第1話
文字数 2,825文字
中学生になってもうすぐ夏休みに入る。夏休みたって、子供どもの頃から、どこかに遊びに行ったこともない、弦楽器工場の研磨仕事をしている母さんの夏休みは、盆の4日ぐらいしかなく、親友が来た時に以外は、だいたいぼくは、留守番しながらの独り遊びで過ごしていた。
多分、ことしもそうなる。小学生の時のように、セミや魚を追い掛け回すようなワクワク感はさすが中学生になったぼくに湧きおこっていなかった。
そんなある下校時。教室を出たぼくに、さほど、親しくなかったノブが声をかけてきた。
「コウタ、夏休み、なにか予定ある?」
「ン?べつにないけど、どうしたの?」
「あのさ、父さんが腰を痛めてさ、畑の草刈り手伝ってくれない?」
勉強苦手でもいつもおちゃらけているノブが真面目な顔をして言った。
「草刈って、どのぐらい?」
「畑、二つぐらいだけど、母さんがお駄賃出してもいいからって」
「ふうん、母さん困っているんだ」
「そう、田んぼもあるしね……」
「そっか、いいよ。どうせうちの母さんも仕事だし。そのかわり、終わったらノブの近くの川で釣りでもしような」
「ウン、いいよ。うちの母さんよろこぶよ」
夏休みに入って、約束の日に道上にある大きな農家みたいなノブの家に行ってみると、庭先の畑の草は背丈ほどの伸びていた。
「すごいだろ。ここはぼくがやるから、コウタはとなりの畑やってくれる?」
「わかった、まかして」と、始めたがいいものの、すぐに汗がふきでて、農作業になれていないぼくは、変な草に手がかぶれ、ススキにすれて、すり傷までつくってしまった。真っ黒になった掌には血がにじんでいます。コウタはかおを上げてとなりの畑に目をやると、ノブは汗まみれの表情を変えることなく、黙々と手を動かしています。その目つきは、授業中に見たこともない真剣な表情でした。勉強の成績はぼくが中の上、ノブは下の下、だけどぼくは圧倒されていた。ノブはお百姓さんの子どもだ。教科書で草は刈れないもんな……でも、ぼくだって、母さんが帰宅する前までの手助けを、小学生から一日たりとも欠かしたことはない!
ぼくは一息ははいて、草と格闘しはじめた。
家を出てしまった父さんのことも含めて、母子家庭という響きは子どもながらに、沈んでいく夕日のように胸の底にいつもへばりついている。
それでも、翌日いっぱいまでに畑の雑草はすべて刈り取った。
広々と刈り倒された草の上では、色んな虫があわてて飛び跳ねている。青草の匂いのする涼しい風吹き抜けていった。
ノブのお母さんがむ麦茶を持ってきてくれた。
ふたりで一気に飲み干して、ふ~と空を仰いだ。
「あ~うまい!やっと終わった」
「うん!ありがとう、コウタ」
ノブのお母さんから茶色い封筒を手渡された。
「コウタくん、ありがとうね。ほんとうに助かったわ。これ少ないけれど、気持ちだから、お母さんにもよろしく、伝えておいてねネ」
帰り道、封筒のなかをのぞいてみたら、九百円も入っていた!
「ヤッタ!これで好きな物を買える」
ぼくはお正月と盆以外おこづかいをもらっていなかった。欲しいとは思っていたけれど、必要な勉強道具や月に一回のマンガ本も約束してくれている。下校すればテーブルに、ちゃんとおやつも用意してくれていたし、なにより、家は母子家庭ということが片隅にあったから口には出さなかった、でも。これはぼくが働いてかせいだお金だ。
ノブから草刈りのことを頼まれたことも、先に返事をしてしまっていたから、お母さんには伝えてなかった。お小遣いのある夏休み、自然と笑みがこぼれてしまう。
でも、家に近づくにつれ、違うことが胸の底からから頭に浮かんできてしまった。
「二日間、必死に頑張ったもんな……」
夏休みに一生懸命働いた自分のことを母さんに、知ってほしくなっていた。 働いて得たお金だってことも、知ってほしくなっていた。
「決めた!このお金は母さんに渡そう」
そう口にしたら、母さんの喜ぶ顔がいっきに目の前に浮かんできた。
ぼくは、家に着くと、帰宅した母さんがすぐに気づくように、テーブルの真ん中に九枚の百円玉を並べると、ヘヘッと笑みがこぼれてしまった。
「ただいま」
「おかえりなさい~」
予想通り、母さんはすぐにテーブルのお金に気づき、ぼくを見た。
「どうしたの?このお金」
ひたいの汗をぬぐっていた手を止めて、ぼくをじっと見つめた。
その表情が冷めていて、ぼくは焦って説明した。
「ノブのお父さんが腰を痛めて、草刈ができないからって、頼まれたから、このお金はそのお礼だって。母さんにもよろしくって」
「ノブくんのお母さんから?」
「そう、雑草がすごい伸びててさ、二日もかかっちゃった」
母さんの表情になんの変化もなかった。最初にお金を見た以外、触れることもなく、ぼくを見すえている。その口元がわずかに震えたと思った瞬間、母さんは声をあげた!
「コウタは、なにを考えているの!母さんは、こんなことをさせるために、毎日、頑張っているわけじゃないのよ!」
母さんはクルッと背を向け、洗い場に立って、無言で夕ご飯の支度に取りかかった……
ぼくはなにがおこったのかわからなかった……
どのぐらいたったのだろう、母さんは、ぼくの目の前にカレーの皿をトンとおくと、母さんは部屋を出て洗濯物をたたみはじめた。
カレーの味なんてわからない、ただ無言で飲み込んだ。
どうしてこうなったのだろう?
ぼくはなにも悪いことをしていない。握りしめていた手を開いたら、草刈のすり傷が目に映った。ぼくは、くやしすぎて悲しくなってきた。
母さんが戻ってきて、食器のあと片づけをはじめた、その音はガチャガチャといつもより乱暴に聞こえてぼくはテーブルの上にうつぶせた……
どのぐらいったったのだろうか。
「コウタ、おきなさい」と、肩を叩かれた。
顔をあげると、そこに、満面笑顔のヒマワリのような母さんの顔があった!
「疲れたでしょう。早くお風呂に入って、おやすみなさい」
ぼくはあふれでそうな涙を隠すため急いでお風呂場に飛込んだ。
翌朝。
母さんはすでに、仕事にでかけており、テーブルの端にていねいに折りたたんであった白い紙を広げたら、九枚の硬貨が出てきた。そこに、小さな走り書きがあった。
― これは、頑張ったコウタの汗です。でも、ひとつだけ、
困っている人から、お金は受けとっちゃダメよ ―
お金を自由にしていいのか、返してきなさいという意味なのか、ぼくは、くりかえし、母さんの文字を追っているうち、九枚の硬貨はどうでもよくなってきていて、そのまま母さんのドレサーの引き出しに納め、外にでた。まだ夏休みは始まったばかりだ。
了
多分、ことしもそうなる。小学生の時のように、セミや魚を追い掛け回すようなワクワク感はさすが中学生になったぼくに湧きおこっていなかった。
そんなある下校時。教室を出たぼくに、さほど、親しくなかったノブが声をかけてきた。
「コウタ、夏休み、なにか予定ある?」
「ン?べつにないけど、どうしたの?」
「あのさ、父さんが腰を痛めてさ、畑の草刈り手伝ってくれない?」
勉強苦手でもいつもおちゃらけているノブが真面目な顔をして言った。
「草刈って、どのぐらい?」
「畑、二つぐらいだけど、母さんがお駄賃出してもいいからって」
「ふうん、母さん困っているんだ」
「そう、田んぼもあるしね……」
「そっか、いいよ。どうせうちの母さんも仕事だし。そのかわり、終わったらノブの近くの川で釣りでもしような」
「ウン、いいよ。うちの母さんよろこぶよ」
夏休みに入って、約束の日に道上にある大きな農家みたいなノブの家に行ってみると、庭先の畑の草は背丈ほどの伸びていた。
「すごいだろ。ここはぼくがやるから、コウタはとなりの畑やってくれる?」
「わかった、まかして」と、始めたがいいものの、すぐに汗がふきでて、農作業になれていないぼくは、変な草に手がかぶれ、ススキにすれて、すり傷までつくってしまった。真っ黒になった掌には血がにじんでいます。コウタはかおを上げてとなりの畑に目をやると、ノブは汗まみれの表情を変えることなく、黙々と手を動かしています。その目つきは、授業中に見たこともない真剣な表情でした。勉強の成績はぼくが中の上、ノブは下の下、だけどぼくは圧倒されていた。ノブはお百姓さんの子どもだ。教科書で草は刈れないもんな……でも、ぼくだって、母さんが帰宅する前までの手助けを、小学生から一日たりとも欠かしたことはない!
ぼくは一息ははいて、草と格闘しはじめた。
家を出てしまった父さんのことも含めて、母子家庭という響きは子どもながらに、沈んでいく夕日のように胸の底にいつもへばりついている。
それでも、翌日いっぱいまでに畑の雑草はすべて刈り取った。
広々と刈り倒された草の上では、色んな虫があわてて飛び跳ねている。青草の匂いのする涼しい風吹き抜けていった。
ノブのお母さんがむ麦茶を持ってきてくれた。
ふたりで一気に飲み干して、ふ~と空を仰いだ。
「あ~うまい!やっと終わった」
「うん!ありがとう、コウタ」
ノブのお母さんから茶色い封筒を手渡された。
「コウタくん、ありがとうね。ほんとうに助かったわ。これ少ないけれど、気持ちだから、お母さんにもよろしく、伝えておいてねネ」
帰り道、封筒のなかをのぞいてみたら、九百円も入っていた!
「ヤッタ!これで好きな物を買える」
ぼくはお正月と盆以外おこづかいをもらっていなかった。欲しいとは思っていたけれど、必要な勉強道具や月に一回のマンガ本も約束してくれている。下校すればテーブルに、ちゃんとおやつも用意してくれていたし、なにより、家は母子家庭ということが片隅にあったから口には出さなかった、でも。これはぼくが働いてかせいだお金だ。
ノブから草刈りのことを頼まれたことも、先に返事をしてしまっていたから、お母さんには伝えてなかった。お小遣いのある夏休み、自然と笑みがこぼれてしまう。
でも、家に近づくにつれ、違うことが胸の底からから頭に浮かんできてしまった。
「二日間、必死に頑張ったもんな……」
夏休みに一生懸命働いた自分のことを母さんに、知ってほしくなっていた。 働いて得たお金だってことも、知ってほしくなっていた。
「決めた!このお金は母さんに渡そう」
そう口にしたら、母さんの喜ぶ顔がいっきに目の前に浮かんできた。
ぼくは、家に着くと、帰宅した母さんがすぐに気づくように、テーブルの真ん中に九枚の百円玉を並べると、ヘヘッと笑みがこぼれてしまった。
「ただいま」
「おかえりなさい~」
予想通り、母さんはすぐにテーブルのお金に気づき、ぼくを見た。
「どうしたの?このお金」
ひたいの汗をぬぐっていた手を止めて、ぼくをじっと見つめた。
その表情が冷めていて、ぼくは焦って説明した。
「ノブのお父さんが腰を痛めて、草刈ができないからって、頼まれたから、このお金はそのお礼だって。母さんにもよろしくって」
「ノブくんのお母さんから?」
「そう、雑草がすごい伸びててさ、二日もかかっちゃった」
母さんの表情になんの変化もなかった。最初にお金を見た以外、触れることもなく、ぼくを見すえている。その口元がわずかに震えたと思った瞬間、母さんは声をあげた!
「コウタは、なにを考えているの!母さんは、こんなことをさせるために、毎日、頑張っているわけじゃないのよ!」
母さんはクルッと背を向け、洗い場に立って、無言で夕ご飯の支度に取りかかった……
ぼくはなにがおこったのかわからなかった……
どのぐらいたったのだろう、母さんは、ぼくの目の前にカレーの皿をトンとおくと、母さんは部屋を出て洗濯物をたたみはじめた。
カレーの味なんてわからない、ただ無言で飲み込んだ。
どうしてこうなったのだろう?
ぼくはなにも悪いことをしていない。握りしめていた手を開いたら、草刈のすり傷が目に映った。ぼくは、くやしすぎて悲しくなってきた。
母さんが戻ってきて、食器のあと片づけをはじめた、その音はガチャガチャといつもより乱暴に聞こえてぼくはテーブルの上にうつぶせた……
どのぐらいったったのだろうか。
「コウタ、おきなさい」と、肩を叩かれた。
顔をあげると、そこに、満面笑顔のヒマワリのような母さんの顔があった!
「疲れたでしょう。早くお風呂に入って、おやすみなさい」
ぼくはあふれでそうな涙を隠すため急いでお風呂場に飛込んだ。
翌朝。
母さんはすでに、仕事にでかけており、テーブルの端にていねいに折りたたんであった白い紙を広げたら、九枚の硬貨が出てきた。そこに、小さな走り書きがあった。
― これは、頑張ったコウタの汗です。でも、ひとつだけ、
困っている人から、お金は受けとっちゃダメよ ―
お金を自由にしていいのか、返してきなさいという意味なのか、ぼくは、くりかえし、母さんの文字を追っているうち、九枚の硬貨はどうでもよくなってきていて、そのまま母さんのドレサーの引き出しに納め、外にでた。まだ夏休みは始まったばかりだ。
了