第14話 心形刀流 伊庭想太郎
文字数 685文字
肉親の人生が鮮やかであるほど
その身内は苦労するものらしい
これは
そんな男の話・・・
心形刀流 伊庭八郎の生涯は確かに鮮やかであった。
伏見 上総 沼津と転戦するにつれ、幕軍遊撃隊 伊庭八郎の名は
官軍中に知れ渡った。
そして
明治2年ーーー
伊庭八郎の言ったとおり
彼は函館で戦死し
榎本武揚は官軍に投降する
歴史の機微というか、後年 榎本が東京農学校(現東京農業大学)を創設したとき
伊庭想太郎は、校長に迎えられたのである。しかも生徒が集まらないといって、榎本は
学校運営から、手を引いてしまった。
兄のように
鮮やかに生きたい
伊庭想太郎のなかで
その思いは一層強くなった・・・
そして
明治34年ーーー
伊庭想太郎は、白昼、東京市参事会議事室で
元逓信大臣
大学の学長だった人物が、テロリストになった例は
たぶんこの男だけだろう・・・・・
参考文献 柴田錬三郎「心形刀」 山田風太郎「人間臨終図鑑」