第1話

文字数 2,684文字

 私は後悔している。

 いや、私が臆病で、小さい人間で、引っ込み思案で、恥ずかしがり屋で、弱くて、強がりで、自分に自信がなくて、人の顔色ばかり気になって、自分の気持ちが言えなくて、勇気が出せなくて、ちょっとの一歩を踏み出せなくて、言いたかった想いを言えなくて。

 そんな私の性格が招いた結果なのは、分かっている。
 分かっている。
 分かっている……。

 けど、ちょっとした自信と、ちょっとした勇気と、ちょっとした意志を持っていれば、今は変わっていたのかも知れないと、ずっと後悔し続けている。

 ずっと一緒の学校で、ずっと同じクラスだった、彼。
 幼なじみと言われると、少し違うかも知れない。私は、彼にとって多くの友達の一人。多分彼はそう思っている。分け隔て無く誰にも優しく振る舞う彼。小さな私は、彼にとっては背景にある沢山咲いた、向日葵の一輪。

 そう。
 畑に咲いた、一輪の向日葵。

「……イカン、イカン!」

 思考を今に引き戻すように、私は一人引っ越ししたばかりの部屋で呟く。
 折角迎えた新生活の一ヶ月目。暗い顔なんてしちゃいけない。これも私が選んだ道なのだから。高校を卒業して、希望の大学に行けたのだから。新しい道を歩み出したのだから。
 入学してから一ヶ月。少しずつ夢に向かおうとしているところの、長いお休み。生活にも慣れてきたけれど、一人きりの休みもそれはそれで、ネガティブな気持ちに引き戻されてしまう。

「だから……」

 どうしても、思い出してしまう。
 最後のチャンスだった。
 高校の卒業式。

「山根さん、次書いて」
「あ、寄せ書き? ありがとう」
「結構、みんな立派な事書いてて、俺どうしようかと思ったよ」
「そうなんだ。岸田君のところは……」
「あっ! 見るなよ!」
「どうせ、完成したら皆で見るじゃない。えっと『街中の花屋を目指す!』……なの?」
「わ、悪いかよ!」
「……いいんじゃない? じゃー私も書くから。ありがとう!」

 楽しい会話だった。私にとっては幸せだった。それだけでも良かった。これが最後の会話。私の胸の内を伝えるタイミングも無かった。

 いや。無かったのは勇気だ。

 一歩踏み込めなかった、私が悪い。
 密かに待っていた、私が悪い。
 それであきらめた、私が悪い……。

「あれ? 山根さんも実行委員会なの?」
「……私さ、学級副委員長だよ? 学級委員会も文化祭の委員会に入るって、聞いてなかったの?」
「あー、忘れてた。俺さ、推薦されて実行委員会に入ったから、てっきりそれだけだと思ってた。じゃー一緒に文化祭盛り上げよー!」
「はいはい」
「そだ。メッセージグループに強制的に入れられたじゃん。グループに飛ばすのも面倒なことあるからさ、個別でメッセージ送っても良い?」
「うん、良いよ」
「じゃあ、俺からフレンド申請するから、承認よろしくな!」
「おっけー。って、このプロ画なに?」
「え? 向日葵畑。綺麗だろー? 俺、向日葵好きだからさ」

 知ってる。
 知ってるよ。
 よく知ってるよ。
 オレンジの向日葵畑。
 だって……。

「ねぇ、合宿のしおり見た?」
「え? 見たけどどうしたの?」
「何で冷静でいられるのよ! 最後のレクリエーション!」
「あぁ、フォークダンスだっけ?」
「そうそう! なんか『男女の交流を深めるため』とか、先生達の考えらしいけどさ、何が今時『フォークダンス』なんて、楽しめるかっつーの! 男子は盛り上がってるみたいだけど、私は嫌だ!」
「えー、そうだったの? 香奈は『大山君が気になる』とか行ってたじゃない? もしかしたら一緒に踊れるよ?」
「……! べ、別にそういう訳じゃないから! それこそ藍は岸田と踊るなんていいの? 嫌でしょ!?」

 中学校の学年合宿。私は少し期待していた。彼と手をつなげることを。笑顔で楽しめることを。
 ダメだった。彼は目も合わせてくれなかった。
 そうだよね。だって、小学生の時に……。

「ねぇねぇ、男子達が『こうくんがあいのこと好き』って、冷やかしてるけど、あいは岸田君の事どう思ってるの?」
「え? え? べ、別に好きじゃないよ?」
「お、山根さんは、こうの事、嫌いなんだ!」
「こらー! 盗み聞きすんじゃねー!」
「山根さんは、こうの事嫌いだってー! こう、フラレてやんの!!」
「盗み聞きして、広めるな!!!」

 そのあと、彼は男子達に「ふられた~!」って、冷やかされていた。後から聞いた話で、彼は些細な会話で、こじつけられて、私の事が好きなんてデマを流されたらしい。男女を意識し始めたところの、小学生がやる単なるイタズラ。何の因果か、そのイタズラに彼と私が、ターゲットにされただけ。

 そして彼は泣いていた。
 理由は分からない。
 冷やかしのターゲットにされたから鴨知れない。
 そうだとしても、私は彼にとっては加害者。
 彼に、トラウマを植え付けた加害者。
 私も胸にグサリと刺さった。
 剪定鋏のような物が、開いたまま刺さり。
 ゆっくりと締め付けて、私の胸をえぐる。

「こうくん、なにかいてるの?」
「ひまわりだよー」
「ひまわり? なんでオレンジなの?」
「ぼくね、オレンジのひまわりが、すきなんだ~」
「え? そんなひまわりあるの?」
「あるよ~。ぼくね、みたことあるんだぁ~」
「そうなの? みてみたい!」
「え? ぼくそのえ、かいてるよ?」
「オレンジだけしか、ないじゃない」
「そうだよ。これ、ひまわりの、はたけなんだよ」
「ふ~ん。そんなの、あるの?」
「そう! あるんだよ! おひさまが、たくさん!」
「おひさま?」
「うん、ひまわりって、おひさまみたいじゃない?」
「あっ、そうかも!」
「ねぇ、あいちゃんは、なにかいたの?」
「わたし、かいてみたよ!」
「うわぁ。がようしいっぱいだね!」
「うん! じょうずにかけたよ!」
「なんかさ、あいちゃんって、ひまわりっぽいよね」
「えー、なんで?」
「いつも、えがおで、ぼくもえがおになれるから!」

 何でだろう。
 何で今、思い出すんだろう?
 胸が痛い。
 昔刺さった剪定鋏が、今閉じてゆく。
 もう少しで、胸の傷が、過去が、想いが……彼から別れる。

「最後は、私がやらなきゃ」

 雫を上着の裾に染み込ませる。そして、ただただ時が流れる。トドメ……彼とのフレンド解除。決めた事ではあるけれど、腕がどけてくれない。

『ぴろぉん~♪』

 スマホの気の抜けた通知音で、少しだけ現実に戻される。
 ゆっくりとスマホに手を伸ばし、ぼーっと、画面をのぞき込む。霧がかかった、頭と視界で。

 画面を見て、霧は太陽に変わった。

 向日葵が咲いていた。
 一輪のオレンジ色の向日葵が。


ーーーーEndーーーー

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