第4話 夜も昼も

文字数 1,776文字

私のアパートで写真を渡すことにした。


「はい、ご依頼の品」


「ありがとう。これは僕から。白ワインだが味の方はわからない」


「飲めれば十分。座って」


私はワインを冷蔵庫に入れて居間に戻ってきた。


写真を入れた封筒を膝に置いたままあなたはソファに座っていた。


「見てもいいかな?」


「どうぞ、そのために撮ったのだから」


あなたは封筒から出したB5サイズの写真を丹念に見ていった。


私はその様子を黙ってうかがっていた。


十分くらいたって、ようやくあなたは口を開いた。


「君に頼んで良かったよ」


「気に入った?」


「とてもね。この後、時間あるかい?」


「あるけど」


「じゃあ、出かけよう。お礼をしなきゃ」


あなたが連れてきてくれたのはウエスト・ビレッジの端にある小さなジャズ・クラブだった。カウンターにテーブルが五つくらい。奥に狭い舞台があった。


席についてほどなくピアノ・ソロの演奏が始まった。


舞台の上の黒人ミュージシャンは七十代くらいに見えた。


「今日が月曜で幸運だったね。彼はいつも毎週この日にだけ演奏をするんだ」


あなたは私の耳元で小さくつぶやいた。


ピアノから優しい旋律が紡ぎだされていく。


「彼は七十年代に人気があったジャズ・グループのメンバーだったんだ。でも、ある日、一線から退いてしまった。妻と子供を一度に失ってしまったショックから。ドラッグとアルコールに溺れて刑務所と病院を行ったり来たり。でも、今はすっかり足を洗った。そして、こうやって僕らに最高の音楽をプレゼントしてくれているのさ」


ピアニストが次に弾き出したのはコール・ポーターの数ある名曲の一つ。


私も大好きだった『ナイト・アンド・デイ』。


頭の中で歌詞を思い浮かべた。



夜も昼も君だけがいる


月のした、太陽のした


君だけがいる


君がいるのが近くでも遠くでも


それは問題じゃない


僕は君を思う


夜も昼も


昼も夜も



君への思いが僕をつきまとうのは何故だ?


行きかう自動車の騒音の中でも


僕のさびしい部屋の沈黙の中でも


僕は君を思う



夜も昼も


夜も昼も僕の中で


君への抑えられない気持ちが燃えさかっている


この苦しみはとまることがない


一生ずっと愛するのを君が許してくれるまでは


昼も夜も


夜も昼も



演奏が終わって外に出た。


私は自然にあなたの腕を取って歩き始めた。


肩にもたれながら空を見上げた。


星がきれいね


私の言葉で、あなたも顔を空に向けたのが分かった。


「僕はニューヨークで生まれ育った。ずっと子供の頃から優等生で通してきた。

だけどジュニア・ハイスクール時代に父とトラブルがあった。家にいるのが心底いやになった。それで逃げ出した」


「何歳の時?」


「十三だった。デイパックの中に詰めた荷物と五十ドルくらいしか金はなかった。

ヒッチハイクをしながら南へと向かった。理由はない。うろちょろ、ネズミのように右往左往するんじゃなく目的地が欲しかった。でも、それがなかったから方向だけ決めたんだ。こんな話、つまらなくないかい?」


私は首を振った。


「野宿をした。夜空を見つめるしかすることはない。何億何兆光年と先の星を長いあいだ見つめた。その信じられない遠さと数を思った。怖くなったよ。永遠という言葉を考えた。永遠。しかし、その意味を本当に知る者は誰もいない」


あなたの話が、私自身の思い出を呼び覚ました。


小学校低学年の頃、両親の都合で一時的に田舎暮しをすることになった。


ある時、山に入り迷子になった。


日も暮れてだんだんと暗くなってくる。


歩き疲れて、その場で寝転び泣きじゃくった。


泣きながら空を見ると、木々の間から気の遠くなるような数の星が輝いていた。


美しさと同時に恐怖を感じた。


重力に逆らって、自分が空に落ちてしまうような。


そして、永遠に宇宙をさ迷ってしまいそうな。


いつの間にか、私はあなたの腕の中にいた。


キスをされた。


美しい美しいメロディが頭に響いた。


**********


「聞いていい?何故、ポートレートを撮る必要があるの?サラの最後が分かったように自分自身の死期を知っての葬式用なの?」


私たちはアパートへ戻っていた。


ベッドの中にいた。


「いや、葬式は僕には必要ない。違うな。死んだことは誰にも分からない。そういう風に始末されるだろう。だから、葬式のための写真はいらないんだ。もし、そういう事が起きたら」


「私は…」


あなたの髪をすきながら私は言った。


「私は分かるわ、あなたが死んだら。どこにいても」

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