第1話

文字数 3,458文字

 ――今日は夜も晴れるらしいよ。
 卒業式の途中、真昼の雲一つない空を見て、くじらが言った。
 私は「夜も晴れる」と言ういい方をするやつをこいつしか知らない。
 ただ、私たちの中でそれは合言葉で、集合の合図だった。

 とうの昔に建物としての役目を終えた、廃ビルに入る。錆びきって、すぐに崩れてそうならせん階段を登りきると、そこにはもうくじらがいた。
「遅いよ、打ち上げ?」
 くじらは、ヘッドフォンをとって言った。隣には、大きな天体望遠鏡がある。そのとおり、私は卒業式の打ち上げの帰り、制服で、まだ卒業証書も持っている。
「そーだよ。あんたはそんなことなかったみたいね」
「当たり前じゃん。・・・・・・いさが来るの遅れたから、うお座、見逃した」
 ばっちり私服のくじらは、望遠鏡をいじりながらくじらは言った。
「ごめんってば。これでも夜ご飯後のカラオケからは抜けてきたの」
「友達付き合いも大変だね。アンドロメダ座、見れるかな」
 私には全く扱い方の分からない、望遠鏡をくじらは操作している。
 くじらは集中していて話さない。私もただぼーっと、くじらの指先を見ている。
 私とくじらの関係性は、よくわからない。恋人ではない。友達、にしては浅すぎる。かと言って、星好き仲間、というわけでもない。くじらのせいで、星について人並みよりかは知っているけれど、星好きと名乗れるほどじゃない。
 こんなふうに夜に星を見るようになったきっかけは、席替えで席が近くなって、話したから。星の図鑑を広げていたくじらに、そのときたまたまニュースでしし座流星群のことを聞いた私が、「今日、流れ星見えるんだってね」としゃべりかけた。くじらはそのときも、「今日は夜も晴れるらしいよ」と言って、「しし座流星群がみたいなら、商店街の裏の廃ビルに来て」と続けた。クラス替えの後から、ずっと一人で行動しているくじらに興味を持った私は、その日、今日と同じ廃ビルに行った。その日もくじらは、大きな天体望遠鏡と一緒に屋上にいた。二人でその日はしし座流星群を見た。それから、くじらは私をたまに誘ってくれる。
「はい、どうぞ。アンドロメダ座」
 くじらが望遠鏡の前を私のために開けてくれる。いつまで立っても、天体望遠鏡の厳かさは消えない。そぉっと、レンズを覗き込む。
「見えた?」
「見えてる見えてる。綺麗だね。アンドロメダの形はわからないけど」
「霞んでる黄色いやつがM31っていうアンドロメダ銀河のこと」
「銀河なの、すごいね。太陽系みたいなやつが見えてるのね」
「ちゃんと見た? 見たなら変わって。次、ペルセウス座」
「初めて聞く星座」
「あんま聞かないかもね。いさがカシオペヤ座みつけるのと、勝負ね」
「ごめんけど絶対負けるよ」
 カシオペヤ座は学校でも習ったから、場所は分かる、はず。北極星の近くにあったと思うから、北極星を探して、その周辺にある、Mみたいな星たちを探せばいい。まあ、私には北極星を探すので一苦労だけれど。
「時間切れ。はい、ペルセウス座」
 北の空とにらめっこしていた私はおとなしく、望遠鏡の方へ行く。
「見える?」
「星は見える」
「黄色と青の星つなげば、ペルセウスっぽくなるよ」
「なるほど、星座を考えた人の発想力に感動してる」
「それは僕もそう。ちなみに、ペルセウス座は変光星のアルゴルがみどころかな」
「その星、有名なの?」
「光の大きさが変わるんだ」
「へぇ、よくわからないけど、すごい星ってことね」
「そう思ってていいよ。次の星」
「今日はペース早いね」
「秋の星座が多いんだ、もうすぐ見えなくなる」
「春の星座でも私はいいよ。春の星座で何か教えて」
「今日、いさに見せたい星座が秋の星座ばっかなんだよ。ほら代わって」
 私は少し驚いた。くじらは自分の見たい星を、私にも見せてくれているだけだと思っていた。
「はい、これ見て」
 私は望遠鏡を覗き込む。星が見える。
「これは何? 星座? 銀河?」
「星座。何座だと思う?」
「私には、残念ながら星座を考えた人みたいな発想力がないんだけど」
「正解ほしい?」
「ほしい。どの星をつなぐと見えるかも教えてね」
「それ、くじら座」
「・・・・・・へぇぇえ、あんたの名前の」
「そういうこと」
「どこがくじらなのか全く分かってないけど」
「神話上のくじらだから、いさの思ってるくじらじゃないよ」
「・・・・・・めずら」
「くじら座の神話聞かない?」
 私は驚いて、望遠鏡から目を離した。くじらは、まっすぐに私を見ていた。
 くじらはそういう類の話が嫌いなんだと思っていた。今まで、星座の神話なんて話されたことがなかったし。
 驚いた私を気にすることなく、くじらは話し始める。
「カシオペヤは娘のアンドロメダを溺愛してた。それであるとき、『娘のアンドロメダは海の神たちより美しい』といってしまって、海の神の怒りを買った。海の神の怒りで、化けくじら、妖怪ケートスが海で暴れだした。それをしずめるには、アンドロメダを生贄にしないといけなかった。アンドロメダは生贄になった。けど、たまたまメドゥーサを倒した帰りの英雄ペルセウスが、メドゥーサの首をくじらに見せて、くじらを倒した。ペルセウスとアンドロメダは結ばれた。くじら座のくじらは、その化けくじら、妖怪ケートスがモデルだと言われてる」
「・・・・・・今日の星たちは、全部神話のなのね」
「そうだよ」
 くじらは夜空を見ながら、淡々としゃべっている。
 別に、私たちは付き合ってるわけでも、なんでもない。けれど、まあまあ長い間一緒に星を見てきた。
「くじら、話したいことあるなら話していいよ」
「・・・・・・ありがとう」
 かすかに笑って、くじらは話し始めた。
「進学するとこ、第一志望で決まった」
「そうだったんだ、おめでとう」
「ありがと。進学先、教授がいるところにいけるんだ」
「そうなの!」
「うん。教授は僕のことを覚えていないと思うけど、教授がいたおかげで僕は星を見れたから」
 くじらは、静かに笑みを浮かべている。
 星を一緒に見るようになってすぐのころ、くじらがすごく喜んでビルに来たことがある。くじらが細々とつけていた星の観察についてのブログを、ある有名な大学の教授が見て、星の観察のアドバイスをくれていた。そのときのくじらの喜びようはよく覚えている。そのブログで使っていた名前が「くじら」だったから、私はくじらを、くじらと呼ぶようになった。
「もちろん、いつ教授の授業が受けれるかは分からないんだけど」
「それでもすごいよ、おめでとう」
「うん、でも」
「分かってる」
 私も、くじらにアドバイスをくれた教授と言うのが気になって調べたことがある。だから、知っている。教授が務めている所はここからすごく遠いこと、ここから出なきゃいけないことくらい。
「ごめん、なのかな。僕がいさに星を見せられるの今日が最後だから」
 くじらは夜空を見ている。この空はくじらにはどのように見えているのだろう。
「謝る必要はないでしょ」
「いさが星を見るの楽しみにしてたか、僕にはわからなかった。でも、僕はいさと過ごせて楽しかった」
 そう言って、くじらは立ち上がった。
「ちなみに今日は〝ミラ〟が極大。次、二等星になるときに見れたらいいね」
 そういってくじらは、望遠鏡を抱えて、ビルを降りていった。
 私はビルに一人残った。一人で夜空を眺めるのは、久しぶりだ。
 くじらと出会うまで、ただ星が光っているだけだった夜空は、今、たくさんの何かを持っている。さっきは見つけられなかった、北極星と、北斗七星。その横のカシオペヤ座。少し前に教えてもらった、冬のダイヤモンド。今日知ったペルセウス座、アンドロメダ座、そしてくじら座。
 懐かしくて、寂しいような、そんな気持ちを感じている。別に、くじらと何か秘密を共有したり、何か特別に悩みを語り合ったりしたこともない。
 でも、私はよりどころが一つなくなることに、少し泣いた。

 ――ちなみに今日は〝ミラ〟が極大。次、二等星になるときに見れたらいいね。
 その言葉を、夜空を見るとよく思い出す。
 ミラは変光星。約一年をかけて、二等星から十等星まで、見かけの光を変える。
 今日はまた、ミラが二等星になるはずの日だ。
 これが私の思い過ごしだったらどうしよう。そもそも二等星になる日は今日なのだろうか。でももう、くじらが屋上にいなかったらそれはそれでいいと思った。
 私は小さな望遠鏡を抱えながら、ビルの階段を登り始めた。

                                  終

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