親友

文字数 4,744文字


僕には親友がいる。
学院に入ってからの、はじめての友達であり、親友だ。
彼も僕を親友と呼ぶ。周囲からも他の友人からもそう思われている。


「今日からキミとは親友だ。
仲よくしよう」


初めて言葉を交わしたその日、親友はそう言った。その日から先は友達になった。
出会ってから一年に満たない短い関係性だが、確かにその密度はかつての交友関係に比べても睦まじい。
別に僕にはその気はないが他の女生徒からは邪な目を向けられる事もある。
迷惑な話だが。

周囲も僕らを親友だと認識しているし、僕らも周囲と同じくお互いとをを親友だと思って憚らない。
この関係は、少なくとも学院にいる限り続くものと誰もが思っている。

ただ。きっと僕だけはその関係に、思う所がある。と告白できる。

何故か。
それは親友だけが知っている。



昼休みのこと。
学院の中庭にてお決まりの場所で過ごす日常の一幕。


「きょうは、暑いね。
どうしてだと思う」


今日とて通路傍のベンチで管を巻く。惚けた顔で空を仰ぐ。
一部女生徒からミステリアスだと評判の横顔だが、僕はこれが特に意味のない堕落だと云う事を知っている。

とはいえ、今日に限ってはそれも仕方がない。夏日を想わせる陽射しと吹き出す様な汗。他の生徒らも早々に退散し、中庭は僕らの貸切状態と化している。

僕も他の生徒らと同じく涼しい学舎へ退散すればいいものを、なぜかこうして付き合っていた。


「夏はとうに過ぎた筈だ、なのに。
どうしてこう、暑いのかと。
キミに聴いているのだが」


脚を放り出して背もたれに体重を預ける。普段の優等生らしからぬ、彼の堕落振りは熱を上げる女生徒たちから見たらどう映るのか。
あまりのはしたなさに失望するのか、あるいは此れも新たな一面だと歓迎するのか。僕はと言えば。


「つれないなキミは。もう少し気の利いた返しをしてくれたところで……」


くだらない親友の問いにくだらない回答をする。そんな常識人で在りたいとそう想うのだった。



人によってはこれが十年来の遣り取りに観えるかもしれない。
しかし実の処、学院で会って以来凡そ半年の関係になる。気の置けない友人と云うよりか悪友と呼ぶべきか。



親友は学院内でも有名な生徒だった。何しろ成績優秀、眉目秀麗、才色兼備の麗人と来れば目立たない訳がない。
入学後、親友は瞬く間に学院内で一目置かれる重要人物となっていた。誰もが親友に対し羨望し、そして期待していた。

対して僕は、学院内では埋もれた逸材だった。親の縁と多少良好な成績に支えられた、なんて事のない平凡な生徒だった。
出会いの一件以来、僕は親友の隣に在って常に日陰に居た。言って仕舞えば僕は親友の引き立て役に等しかった。


「しかし不思議なものだ。
雨が降れば屋根に隠れ、腫れも過ぎれば屋内に逃げる。
かといって空が曇れば晴れないものかと天気を憂う。
一体、彼らにとって都合のいい天気というものは何なのだろうな?」


考えてもみれば、それは悪い事ばかりでは決して無かった。何しろ厄介ごとは全て親友が引き受けてくれる。

優等生であると同時に悪童とも知られる親友と行動していれば大抵の疑いなどは其方の方に傾く。
日常的な悪戯や教諭に対する反抗や犯行は日常茶飯事、しかも表向きの生活態度や何より成績自体が優秀なのだから尚のことタチが悪い。

生徒たちからは学院始まって以来のトリックスターと、教諭らからは目の上の大タンコブと大いに衆目を集めている。
なので強い光に掻き消される様な形で僕の注目は、目にも留まっては居なかった。


「まァそんな事はどうでもいい。
肝要なのは、如何なのかでなく如何する可きかだ。
キミは間抜けなようでいて其の実強かだ。そんな処が嫌いになれない」


茶化したみたく彼は言う。こう言う時の親友は努めて冷静だ。
きっとこの手口で何人もの婦女子を勾引かしてきたのだろう、強かさが伺える。

そんな処が、僕は好きになれなかった。





午後の授業が始まる。
黒板に拡げた数式と淡々と続く講義のなか、それを囲う様に鉛筆をなぞる固い音が三方から聴こえる。
教諭の一言一句に耳を傾け、黒板の細々とした文字の羅列をノートに書き込む。昼休みを終え、午睡の誘惑が彼らを襲う。それを跳ね除け誰もが修行僧の如く勉学に励んでいた。

しかし其の中に在って。ひとりだけが退屈を噛み締めて居た。
既に概ねを書き込み、頬杖を突いては左手に筆を遊ばせて居る。
皆目の前の一事に注視して居るからと、さぼりを決め込む他称優等生が居た。


「なんだい。分からないのであれば、そこの唐変木に訊けばいいじゃないか」


友人のよしみで突いてみれば、こんな調子だ。隠れて見えないが上履きも放って居るのだから油断も過ぎる。
教鞭を執る教諭に対して唐変木とは肝の据わった学生だった。


「いいじゃないか。どうせ聖職は高給取りと相場が決まってる。
決められた文言を決められた音程で話すだけの九官鳥だ。少しばかり目溢しを貰ったところで曲調に狂いはあるまい」


なるほど。確かにその言い分はもっともだ。それが日常茶飯事の事でなければ、の話だが。


と、隣席から手紙が巡って来る。宛先は分かって居るので下手に届ける。


「……ああ。彼女からか」


見れば向こうの方で小さく女生徒が手を振って居る。
だが誰も気付こうとしないし誰もそれを指摘しない。所謂親友と彼女は公然の秘密と化していた。


「キミ。放課後は空いてるか」


教諭の講義と鉛筆の硬質な調べに紛れる様にして親友は訊いた。


「頼みたいことがある」


そう切り出すと僕の予想通り、慣習通りこんな事を切り出して来た。


「助かる。持つべきものはやはり友だ」


何時もの様にそれに承諾すると親友は口ほどにもない事を言う。

返事の手紙が向こうの彼女に届く頃、教諭が親友に問題を指して彼は予め宛てがえた答えをつらつらと返しては、賞賛されていた。





放課後。
日も落ちて生徒たちも寮に戻り夕食をも済ませた頃。手筈通りに寮を抜け出しては夜回りの目を潜り抜けて、学舎裏の倉庫辺りに忍び込む。


「わかっていると思うがキミは偶然此処に居合わせた。
今日の事は何もしらない、いいね?」


互いに事実を擦り合わせ所定の位置に陣取る。毎度の如く彼は表に、僕は裏手に。
何しろこれは密会だ。誰に知られる訳にもいくまいし、夜回りの目に留まれば大目玉だ。

規律違反は厳罰ともなり得る。故に上手く事を為すには共犯者が要る。


そこに憚る様にして人影がひとつ。裏手からはうまく識別できないが。


「きたか」


僅かな月明かりを頼りに見れば、女生徒がひとり歩いて来る。
夜回りを警戒してきたのか寮の方ではなく裏門の辺りから来ていた。


「こんばんは。こうして会おうだなんて、少しばかり気障だったかい」


親友と二人きりという状況で顔を上気する女生徒。口調も何処か緊張して固い。

裏手から辺りを見渡す。虫の声と猫以外、何もない静かな夜だった。


「もちろんさ。誰よりも愛しているよ。
この学院から出たら結婚も考える程に」


口許を抑ぐ女生徒、爽やかに微笑う親友。それを冷ややかに見守る僕がいた。


「だからもう少しだけ待っててほしい。いつかきっと幸せにしてみせる」


幾許かの時間の密会は熱烈な抱擁を頂点にして円満に終了した。

去り際、すれ違い様に女生徒は僕に自慢げな表情を一瞬だけ見せたが、僕には甚だ見当違いの道化にも観えていた。







「きたか」


そこに憚る様にしてひとつ。女生徒がやはり歩いてくる。


「こんばんは。今日はこの瞬間の事をずっと考えていたよ」


彼と再会し歓喜の声を上げる女生徒。それに取って付けた気障な台詞を続ける。


「他の誰よりも深く愛している。この学院を出たら結婚でも考えよう」


学院を卒業すれば、果たして彼は何人の婚約者と神前を潜るのだろう。尤も、その約束が果たされればの話だが。


「だからもう少しだけ待っててほしい。いつかきっと幸せにしてみせる」


いつかときっとは出逢った事がない。







この奇妙な共犯関係に陥ったのは凡そ半年前のこと。
まだ僕と親友とが親友でなかった頃。親友がまだ良くも悪くも有名になる前の話である。

試験を控えたある日。僕は少々難儀な疑惑に晒されて居た。
元々、僕という人間は余り学習力がお世辞にも良いとは言えない、この学院にも商家である親の縁を使って入学したものだ。何年か我慢して、優秀でなくとも卒業さえすれば息苦しい学舎ともおさらばできる。

思っていた矢先の事だった。

試験の解答が流出し、剰えそれが僕の主犯であるとの嫌疑が掛けられたのだった。


もとは些細な手違いからだった。
ある日の日直の生徒が偶然にも今度の試験の下書きを入手してしまい、清書に掛けられる前にそれに気付いた教諭のひとりが、同様の手口で他の教科の問題をも流出させていた。
というあんまりな糾弾が何を隠そうこの僕に突き付けられて居たのだ。


当時の学舎は新体制ともあり多少の混乱が見受けられたが、それを無しにしてもたかだか当日の日直をしていただけだ。それを可能だというだけで、理不尽な弾劾を受けていた。

反論の余地はあったと言えばあった。しかし言えば形だけの体裁で、嫌疑を掛けられた僕の立場は不在裁判が如く、一方的に秩序立って、朗々と進められた。


「待ってください。その話、心当たりがあります」


鶴の一声だった。
極めて個人的な遣り取りだっただけに反証者はただ一人だった。


「確かに当日のことはよく覚えています。あれはたしか」


渡りに船とも言うべきか、その生徒は次々と身の潔白と嫌疑の不当さを証明してくれた。


同い年の若造に権威を纏った教諭が言い包められるのは痛快で、頼もしかった。

結局、後日になって原本が見付かった事から疑いも無事晴れ、僕の潔白は証明されたのだ。


「当然のことをしたまでさ。別に君でなくても同じ事をしていた」


謙遜するでもなくその生徒は告げる。
僕としては示しが付かないので何かお礼が出来ないかと、そう尋ねると。


「うん。
なら一つだけお願いしたい事がある」


お願いは至極単純な事で、いまの僕には容易い事だった。


「よかった。折角の機会だ。お礼も無いままではお互いあと味も悪かろう」


お互いに笑って約束を交わす。
去り際に一言。


「今日からキミとは親友だ。
仲良くしよう」


この日から親友との奇妙な友情が始まったのだった。







試験の結果が張り出される。

数多くの視線が追う中で、親友の名前が一番に上がる。
誰もが親友を讃え羨望を向けるその傍で、僕の名前が何人かの中に紛れている。


「当然の結果だよ。
キミの努力の結果だ、これは」


隣で親友が満足げに微笑う。親友を見詰める女生徒もまたその横顔を追う。

親友と僕との奇妙な友情は学院を出るまでは続くだろう。


「真に信頼するのは友だ。友情というものはいつだって美しく気高いものさ」


親友は嘘しか言わない。きっとこの先もそうして生きて行く。

それを悪だとは云うまいが。


「だからキミとは信頼できる。
何故なら」

僕たちは、親友だから。



親友 了
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