ジェスと池の幽霊

文字数 1,604文字

 ある時期の子どもは、ある時期の大人よりずっとかしこいのです。ジェスの家がいくらか悪趣味だということは、子どものジェスが一番よくわかっていました。
 それはまるでおとぎ話の神殿や宮殿のようでした。なにやらよくわからない石像とか、ばかみたいに大きな玄関、巨人の足みたいに太い柱や、家の中へ入るとあんまり高すぎる天井!ぜんぶの造りがあまりに大きなこの家のなかを見まわすと、ジェスは、ヘンリーおじさんが快活に笑って「いつか家で小振りな怪物でも飼いはじめるんじゃないか」と言ったのを思い出して恥ずかしくなりました。
 ジェスの家はこういう家なので、もちろんとても広い庭がありました。ジェスは、しっかりした木材や上等の布地で作られた家具に圧迫されて、息が詰まりそうになると、いつもこの庭へ出ました。花々の香るこの庭で、ジェスはやっと深呼吸するのです。この庭の端にある小さな池は、ジェスがとくに気に入っている場所です。手入れをされるわけでもないのに、この池の水はずっと澄んだままで、ジェスが池をのぞくと、ジェスの元気なあかい頬が水面に映るのです。ジェスはその日、妹のヘンリエッタと走って遊んで、ヘンリエッタが疲れて家のなかへ入ったあとに、また池の方へ行きました。ジェスはいつもヘンリエッタと一緒にここへ来たいと思うのだけれど、ヘンリエッタにはこの池が見えないのです。ジェスの両親もそうです。ジェス以外には、不思議とこの池は見えないようでした。だからジェスは、みんなに変なふうに思われないようにいつもひとりで池へ行くのです。
 池の水をさわって、ジェスは池にあいさつしました。
「こんにちは!」
「ああ、ジェス。こんにちは。ここへは朝もきたじゃないか。よっぽどここがすきなんだね」
「そうだよ!だって、ここへいると落ち着くもの」
「ああ、でもジェス。こんなところにいつまでもいてはいけないよ」
「それはどうして?」
「だって、ジェス。ここはほんとうではないのだから」
「でも、ぼくはほんとうだよ」
「ああ、もちろん。ジェスはほんとうだよ」
「じゃあ、きみだってほんとうじゃないか」
「ああ、ジェス。そうだったらどれだけ素晴らしいだろう」
「きみがほんとうでないなら、ぼくはほんとうがわからないよ」
 ジェスのまるい眼にはなみだがたまってきました。
「ああ、ジェス。ごめんよ。わたしだって、ほんとうだとも。ああ、そうだね。そうだとも。だって、きみがほんとうなのだからね」
 池はうつくしさをなくして、しだいに濁りはじめました。
 ヘンリエッタが家のなかから両親を連れて出てきてジェスを見つけると、ジェスの方へやってきました。ジェスの家族は、ジェスのところへ来るなりみんな一斉に話しはじめました。
「あら!ジェス。池のお水なんかさわって!きたないじゃないの。はやく手を洗ってきなさい」
「ジェス。宿題はおわったのか?」
「おにいちゃま。池とおはなししていたの?」
 濁った水面をジェスはやさしく撫でました。すこしだけ時間がとまりました。ジェスは濡れた手を芝で乾かして、なみだを袖でぬぐって、家族みんなが一斉にジェスに話しかけたことに元気に答えはじめました。
「おかあさま。池の水はきたなくないよ。でも、ぼくここをいくらかきれいにするよ!」
「おとうさま。きょうは宿題はないよ!」
「ヘンリエッタ。そうだよ。おにいちゃんは池とおはなししていたんだよ。それよりヘンリエッタ!池はほんとうにここにあるね?」
「おにいちゃま。池はこうしてここにあるじゃないの。おにいちゃまが忘れているだけで、宿題がほんとうはあるように」
 ひとつつよい風が吹いて木々が揺れました。風が庭を通り抜けて去って行くと、ジェスはすこしさびしくなりました。けれど、あれが自由に野を駆けるのだと思うと、ジェスはすぐにまた元気になって青空のようにほほえみました。
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