それでも、前へ
文字数 1,974文字
朝、暗いうちに家を出た。
それが俺の日課だ。アップシューズを履き、川縁のランニングコースを目指す。
土手の上の道を、星空の下走り始める。
中学生の時、友達に誘われてラグビーを始めた。中学三年の時に県大会で優勝した。隣県にあるスポーツ強豪高校から推薦をもらった。順風満帆。俺は強いチームの一員となって、日本一を目指すのだ。
十五歳の俺は、希望に満ちていた。登校前にランニングをするのは、そのころからの習慣だった。
入学してみて当然だが、レベルの高さに圧倒された。特に上級生のパワーは段違いだった。
一年生の俺はBチームに入ることになった。
公式戦に出られるのはAチームの選手のみ。
一年間は我慢だ。そう思った。今の俺に三年生の先輩を追い越すことはできない。しかし、一年たったら三年は引退してしまう。二年生にも上手な人はもちろんいる。でも、俺だって彼らとは勝負できるのではないか思っていた。少なくとも、一年後には。
その思惑どおり、俺は二年生になり、念願のAチームに上がることができた。新人戦にはベンチに入り、先発メンバーと交代で出場した。
しかし、その後すぐに俺はまたBチームに戻されることになった。
ヘマをやったわけでもない。ただ、新一年生にとんでもない体格の奴がいたからだ。縦にも横にも大きく体幹が強い。そいつは地響きを立てて走り、力づくで敵をなぎ倒していけるのだ。
強いチームでは、「努力」は誰もがやっていることで、結局、生まれつきの素質がある者が一歩も二歩も先をいけるのだと知った。
俺の中には疑念が生まれた。このまま努力を重ねても、それを発揮する機会すら与えられずに終わってしまうのだろうか。他の選手が大きな大会で活躍するのを見ながら――たくさんの人の声援を受け、家族に応援されてプレーし、ときにガッツポーズをとるのを見ながら――「出場メンバーの練習相手になってくれたよき先輩」として、応援席に座って終わってしまうのだろうか。
俺にはまだ、それを受け入れる心の準備ができていない。
俺は応援じゃなくて、ラグビーがやりたかったんだよ。
練習じゃなくて、試合がやりたかったんだよ。
それは、身の程知らずの願いだったのだろうか。
少し明るくなってきた道の途中、俺は立ち止まった。息を乱したまま、両膝に手をつき、背中を丸めて地面を見つめる。悔しくて涙が出て、呼吸が乱れて走り出せない。
その時、背後から、タッ、タッ、と足音が聞こえた。近づいてくる。
そいつは俺を追い抜かして立ち止まった。着ているTシャツの背中のロゴが白く浮かび上がっているのを見て、俺は驚く。中学のチームで作った揃いのTシャツだった。
十五歳の自分がそこに立っていた。
「なんだよお前、こんなとこで立ち止まってんの?」
汗で濡れた髪をかきあげながら、過去の俺が振り返る。
その姿をよく見ようと目を凝らすのに、逆光でよく見えない。いつの間にか川にかかった橋の向こう側から、白い光が差し込んでいた。
俺は日差しを避けてうつむいた。
「みっともねえな。俺はこんな十六歳になりたかったんじゃねーよ」
俺は反射的に顔を上げた。言い返そうとするのに言葉がみつからない。
川の上に日が昇っていく。
赤く染まった空と、黒い橋。
眩しい光の中で、過去の俺は少し笑ったようだった。
「俺はいつだって最強だっただろ?」
目の前にいるのは、高校進学に胸を躍らせていた自分。
純粋に自分の可能性を信じていたころの自分だ。
「そう思ってた。……でも、現実はそんなに甘くないんだよ」
ふ、と力ない笑いが俺の口からもれる。
「ダッセえな」
そう吐き捨てて、十五の俺はまた走り出した。光の道を進んでいく。
くそ生意気だな、あの頃の俺。
急に腹が立ってきた。
十五の俺は今の俺より身長も低くて、筋肉も薄い。お前のほうが貧弱じゃないか。「俺は最強」? 勘違いすんなよ。あの時は偶然、自分が有利な場所に居られただけだったんだよ。なのに「俺はみんなより強い」って勝手に思い込んでいただけだったんだよ。
でもその勘違い野郎の姿が、今朝は眩しく見えた。
自分を信じて一心に走る背中には、誇りと意地がにじみ出ていた。
かっこいいってそういうことなんじゃないか。
今の自分は、かつての貧弱だった自分にさえ置いて行かれそうになっている。
俺も走り出した。地面を蹴って、前へ。
走り出せば、十五の俺をすぐに追い抜くことができた。
見たか、これが十六歳の俺だぞ。
ピッチをあげる。自分の心肺を、筋肉を、いじめるように負荷を上げていく。
苦しい。
でも――この先に十七歳の自分がいるはずだ。追いつくまで、このままの速度で行こう。
きっと、憧れの公式戦ジャージを着た17歳の俺が走っているはずだ。
その姿を視界に入れるまで、ただ一心に走り続ける。
了
それが俺の日課だ。アップシューズを履き、川縁のランニングコースを目指す。
土手の上の道を、星空の下走り始める。
中学生の時、友達に誘われてラグビーを始めた。中学三年の時に県大会で優勝した。隣県にあるスポーツ強豪高校から推薦をもらった。順風満帆。俺は強いチームの一員となって、日本一を目指すのだ。
十五歳の俺は、希望に満ちていた。登校前にランニングをするのは、そのころからの習慣だった。
入学してみて当然だが、レベルの高さに圧倒された。特に上級生のパワーは段違いだった。
一年生の俺はBチームに入ることになった。
公式戦に出られるのはAチームの選手のみ。
一年間は我慢だ。そう思った。今の俺に三年生の先輩を追い越すことはできない。しかし、一年たったら三年は引退してしまう。二年生にも上手な人はもちろんいる。でも、俺だって彼らとは勝負できるのではないか思っていた。少なくとも、一年後には。
その思惑どおり、俺は二年生になり、念願のAチームに上がることができた。新人戦にはベンチに入り、先発メンバーと交代で出場した。
しかし、その後すぐに俺はまたBチームに戻されることになった。
ヘマをやったわけでもない。ただ、新一年生にとんでもない体格の奴がいたからだ。縦にも横にも大きく体幹が強い。そいつは地響きを立てて走り、力づくで敵をなぎ倒していけるのだ。
強いチームでは、「努力」は誰もがやっていることで、結局、生まれつきの素質がある者が一歩も二歩も先をいけるのだと知った。
俺の中には疑念が生まれた。このまま努力を重ねても、それを発揮する機会すら与えられずに終わってしまうのだろうか。他の選手が大きな大会で活躍するのを見ながら――たくさんの人の声援を受け、家族に応援されてプレーし、ときにガッツポーズをとるのを見ながら――「出場メンバーの練習相手になってくれたよき先輩」として、応援席に座って終わってしまうのだろうか。
俺にはまだ、それを受け入れる心の準備ができていない。
俺は応援じゃなくて、ラグビーがやりたかったんだよ。
練習じゃなくて、試合がやりたかったんだよ。
それは、身の程知らずの願いだったのだろうか。
少し明るくなってきた道の途中、俺は立ち止まった。息を乱したまま、両膝に手をつき、背中を丸めて地面を見つめる。悔しくて涙が出て、呼吸が乱れて走り出せない。
その時、背後から、タッ、タッ、と足音が聞こえた。近づいてくる。
そいつは俺を追い抜かして立ち止まった。着ているTシャツの背中のロゴが白く浮かび上がっているのを見て、俺は驚く。中学のチームで作った揃いのTシャツだった。
十五歳の自分がそこに立っていた。
「なんだよお前、こんなとこで立ち止まってんの?」
汗で濡れた髪をかきあげながら、過去の俺が振り返る。
その姿をよく見ようと目を凝らすのに、逆光でよく見えない。いつの間にか川にかかった橋の向こう側から、白い光が差し込んでいた。
俺は日差しを避けてうつむいた。
「みっともねえな。俺はこんな十六歳になりたかったんじゃねーよ」
俺は反射的に顔を上げた。言い返そうとするのに言葉がみつからない。
川の上に日が昇っていく。
赤く染まった空と、黒い橋。
眩しい光の中で、過去の俺は少し笑ったようだった。
「俺はいつだって最強だっただろ?」
目の前にいるのは、高校進学に胸を躍らせていた自分。
純粋に自分の可能性を信じていたころの自分だ。
「そう思ってた。……でも、現実はそんなに甘くないんだよ」
ふ、と力ない笑いが俺の口からもれる。
「ダッセえな」
そう吐き捨てて、十五の俺はまた走り出した。光の道を進んでいく。
くそ生意気だな、あの頃の俺。
急に腹が立ってきた。
十五の俺は今の俺より身長も低くて、筋肉も薄い。お前のほうが貧弱じゃないか。「俺は最強」? 勘違いすんなよ。あの時は偶然、自分が有利な場所に居られただけだったんだよ。なのに「俺はみんなより強い」って勝手に思い込んでいただけだったんだよ。
でもその勘違い野郎の姿が、今朝は眩しく見えた。
自分を信じて一心に走る背中には、誇りと意地がにじみ出ていた。
かっこいいってそういうことなんじゃないか。
今の自分は、かつての貧弱だった自分にさえ置いて行かれそうになっている。
俺も走り出した。地面を蹴って、前へ。
走り出せば、十五の俺をすぐに追い抜くことができた。
見たか、これが十六歳の俺だぞ。
ピッチをあげる。自分の心肺を、筋肉を、いじめるように負荷を上げていく。
苦しい。
でも――この先に十七歳の自分がいるはずだ。追いつくまで、このままの速度で行こう。
きっと、憧れの公式戦ジャージを着た17歳の俺が走っているはずだ。
その姿を視界に入れるまで、ただ一心に走り続ける。
了