【本文】私のヒーロー

文字数 1,995文字

 突然の呼び出しを受けて私は朝早くに家を出た。
 久しぶりに面と向かって会った彼は私の思い出の中の彼よりもだいぶ背が高かった。考えてもみれば、こうして会うのは数年ぶりである。もっと小さかった子供の頃は毎日のように一緒に遊んでいたのに。
 私たちは中学生になるとだんだん疎遠になっていった。高校は別々の学校に通っていたし、その間はほとんど話しもしていない。だけど家が近所だから、たまに目が合うことくらいはあった。そんな距離感だった。
「なに? 話って?」
 駅の構内に置かれたベンチ。
 隙間を開けて座る私たち。
 眠気なんて覚めていたのに、私は少し気怠そうに尋ねた。
「俺、上京する」
 と彼は言った。
 初耳だったけど私は驚かない。家は近所なのに、呼び出された場所が駅だったから、何となく予想はしていた。
「いつ?」
「これから。始発の電車で」
「ふーん……。そう」
 私は彼の荷物を見遣る。上京をするにしてはやけに少ない荷物。だから私は「上京」の言葉が彼の口から直接聞かれるまで、自分の予想が外れることを期待していた。
「東京の大学に進学するの?」
「いや、大学には行かない」
「じゃあどうして?」
 私は引き留めたいという思いを押し殺せていないことを自覚しながら尋ねた。
「俺、ヒーローになるんだ。昔、言ったことがあるだろ? それが俺の夢だって」
 と彼は答えた。私の目を見て、自らの覚悟を示すように。
「あんなの……。小学生の頃の話じゃん」
 彼とは対照的に私は目を逸らす。
「今どき流行らないよ、ヒーローなんて」
「そうかもしれないけど、構わないさ。別に目立ちたいわけじゃないし。人知れず誰かを救えるならそれで」
「自己満足ってこと? それで怪我しちゃうかもしれないんだよ? ううん、怪我だけじゃ済まないことだって、もしかしたら……。しかも保険にだって入れないし。わかってるの?」
「ああ。わかってる」
 彼は本当にわかっているのだろう。きっと時間を掛けて考え抜いた末の結論なのだ。それが痛いほど伝わってくるからこそ私は俯いてしまう。
 気まずい沈黙が流れる。
 身体に当たる風はまだ少し冷たい。それが季節のせいなのか、時間帯のせいなのか、私は二秒だけ考えた。
「だ、だいたい、どうやってヒーローになるってのさ。事務所に所属するのだって大変だって聞くよ。アテはあるの?」
「いや。だけど、なんとかするさ。フリーで活動している人たちだっているし、そういう人たちと連絡は取り合っているんだ」
「そんなの……。行き当たりばったりって言ってんのと同じじゃん。気持ちだけじゃどうにもできないことだってあるんだよ?」
「わかってる……。わかっているさ」
「どうだか」
 私は偉そうに肩をすくめた。
 こんな説教染みたことを言うつもりなんてなかったのに、自分の思いに反して言葉が口について出る。
「自分だけ納得していたって、両親はどうなのさ。おばさんやおじさんはなんて言ってるの?」
「説得したさ。最初は反対されたけど……。最終的には認めてくれた」
「そ、そりゃあ、おばさんたちならそう言うだろうさ。けど、認めてくれたからって心配させちゃうことには変わりないでしょ。本心では今でも危ないことはやめてほしいと思ってるに決まってんじゃん」
「ああ……。わかってる。俺はあの二人の息子だ」
「……本当に? 本当にわかってる?」
 私は彼の横顔を見つめる。
「じゃあ、私は……」
 私は何かを言い掛けてやめる。自分でも何が言いたいのか、何を求めているのか、言葉と心の整理ができていなかった。
 少し驚いた顔を見せた彼は、おもむろに時計を見遣る。
「もうそろそろ行かないと」
 そう言って彼は立ち上がると、別れの言葉もなく改札を通過する。
 私は――。
 俯いていた私は、顔を上げ、立ち上がった。そうして気付いたときには彼を追いかけていた。
「待って!」
 私は叫んだ。感情的にとった行動だった。
 改札を挟んで向こう側にいる彼が立ち止まり、無言で振り返る。
「どうしてッ、どうして私を呼んだの?」
 周囲からの視線が私たちに注がれては散っていく。そんな中、私は彼だけを見ている。
 彼も私を見ている。
「わからないのか?」
 と彼は言った。それまでは固かった表情が私の見慣れたものに変わる。
「俺が誰のヒーローになりたいのか……。子供の頃に伝えたはずだけど」
 その言葉を受け、私の中に眠っていた幼い頃の記憶が呼び起こされる。
 幼い頃に貰った、宝物のような思い出。
「もう、行かなくちゃ」
 間もなく電車が到着するとアナウンスが流れ、彼は言った。
「待ってるから!」
 私は彼の後ろ姿に向かって声を張る。
「ヒーローになって活躍するの、私、待ってるから!」
 彼はもう振り返らない。そのかわり、勇ましく立てられた親指が光り輝いていた。

 数年後。彼が通行人と一緒にひったくり犯を捕まえたというニュースが届き、近所で少し話題になった。
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