3、下底

文字数 1,168文字

 その後、数日間母を見舞い、それから再び自らのアパートに戻り、大学とホームセンターと自宅を行き来する生活を再開して二ヶ月後、母は肺炎であっさりと死んだ。
 結局母は目を覚まさないままだった。
 母の看病と仕事と日々の生活に追われ、経験したことのない忙しさに身を浸し続けた父は、その二ヶ月間庭の手入れなどできるはずもなく、葬式のため帰った実家の庭は文字通り化物じみた花屋敷になっていた。
 母があれほど手をかけていた庭も、ほんの二ヶ月構ってやらないだけでここまで醜く姿を変えるのか、と考えると僕は非常に馬鹿馬鹿しい気持ちでいっぱいになり、これまでの母の行いが不毛なそれのように思えて仕方なかった。親族の何人かから「花屋に勤めているのならお母さんの代わりに手入れをしていってはどうか」と提案を受けたが、せっかく入学させてもらった大学に通うためにもまだここへは戻ってこられないと答えるとそれ以上は何かを言ってくることもなくなった。
 母が育てていたうちのいくつか、鉢植えの植物は、気に入ったものがあったら形見分けになるからと言って参列者に引き取ってもらった。彼らは一様に、
「枯らさないようにしないとね」
 と言って寂しそうに笑っていたが、きっと彼らは母ほどにあれらを美しく咲かせることなどできないだろう。


「お前も、何か持っていくか」
 葬儀も終わり、細かな手続きなどは全て父に任せ、僕が一人アパートに帰る。駅へ向かうため父の運転する車に乗り込む直前、父は庭を指さして僕にそう言った。
「お前ならまあまあ育てられるんじゃないのか。植木鉢なら物置に何個もある。掘り返す必要があるなら手伝う」
 促されるままにその荒れ果てた庭を見渡す。
 たぶん、母のことは嫌いではなかった。
 折り合いこそ悪かったが、それだけだった。母がもっと長生きして、何か小さなきっかけでも起きれば案外僕らはあっさりと和解して、この花まみれの庭でコーヒーでもすすっていたのかもしれない。しかし、もはやそれはあくまでも仮定の話にしかなれない。母は死に、僕らは分かり合えないままに別れてしまった。
「あの花、少しだけ切っていってもいいかな。ドライフラワーにするよ」
「……そうだな、一人暮らしじゃそうそう花なんて育てられないか。手伝うよ、鋏と新聞紙と、ビニール袋があればいいか」
「うん。新幹線だから少しでいい」
 母が倒れていたというドウダンツツジの斜向かいに咲く、数本のバラへそっと鋏を入れた。丁寧に棘を外し、新聞紙に包んでからビニール袋で覆ってやる。
 匂いの弱い品種ではあるが、新幹線の車内ではいくらか香り立ってしまうかもしれない。最後まで母に悩まされてばかりだな、と思いながら、僕は父の車に乗り込む。数分も経つと室内はむせ返るようなバラの匂いでいっぱいになって、僕は小さくむせ返りながら窓を開けた。
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