「すっかり遅くなってしまいましたのでお送りしましょう」
「有難うございます」
「山荘に戻りますか?それとも最寄り駅にしますか?」
彼女はリュックを見た。
さっきトイレに行った時あまりに重くて中をこっそり見てしまった。
二千万円、入っていた。
山荘に戻らなければならない。
パントリーのドアに鍵をかけて来た。戻らなければあの男は死ぬ。
でも戻れば・・・・
このお金が何なのか知らないけど、あの男に返さなければならない。
彼女は考えていた。
腕時計は夜中の一時をさしていた。
パントリーでひたすら伊崎は彼女を待っていた。
「遅い、遅すぎる」
そばにはさっき食べたサバ缶とせんべいの袋があった。
アイツは逃げたんだ、リュックの二千万を持って逃げたんだ。
伊崎は昼間、あの女を良い人だと思って感謝していた自分をぶん殴りたかった。
そして誓った。
こんだけ食糧があればあと半年はもつ、その間には誰かがこの山荘を訪ねて来て俺は外に出れるだろう。
ここを出たらあの女を探して金を取り返してやる。あれは俺が見つけた金、俺の金だ。
伊崎はもちろん知らなかった。看護師の中谷がいた三年間、誰ひとり訪ねて来なかった事を。
彼は床に寝転がるとまぶたを閉じた。
普段なら五分もしない内に高イビキなのだが今日はイライラして寝付けない。
「くそ、寝酒にビールでも飲むか」
立ち上がってビールのダンボール箱を開けている時だった。横の箱の切り干し大根の袋の下にまた見つけたのだ。
札束だった、十束あった。
伊崎には分かった、この大量の食糧の訳が・・・・
多額の金を隠す為だったのだ。
そして血走った目で次々とダンボール箱を開けだした。
三十分後、彼は床に腰を下ろし目の前の五千万円に祝杯をあげていた。
「ハハハ、やった。あの女、ざまぁみろ」
気分が高揚してビールがうまかった。つまみが欲しくなった。
焼き鳥の缶詰をダンボール箱から取り出した。
彼は一瞬、こんなに食べちゃいけないかな、と考えた。
でも伊崎は根性無しだった、自制する事が出来ない。
彼は缶詰を開けた。
それから三カ月後、まだ雪の残った山道を若い男が歩いていた。
三月だというのに山は寒く、そのうえ男は道に迷っていた。
そんな彼の前に一軒の山荘がその姿を現した。
若い男は家に入るとまずトイレを拝借して、次に石油ストーブを点けた。
そしてキッチンに行くと冷蔵庫を開けた。
中の牛乳が腐ってツーンと匂った。
男は顔をしかめると冷蔵庫を閉めてあたりを見渡した。
奥にドアがあった。
男は鍵を開けるとドアを開けた・・・・
「ひゃあ」
山荘に悲鳴が響きわたった。
死体があった。
普段の男なら逃げだしていただろう、でも彼がそうしなかったのは死体の横に札束があったからだ。
彼はコワゴワ死体を見ながら金に近づくと背負っていた自分のリュックに金を詰め込み始めた、その時だった。
「う、うう」
骨と皮のミイラがうめき声を発した。
「うわぁ」
若い男は驚いてしりもちをついた。
伊崎は辛うじて生きていた、ミイラのようになっていたが・・
彼は半年はもつと思われた大量の食糧をわずかに二ヶ月で食べ尽くして、ミイラになってしまったのだ。
「助けて」伊崎は言ったが
若い男の顔は恐怖でひきつっていた。
「助けてくれたらそのお金、全部あげるから」
すると男は恐怖におののきながら、うなずいた。
男は金をリュックに全部詰め込むと体の前にかけた。
「う、重い」五十の札束は重かった。
次にミイラになって全く動けなくなってしまった伊崎を背中に背負った。
糞尿にまみれた伊崎は悪臭を放ち、骨と皮だけなのに重かった。
非常に重かった。
「ううう、重い」
彼は立ち上がり歩き出そうとしたが、余りにも重くて一歩も動けない。
やがて男は言った。
「無理」
そしてリュックと伊崎を床に降ろした。
若い男は根性無しだった。
去年、大学受験に失敗して一年間浪人する事を選んだが、結局少しも勉強しないで今年も全落ちしてしまい死に場所を求めてこの山に来たのだ。
彼はパントリーを出て行こうとした。
伊崎は懇願した。
「少しでいいから頑張って」
若い男は立ち止まり考えていたが、きびすを返すといつになく決意をあらわにした顔で
「少しだけ頑張ってみます」
と言った。
そして伊崎より軽いリュックを持ってパントリーを出て行ってしまった。