まっすぐ

文字数 2,947文字

「痛えんだよ、ほんとに」
 俺は母親に訴えた。
「だって、痛いのは二、三日だって先生が言ってたでしょ」
 右の手首を折って、石膏ギブスで固められてから一週間。たしかに菅谷病院の先生は、折れたとこがくっつけば痛いのは治まると言ってた。でも、ぜんぜん治まらないし、痛くなるばかりだ。
「たのむから、ちがう病院連れてって」
「でも、あたしじゃ」
 わからないとか、連れてけないとか言う。いつものことだ。
「あした、おとうちゃんが出張から帰ってきたら、もう一度話して」
 俺はわかったと答えて、だめだったらタクおじちゃんに頼もうと決めた。タクおじちゃんは親父の弟だ。親父とちがって話が通じる。

 しょうがねえな、と面倒くさそうに言ったけど親父は仕事を休んで菅谷病院とはちがうところに連れてきてくれた。
 そこは病院じゃなくて接骨院というところだった。黒帯堂接骨院。
「ふざけた名前だけどな、評判はいいらしい。スズキに頼んで探してもらった」
 スズキというのはたぶん会社の人だ。親父の話には前置きも説明もない。自分が知ってることは俺たちも知ってて、自分が思ってることは俺たちもそう思ってると、ふつうに思っている。ヘタに確かめたり、こっちの考えを言ったりすると、とたんに機嫌が悪くなる。キレて手が出てくることもある。面倒くさい性格だ。
 受付を済ませて待合室にはいった。湿布の臭いがすごい。板の間に背もたれのない長椅子が三本。それだけだった。テレビもなければ、雑誌もない。評判がいい割には俺たち以外にだれもいなかった。
 俺は窓際の椅子に寝転んだ。行儀悪いから起きろと母親が言う。車が揺れるたびに痛みに襲われてた俺はもう起きてられなかった。親父が面倒くさいことを言い出さなければいいと思いながら、そのままになっていた。
「サワヤマさん」
 ガラガラと戸が開く音がして太い声が降ってきた。母親がはいと答えて、俺はのそのそと起き上がった。白衣を着た白髪頭のでっかい先生が立っていた。
「どうぞ、なかに」
 ぶっきらぼうだ。親父がどう思うか心配になった。
「ここにすわって」
 俺は先生の前の丸いすにすわった。
「お父さんとお母さんはそちらへ」
 先生はうちわみたいな手で診察台を示した。体もでっかいけど、その手のでかさに俺は驚いた。でかくて、ぶ厚くて、てかてか光ってた。
「どうしました」
 だれにともなく先生がたずねた。親父も母親もだまっている。あとでごちゃごちゃ言うくせに、先に口を開こうとはしない。
「イサくん、だったな」
「はい」
「君がおしえてくれ」
 俺は先週の土曜日に自転車で転んで菅谷病院に運ばれたこと、レントゲンを撮ってギブスをはめられたこと、折れたところがずっと痛いこと、親に頼んでここに連れてきてもらったことを話した。ふんふんとうなずきながら先生は俺の手を上げたり下げたり、横からながめたり、正面から見たり、左右にねじったりした。痛みが走って手を引くと、わるいわるいと言いながら点検をつづけた。
「これは、曲がってついてるなあ」
「曲がって……」
 母親が口にした。
「ギブスを外してみないとどのくらいかはわからないが」
「曲がって……」
 これは大変だという顔で親父がつぶやいた。
 
 ギブスはお湯にひたして二十分くらいで外れた。表れた手首に俺たちは息を飲んだ。
 曲がっていた。
 手首のくるぶしみたいなところから五センチくらい上がったところが変な角度で曲がっていた。
「これは痛い」
唸るようにつぶやくと先生は腕組みをした。
「さて、どうするか」
「どういう方法があるんでしょう」
 母親がめずらしく心配そうにたずねた。それほどヤバイってことだ。いつのまにか親父まで俺のとなりで身を乗り出していた。
先生は俺たち親子を診察台に座らせて説明をはじめた。
「一つは、このまま何もしない。曲がったままだが、生活に困ることはない。添え木をあてて包帯を巻けばギブスのような痛みはない。治療費もかからない」
 親父と母親が俺をはさんでうなずく。三人でくっついて座るなんて、もしかしてはじめてじゃないのか――こそばゆい気分で俺は六本ならんだ足をながめていた。
「二つ目。手術でつけ直す。うちではできないから病院を紹介します。何日か入院するかもしれない。それなりに費用もかかる。患部を開いて、つきかかった骨を離してつけ直す。そんなにむずかしい手術ではないが、手術に絶対はない」
「と言うと……」
親父が先生を見た。
「失敗もある」
「率は」
「低いが、ゼロではない」
 親父は渋い顔でうなずいた。
「そして三つ目。最後」と言って先生は俺の手を取った。先生の眼が光った気がした。いやな予感。
「骨はまだ半分もついていない。まっすぐにはがせば、つけ直すのは造作もない。多少痛いが、一瞬で終わる」
「どうやってはがすんですか」
 恐る恐る母親がたずねた。そうだ。そこだよおかあちゃん。
「手首を持って、引っ張る」
 先生は両手で引っ張る動作をした。バサバサと白衣が音を立てた。
「すぐ終わるんですね」
 親父がたずねる。
「すぐ終わります。五分もかからない」
「じゃあ、それで」
 ちょっと待てよ、親父。痛いのは俺なんだぞ。簡単に決めんなよ。痛さとか麻酔のこととか聞いてくれよ。おかあちゃん、黙ってんなよ。
「イサ君」
「は、はい」
「そういうことだ。頑張れ」
 えーっ、なんだよ頑張れって。
「せ、せんせい」
「なんだね」
「あの、麻酔とかって……」
「そうか、痛いのが心配か。まあ、それはそうだな」
 ひとごとのように言いながら、先生はにこにことうなずいた。
「うちは病院じゃないから、麻酔はつかわない。だが、君なら大丈夫。自転車で坂を駆け下りるような強者だろう。がまんできる」
 ほめられてるのか、だまされてるのかわからなかった。親父と母親も調子に乗って、そうだそうだ、おまえは強いとか言う。手術がいいとは、言えない流れだ。言い出せばまた面倒くさいことになる。

 先生は床にマットをしいて、そこに寝るようにと言った。親父と母親が背中を支えて俺を寝かせた。
「さて、お父さん、お母さん」
「はい」
 ふたりそろって応えた。
「お父さんは息子さんの肩を。お母さんは脚を押さえていてください。やさしくじゃなく、思い切り体重をかけて」
 ふたりがうなずく。
「気を抜いているとケガをします」
 何ですか、それ。どういう意味ですか、先生――聞きたいけど、もう声もでない。
 脚に重みがかかって、肩が押さえつけられた。身動きがとれない。親父の顔が見えた。こんな顔してたんだ――と思ってたところへ先生の声が降ってきた。
「イサ君、口をあけて」
 なんのことかと思いながら口をあけると、丸めたタオルをかまされた。ど、どういうこと?額から汗がながれた。
「しっかり、かんで」
 でっかい手が俺の手首をつかんだ。脇の下と首に足が当たった。
「いきますよ、押さえててください。せえの!」 
 先生の掛け声と自分の悲鳴がいっしょに聞こえた。体が弓なりになる。俺は叫び続ける――ミシッと音がして、世界が終わった。

 帰り道、親父は山木屋によってトンカツとメンチカツを買った。
 母親は後ろの席で俺の頭をひざに乗せて、外を見ていた。
「手術でもよかったのかな」
 つぶやく声がふんわりと降ってきた。
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