第1話

文字数 1,952文字

「なあ、ちょっと!」

今日から小学校は夏休み。ぼくひとりのリビングにどこからか
「こっちや」
関西弁の女の人の声が聞こえる。

「ここや!」

ベランダに出ると、ぼくが育てているゴーヤのつるに小さな人形が引っかかっていた。

「え?人形?」
「人形ちゃうわ!引っかかってんねん!何とかして!」

と、その小さい人がどなった。ぼくは工作用のはさみを持ってきて、その人にからまっているゴーヤのつるを切ってあげた。ついでにゴーヤの実もいくつか収穫した。

(いち)時はどうなるか思たわぁ」

小さな女の人は、首をふり肩をまわし、ふわっと浮かびがった。背中に七色にかがやく透明な(はね)があって、とてもきれいだった。彼女はひらりとリビングに入ってきて、ネコの置物の上に腰かけた
ふわふわの金髪、紫色の目、ひらひらのフィギュアスケートの衣裳みたいなのを着て、身長は15㎝くらいしかない、そして翅。

「よ、妖精?」

それは童話の妖精そのものだった。その人はそうだとも、違うとも言わないで

「あーどないしよかなぁ」と腕をくみ
「ボクでは話にならんな、誰か大人おれへんの?」

と言った。ぼくはちょっとむっとする。
さっき助けてあげたのに失礼だ。

「ボクじゃないです!森田(もりた)(あおい)っていいます!」
「ふぅん、アオイくんか」
「はい」
「あたしはヨシエ」
「ヨシエさん?」
「せや」

話をきくと、ヨシエさんは「ちょっと旅行に来てて、知り合いとはぐれてしまった」らしい。
ぼくはヨシエさんが妖精の仲間たちと、人間に秘密の美しい場所をふわふわ飛んでいる姿を想像した。

夕方ママが帰って来た。
「ママ!見て!」
「お邪魔してますぅ」

ぼくはママがヨシエさんを見てすごく驚くと思ったのに、ママは
「え?」と言っただけで「すぐご飯つくるね」とキッチンに行ってしまった。
ぼくはヨシエさんをネコの置物ごと、自分の部屋に連れて行った。

(なん)なん?!反応 ()っす!」
「ママは疲れてるんだ」

ママはもっと笑ったり、驚いたりする人だった。でも今のママは心に余裕がないんだ。

「パパは?」
「・・・」

ママは黙ってるけど、パパが単身赴任先で浮気をしてること、ぼくは知ってる。でもパパは
ずるい人で「証拠があるのか」「お前の方がおかしい」とママの方が悪いように言っている。

「蒼くんは、ようわかってるなぁ賢いなぁ」
ヨシエさんにほめられてぼくはちょっと嬉しくなった。

「興信所に頼み」
「コーシンジョ?」
「探偵やな」
「た、探偵?!

ヨシエさんはふわりと翅を広げて、ぼくの目の前でホバリングすると

「見た目はナントカいう奴とちゃうで」
「あ、違うんだ」

ぼくは少しガッカリした。
「でも、それってお金がかかるんでしょ?」
(やす)ないな」
ぼくはもう一度ガッカリした。

次の日
「電話持っといで」
とヨシエさんが言った。家電の子機を持っていくと
「090××・・」と小さな体で両手に力をこめながらボタンを押し始めた。

「ぼくが代りにかけようか?」
「これは大人のすることや」

呼び出し音が鳴り「はい」太い声が聞こえた。

「あ!おっちゃん?あたしぃ~」

ヨシエさんが少し甘えた声を出す。

「ヨシエちゃんか?!今どこや?」

その次の日
ぼくとママは高級ホテルの広い部屋にいた。朝、ママがパートに出る前に
黒塗りの外車がヨシエさんを迎えに来て、ぼくたちも連れて来られた。

すごく貫禄のあるおじさんがテーブルをはさんで、ぼくたちの前に座り。
ヨシエさんはその人の肩にとまっていた。

「ヨシエが世話になりました」
「いえ・・・」

ママは真っ青になって頭を下げるのが精いっぱいだった。

「あたし蒼くんの家でエライ世話なってん、お礼したって」
「もちろんや」
「わ、私たちは何も!」

ママはぼくを庇うように抱きしめた。ママはきっと「お礼」を怖い意味にとったんだ。黒スーツのお兄さんが出てきて、テーブルの上に固そうな鞄をおき蓋を開けた。そこには札束がびっしり詰まっていた。

「ほんの気持ちだす」
「う、受け取れません」

ママが震えながら言うと、おじさんは

「受け取ってもらわな困ります」と怖い声で言った。
「何も聞かんと(もろ)とき」

ヨシエさんがひらりとぼくの肩に止まって囁いた。
ママは頭を下げお金を受け取った。

「それとなおっちゃん、ええ探偵紹介したって。離婚に強い弁護士と」
「まかしとき」

それからすぐママは、紹介してもらった興信所にパパの浮気の証拠を、言い訳できないほど集めてもらい。
弁護士をたててパパと浮気相手から慰謝料を取り。ぼくの養育費もいっぺんに払わせた。

ヨシエさんとはあれきり会うことはなかった。

大学の研究室の窓を覆うゴーヤに水をやる。
夏の日射しを遮る「緑のカーテン」に、水滴が光る。

あの夏、対応を間違っていたら、僕も母もきっと消されていた。
彼女は決してファンシーな存在じゃないのが、今はわかる。

でも僕はまたいつか、もう一度彼女に会いたい。


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