第1話
文字数 2,182文字
どうしよう、という気持ちだけが頭を占めていた。
【原罪】
こうしている間にも、事態はどんどん進行していく。
―悪化の一途、という言葉はこういう時に使うんだっけ?
冷静を欠いた思考が、現実から逃避して別の事を考え始める。逆にそれが静かで、おもしろい。なんて―
目の前には赤黒い液体が、徐々に広がりアスファルトの目に沿って染みを広げてゆく。自分から流れ出たものだ。
いつか読んだ小説を思い出す。確か主人公は痛覚を失っていて、朝起きると自分が血塗れになってたもんだから死の恐怖に怯えながら要因と解決策を探してゆく。そんな話だった。
「…は、」
冷静なものだ。
それに比べ自分は“どうしよう“を頭に貼り付かせているくせに、頭のどっかで『こりゃダメだ』が勢力を伸ばしつつあるからだろう、打開策も思いつかない。
ただ、今こうして腹の真ん中から血を垂れ流し続けていることが、ものすごく悪いことを自分がしてしまったような気がして、この腹に穴を開けたことであやまる相手などいないのに、焦りと同じくらいの割合で罪悪感に苛まれている。
そうするうちに、膝立ちで斜めに地面を見ている自分の視界内が埋まる位までが血の水たまりになった。早いのか、遅いのか、わからない。基準がないから、こんなものなのだろう。
体を動かそうとしたが、節々に錘をつけたように重くて、思い通りに出来なかった。
突然だった。
スマホの電池切れ、タイムリミットの迫るバイトの開始時刻、このままではまず間に合わない。
重要なことだけは紙ベースでも情報を控えておいたから、遅刻することが確定したその瞬間、財布から取り出した連絡先を握りしめ、普段なら見向きも、そこにあることを気付きもしない電話ボックスを探して遅刻時間がさらに長くなることはきっちりもう腹を括って探し回った。
今時誰もその意味すらしらないだろうISDNと書かれた灰色の、少し傾いた電話ボックスを見つけたのは10分後だった。
前身は汗でぐっちょり。
締め切られてずっと日にさらされ続けていたボックスはむわんとえもいわれぬ匂いと圧をもって、私を迎え入れた。
「すみません、できるだけ急ぎますんで」
「ちょっと困るよー。君さ、現場責任者なんだし。…まぁでも、そんな役職与えたのも、こんなこんとするのほとんどなくて信用できるからって、任せたんだけどね。待ってるから、急いできなさい」
「はい、ほんとうに申し訳ございません!」
電話ボックスが傾いていたのは、何かによって本来あるべき姿から、何らかの影響を受けていたからだった。
甲高い、擦り合う時に聞こえるような摩擦音
暑さのせいだけだと思っていた圧迫感には他にも理由があった。
電話ボックスの隣につけた大型のトラック。
荷台は大小さまざまの金属パイプがこれでもかと積まれ、何重にもワイヤーがかけられ、それが車体の後ろにもはみ出して積んでいる。
目に見えて明らかな、過重積載。
そこから見えた光景は、コマ送りの映像を眺めているかのようで、すごく、明確に、これからの自分がどうなっていくのかまでも一瞬で可能性が結び付く。
同時にこれから起こる出来事が、もうどうしようもない事を決定づける、最後のワイヤーが吹っ飛ぶ音が、ビチンッと跳ね上がるのを無感情に見つめた。
――― 養成ギプスがこんなカンジなんだろうか。
眼球は体に反して軽快に動くようだった。
あちこちに視線を流した後、真下に茶色い筒を見る。
いや、
赤?、
銀、
黒?、
あ。
頭にひらめくものがあった。
そうだ、自分は“コレ“に腹を突き破られたから垂れ流しなんだ。と。
―きれいに真っ直ぐ刺さったもんだ。
体を落とさずに済んでいたのは、背中から腹を貫通して、地面につっかい棒の役割が出来ていたからだ。
―イイことなワケないが。
体を支えてくれてるのを見ると、赤い水たまりにまっすぐ延びて、今なお新たな血液を太い胴体に伝わせ広げていた。
―無機物に使わないな“胴体“は。
パイプの先にあるもの。赤に黒い
―赤黒い?
何かが引っかかりツブされてた。
わた?なか、み、なんてんだ、っけ?
耳に触る呼気があった。すぐ近くから聞こえる。
―自分からする?
痛いはずなのに。
―いつか痛かったような。
熱いはず。
―ジンジンした。
息は。―まだ出来る。
で。 ― 吐きそ。
泣き顔で事切れる亡骸を見つめる目があった。
光景という“事実“と“結果“をその目に強く焼き付けるようとでもするに凝視している人の顔立ちは、泣き顔の青年と同じ作りをしていた。
周囲に蒸せかえるほどの血生臭い鉄の臭いが広がる中、荷台の崩れたトラックに寄りかかるそいつの顔は、笑顔に染まっていた。
私の最後の言葉は職場の上司への電話。
あれさえなければ、私の未来は変わったんだろうか。
ともあれ。
部長、遅刻どころかもう出社することもできそうにありません。
申し訳ありません。
<完結>
【原罪】
こうしている間にも、事態はどんどん進行していく。
―悪化の一途、という言葉はこういう時に使うんだっけ?
冷静を欠いた思考が、現実から逃避して別の事を考え始める。逆にそれが静かで、おもしろい。なんて―
目の前には赤黒い液体が、徐々に広がりアスファルトの目に沿って染みを広げてゆく。自分から流れ出たものだ。
いつか読んだ小説を思い出す。確か主人公は痛覚を失っていて、朝起きると自分が血塗れになってたもんだから死の恐怖に怯えながら要因と解決策を探してゆく。そんな話だった。
「…は、」
冷静なものだ。
それに比べ自分は“どうしよう“を頭に貼り付かせているくせに、頭のどっかで『こりゃダメだ』が勢力を伸ばしつつあるからだろう、打開策も思いつかない。
ただ、今こうして腹の真ん中から血を垂れ流し続けていることが、ものすごく悪いことを自分がしてしまったような気がして、この腹に穴を開けたことであやまる相手などいないのに、焦りと同じくらいの割合で罪悪感に苛まれている。
そうするうちに、膝立ちで斜めに地面を見ている自分の視界内が埋まる位までが血の水たまりになった。早いのか、遅いのか、わからない。基準がないから、こんなものなのだろう。
体を動かそうとしたが、節々に錘をつけたように重くて、思い通りに出来なかった。
突然だった。
スマホの電池切れ、タイムリミットの迫るバイトの開始時刻、このままではまず間に合わない。
重要なことだけは紙ベースでも情報を控えておいたから、遅刻することが確定したその瞬間、財布から取り出した連絡先を握りしめ、普段なら見向きも、そこにあることを気付きもしない電話ボックスを探して遅刻時間がさらに長くなることはきっちりもう腹を括って探し回った。
今時誰もその意味すらしらないだろうISDNと書かれた灰色の、少し傾いた電話ボックスを見つけたのは10分後だった。
前身は汗でぐっちょり。
締め切られてずっと日にさらされ続けていたボックスはむわんとえもいわれぬ匂いと圧をもって、私を迎え入れた。
「すみません、できるだけ急ぎますんで」
「ちょっと困るよー。君さ、現場責任者なんだし。…まぁでも、そんな役職与えたのも、こんなこんとするのほとんどなくて信用できるからって、任せたんだけどね。待ってるから、急いできなさい」
「はい、ほんとうに申し訳ございません!」
電話ボックスが傾いていたのは、何かによって本来あるべき姿から、何らかの影響を受けていたからだった。
甲高い、擦り合う時に聞こえるような摩擦音
暑さのせいだけだと思っていた圧迫感には他にも理由があった。
電話ボックスの隣につけた大型のトラック。
荷台は大小さまざまの金属パイプがこれでもかと積まれ、何重にもワイヤーがかけられ、それが車体の後ろにもはみ出して積んでいる。
目に見えて明らかな、過重積載。
そこから見えた光景は、コマ送りの映像を眺めているかのようで、すごく、明確に、これからの自分がどうなっていくのかまでも一瞬で可能性が結び付く。
同時にこれから起こる出来事が、もうどうしようもない事を決定づける、最後のワイヤーが吹っ飛ぶ音が、ビチンッと跳ね上がるのを無感情に見つめた。
――― 養成ギプスがこんなカンジなんだろうか。
眼球は体に反して軽快に動くようだった。
あちこちに視線を流した後、真下に茶色い筒を見る。
いや、
赤?、
銀、
黒?、
あ。
頭にひらめくものがあった。
そうだ、自分は“コレ“に腹を突き破られたから垂れ流しなんだ。と。
―きれいに真っ直ぐ刺さったもんだ。
体を落とさずに済んでいたのは、背中から腹を貫通して、地面につっかい棒の役割が出来ていたからだ。
―イイことなワケないが。
体を支えてくれてるのを見ると、赤い水たまりにまっすぐ延びて、今なお新たな血液を太い胴体に伝わせ広げていた。
―無機物に使わないな“胴体“は。
パイプの先にあるもの。赤に黒い
―赤黒い?
何かが引っかかりツブされてた。
わた?なか、み、なんてんだ、っけ?
耳に触る呼気があった。すぐ近くから聞こえる。
―自分からする?
痛いはずなのに。
―いつか痛かったような。
熱いはず。
―ジンジンした。
息は。―まだ出来る。
で。 ― 吐きそ。
泣き顔で事切れる亡骸を見つめる目があった。
光景という“事実“と“結果“をその目に強く焼き付けるようとでもするに凝視している人の顔立ちは、泣き顔の青年と同じ作りをしていた。
周囲に蒸せかえるほどの血生臭い鉄の臭いが広がる中、荷台の崩れたトラックに寄りかかるそいつの顔は、笑顔に染まっていた。
私の最後の言葉は職場の上司への電話。
あれさえなければ、私の未来は変わったんだろうか。
ともあれ。
部長、遅刻どころかもう出社することもできそうにありません。
申し訳ありません。
<完結>