第1話

文字数 1,712文字

 須賀敦子の訳したエウジェニオ・モンターレの詩のコピーが、二篇、昔のノートに貼りつけられている。
 単行本サイズの紙面に、わたしの筆跡で小さな文字が一か所入っているので、おそらく全集の校正として、2000年の夏に出版社から手渡されたものだ。初めて聞く名前の著者だったが、「モトゲンが確かですから、ほとんど素読みだけでいいです」と言われたのを思い出してきた。書き入れ箇所も、もちろん些細なメモである。
 2000年といえば、校閲の仕事に明け暮れていたころである。分厚いゲラをリュックに背負い、届けては次のをもらってくる。馴染めないライトノベルとかハウツー本も多かった。
 とちゅう、息がつまって窓を大きく開け放ち、みずみずしい空気を吸いこみたい気分に促されたときに、さっと目に飛びこんできた未知の詩人(と訳者)の二篇だったのだろう。出版前の本をコピーするなどご法度に決まっているが、書き写す時間がなかったのだと思う。今まで読んだこともないイタリアの詩の誘惑に負けて、こっそりやってしまったと想像できる。
 それでも、「アミアータからの便り」という一篇は、むずかしくてさっぱりわからず、もうひとつの「鰻」はそれよりはいいが、精気みなぎるその生きものが何を暗示しているのか、正体不明だった。それを伝える訳者の言葉だけが、なぜか沁みとおってきたのだ。魅かれたのは、むしろこちらだったのかも知れない。少しひりひりして、よけたくもあった。
 全集の校正は、たぶん他の巻もいくつかまわってきたはずだが、内容をはっきり覚えているのは、イタリア詩の巻だけである。
 校閲というこの仕事は、作品の世界へはまりこんではならないし、逆に反感を抱いてもいけない。そのどちらでもなかったけれど、須賀敦子という著者がカトリックの信仰を持ち、母の青春と同じ時代にヨーロッパへ留学した人だというのが、まるで別世界の住人のように思えて、その後あらためて読むこともないままに過ぎてしまった。
 ただ、いま振り返れば、この著者を遠ざけたほんとうの理由は、あのひりひりにあったのかも知れないという気がする。胸をさわがせる文章に、当時のわたしは立ち止まっている時間がなかったのだ。
 二十年近く経ってから、NHKカルチャーラジオであらたに出会うことのできたモンターレの詩「レモン」(全集第5巻所収)。その清冽さ、燦かしさ、そういう言葉のいらなさ。それをきっかけに、もう一度かつての「鰻」を読みかえしてみると、この生きものの息吹きというか、うごめきのようなものを、以前よりずっと近くに感じられることに驚く。
 校閲の習性が染みついた結果か、とりあえず知識を集めて調べる。その知識自体が浅いものだが、それでわかったような気になる。そういう傾向がいつのまにか、わずかな私的読書の時間にまで侵入してくるのに気づかないでいた。
 須賀敦子が第3巻「ファッツィーニのアトリエ」でこう書いている。
〈目も、あたまもが、空回り、うわすべりの状態にとどまったまま、そのつめたさのまま、作品に接している〉
 著者とは次元がまるで異なるけれど、これはそのままわたしのことではないか。この一節は読んだ記憶がないが、たとえ読んでいたとしても、前ならすっと素通りしてしまったにちがいない。
 何をしてきたんだろうな、と思う。
 それは、仕事や読書にとどまらないことだ。
 たくさんの言葉に接してきても、宝石とは稀にしか出会えない。そこからじかに弾けとんでくるものを、自分は一度でもつかもうとしたことがあっただろうか。
 目のすみを跳ねるようによぎって消えたあの日の〈鰻〉――それが、ふたたびこうして現われてくれたのは、だからわたしにとって小さな奇跡にひとしいのじゃないか。
 濁流の川をさかのぼり、泥と夜闇のなかを潜ってやってくる〈おまえ〉。その長い旅の途中で、ときに陽光に射とめられ、渓谷に火花を散らす〈緑いろの 魂〉に、モンターレは〈束の間の虹〉を見ている。
 その正体を言い当てる必要はない。
 人生の流れの川底に、それはいつも見えては隠れ、寄り添いながら旅する何ものかなのだろう。

*引用 須賀敦子全集 (河出書房新社)より
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