第1話

文字数 1,997文字

今日から夏休み。カレンダーの8月末日までの文字が、輝いて見える。
小学5年の里流(さとる)は、夏休みを満喫するために宿題を早めに片付けようと、課題にひと通り目を通した。
国語と算数のドリル、工作、読書感想文、自由研究……。
その中に、彼の興味を惹くものがあった。
「僕(私)の発見」
夏休み中(少し前でも可)に、君が発見したことを書きなさい。あくまで君にとっての発見で、世の中では既知のことでいい。
コペルニクスの地球は動いている(地動説)のような壮大なものから、朝顔の蔓は右巻きだったとか、自分の名前は姓名判断で4歳の時に改名されていたといった個人的なことでも良い。
君にとっての最新の発見であればいい。

という課題だが、里流は、なんだか面白そうだと思った。しかし、なんでもいいということは、かえってターゲットを絞るのが難しかった。
これから知識の海へ漕ぎ出していく小5の少年にとって、毎日が発見の連続と言えた。
「火垂る」をほたると読むのだと知ったということも最近の発見のひとつで、そうした発見は無数にあって、その中から選択しなければいけない。
いや、ただ漢字の読み方を知ったぐらいでは、ありきたりでつまらない。ここはひとつ、独創性を感じさせる発見であるべきだ。
買ってもらった天体望遠鏡で新星を発見なんてカッコいいけれど、星にそれほど興味ないし、第一天体望遠鏡を買ってもらう予定もない。
ユニークな発見と、あれこれ頭を悩ませた里流は、急に甘いものが食べたくなった。

「お母さん、何かおやつある?甘いものがいい」
キッチンに行くと、そこではちょうど仕事を早めに切り上げた母が、スーパーで買った食料を冷蔵庫にしまっていた。
「それなら、水ようかんがあるけど?」
母もお相伴すると言って緑茶を淹れ、食堂のテーブルに差し向かいで座って水ようかんを食べた。
母と一緒におやつを食べるなんて、久しぶりだった。これも夏休みならではの光景だろう。
水ようかんの和菓子特有の甘みを味わっていると、里流の記憶が不意に春にさかのぼった。
「僕、和菓子好きなんだけど、春限定のあの桜餅が特に好きだな。粒々したお餅であんこを包んでいるのがいい」
「あれね、道明寺でしょ」
「そう、道明寺!なんで道明寺っていうの?」
「関西にあるそのお寺でもち米の道明寺粉が作られたかららしいわよ」
「それと、桜の葉っぱが巻いてあるのもいいね」
「あれは、桜の葉の塩漬けね。食べるとしょっぱいでしょ?桜の葉は保湿と抗菌作用でお餅を保護しているの」
「それがいいんだよ。あんこの甘さと葉っぱのしょっぱさが調和してさ」
「ふふ、食レポみたいね」
と母は笑った。
水ようかんを食べきった里流はまだ少し熱いお茶を一口飲んで、夏休みの課題の話を母にした。
「僕の発見?」
母親は、面白そうに眼を輝かせた。
「牧野博士も発見しなかったような新しい植物を発見するとか?」
「新しい天体を発見するとか、そういう本格的な発見じゃなくて、個人的なことでもいいんだよ」

母親は音を立てずに茶をすすり、その一瞬の静寂の中で遠い昔に帰って行った。
そして、催眠術を解かれたようにハッとしたかと思うと、語り始めた。
「昔、私が小学生だった頃、クラスの男の子が、梅雨に雨が沢山降るのはなんでだろうって考えたの。梅雨前線とかそんな科学的な説明じゃなくて、何か迷信とかそういった類の理由はないのかなって。
それでね、彼はアジサイの咲く庭でアジサイの葉っぱの音を聞いて、閃いたの。アジサイが『雨よ降れ』って雨乞いをしているから、梅雨に雨が降るんだって」
母親はまるで自身の初恋の話をするようにそう語った。
「それが、その人にとっての発見だったんだね」
母に30年ほど昔の出来事を思い出させたのは一体何だったのだろうと、里流は不思議に思った。

里流は自室のベッドに仰向けに横たわって、考えを巡らせた。
「アジサイが雨乞いをしてるって、いいな。どんな雨乞師より効果があるんだろうな」
雨から海へと、里流の思考は流れて行った。
「海の水はしょっぱいけど、雨や川の水はしょっぱくない。それは、悲しみを抱えた人たちが海に行って叫んで、涙を海に流すから。うーん、ちょっとありきたりかなあ」
海から思考をそらそうとしたとき、里流はさっき母と話した道明寺のことを思い出した。
しょっぱい桜の葉……、しょっぱい海の水
一見つながりがないが、そこにこそユニークな発見がありそうだ。
海は地球の70%を占めている。海を、地球を包んでいる桜の葉になぞらえてみよう。
しょっぱい海が甘い地球を包んでいる、か。
実際に地球の中にあんこが詰まっていたら、すごいだろうな。
発見は、これに決めた!
しょっぱい海は道明寺の桜の葉っぱのように地球を包んで、甘辛のバランスを保っている」
里流は満足して、そのままベッドでまどろんだ。
地球がモチモチのピンク色になって、巨大な青い葉に包まれている夢を見ながら。
(了)

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