7:アルカデイア王国 外交大臣 トルト・ガルファの証言 弐

文字数 2,745文字

 私は時間がかかったが、なんとか王宮に辿り着いた。
 勿論正門からは入れないから、夜半に水路を通るしかないと考えた。だが、実際行ってみると、巨大な蛇のような魚が泳いでいて、とてもではないが入れない。
 ならば、緊急時の脱出用通路を使ってみようと考えた。これは先代の王が作ったものだが、エーデルは存在を知らないはずだ。

 何故なら――それを伝える前に、エーデルは先代王を毒薬で――いや、今のは忘れてくれ。私は鈍い男なのだ。十歳の子供が、権力を欲して自分の父親を殺すことなぞ、絶対にない――と信じたいのだ……。

 ……話が逸れたな。
 ともかく、脱出用通路に私は入った。だが、通路に張る蜘蛛の巣はやけに頑丈で、そこに(ねずみ)がかかって干からびて死んでいた。こそこそと人のささやき声のような音が聞こえ、一度だけ――あれは今でも見間違いだと思っているが――熟れた果物のような頭をした子供の顔が見え、その下に毛むくじゃらの蜘蛛のような体が――

 い、いや、ともかく、私は通路を抜け、中庭に出たのだ。
 そこから先は、記憶が断片的になってしまうのだが……私は王の寝室に行くために外壁を昇ろうと考えた。寝室の下には非常時のために先代がこしらえた、足がかりがあったのだ。これは(つた)や文様に隠れて見えないようになっていた。
 しかし、私は非力だ。登っている最中に落ちてしまうかしれない。
 やめるべきか、しかし他に道は――

 そうしたら、私はあっさりと発見されてしまったのだ。衛兵は私を何度も殴りつけた。気が遠くなり、誰かが叫んでいる声が聞こえた。そうして、私は冷たい石の回廊を引きずられていったのだと思う。

 意識が戻った時は、私はエーデルの前にいた。
 あいつは、正装をし、玉座に腰かけていた。
 私は再び殴られ、気が遠くなる。
 何故戻った、と聞かれたのだと思う。
 王を殺すため、と答えた。だが、唇が腫れあがって、私の耳にすら言葉として認識できない声しか出せなかった。
 察しはつく、とエーデルは笑い、指を鳴らす。これは今から楽しいことが始まるぞ、という時の癖だった。
 足音がした。
 痛む顔を何とかそちらに向けると、玉座の間に彼が入ってきた所だった。
 彼は上半身には何も着けていなかった。
 だから、彼が何をされたか、エーデルが何をしていたかが、ようやくはっきりと判ったのだ。

 私は彼をキメラにしたのだろうと考えていた。
 人と獣を合わせた怪物にしたのだろうと。
 だが、真実は更にもっと悍ましかった。
 彼の両肩には、老人と女の顔が縫い付けられていたのだ。勿論その顔は飾りではない。老人は皮肉めいた笑みを私に向け、女は舌を出しておどけて見せたのだ。
 どうだね、とエーデルは嬉しそうな声を出した。

 こいつの二つの頭は生きている。生きて、それぞれが魔法を行使できる。だから、複数人必要な魔法も一人でできてしまうのだ。
 剣を振るいながら、魔法を縦横無尽に行使できるのだ。
 これほどの、兵器は世界を探しても見つかるまい。
 これを造り出すのに、五千もの血を流した。
 子供の腕を断ち、妊婦から胎児を引きずり出し、老人の脳を煮詰めた。
 役に立たない愚かな血であったが、余のために流せて、連中も本望であったろう。
 しかも、あのような百万の兵力を持ったキメラに生まれ変われたのだ。
 感謝してほしいくらいだ。
 しかし、こいつが生きて帰って来たという事は、見事、『性能実験』は成功したというわけだ。連中も今頃は煉獄(れんごく)にて、歓喜の絶叫をあげて私を褒め讃えているに違いない!

 エーデルはそう言って笑った。
 取り巻き達も笑った。
 誰一人、目の前にある自分たちがやってしまった事の結果について、罪の意識を感じていなかったのだ。
 さて、最後に何か言う事はあるか?
 エーデルの嘲るような言葉に、私はなんとか言葉を絞り出した。


 かくて、国は終わりけり――


『その通りだ』
 彼がそう言った。
 何? とエーデルが(いぶか)しげな顔をする。
 彼が動いた。
 殴られた所為か、目には止まるのに、追えない不思議な動きだった。彼の影が元居た場所にとどまっているのに、本物の彼はすでに取り巻き達の胴を薙ぎ、衛兵の首を刎ね、エーデルの両の足を切り落としていたのだ。
 悲鳴すらあがらずに、たちまちのうちにエーデルと私、そして彼以外が死んだ。
 エーデルは頭から股まで両断された従者の手から、呼び鈴を取ろうとしたが、その手を断ち切られ、私と同様に無様に床に転がった。
 血が扇状に広がり、エーデルの体が大きく震える。

 な、何故――

 エーデルの言葉に私は思わず笑ってしまった。
 老人と女も笑った。
 彼は、私を抱き起すと、何かを唱え始める。
 知っている魔法だった。
 同時に老人と女が、やはり何かを唱えだす。

 彼の魔法は転移。
 私と共に逃げるのか――しかし、王を殺して逃げるのは無理だ。何より、お前を待つ妻の事を――ならば、私に華を持たせてくれ――王を殺し、果てた大罪人という毒の華を――

『妻はキメラになりました』
 私は絶句した。
『あなたは全てを見て、全てを理解しましたか?』
 私は頷く。
『ならば、生きて、いつの日にか真実を公にしてください。この非道を繰り返さぬよう警告をしてください。それが、私からの生涯一度のお願いです』
 私の頭に、ふいとむこうを向いてしまった彼の幼い姿が浮かんだ。
 涙が出た。

 こんな――こんな酷いことがあるのか――一体彼が何をしたのか――ただ生きていただけじゃないか――神はどこにおられるのか――

『わしらの魔術が完成し、こいつがわしらと同じ魔術を唱え終わる時、この城は消え失せる』
 老人は重々しくそう言った。
『だから、クソ爺は邪魔だから早くどっかに行けってことよ!』
 女はそう言って、床をはいずるエーデルに唾を吐きかけた。
『では、これでお別れです。さようならお父さん』

 お父さん

 もしかしたら、それは私の妄想なのかもしれない。
 だが、ともかく、彼は私に微笑み、そして、こう言ったのだ。

 ランサ、と。

 私は光に包まれ、次の瞬間、バタク山の山頂に投げ出されていた。
 光が見え、そちらに顔を向けると、城が光の柱の中で粉々に砕けていくのが見えた……。

 これが、全てだ。
 私は意識を失い、ずっと悪い夢の中を漂っていた。
 夢の中で、ランサという彼の声と共に、どす黒い光が現れる。エーデルはそれに飲み込まれながら、悶え、絶叫し、肉をそぎ落とされ、内臓が蒸発し、それでも死ねないまま、虚空に放り出され、永遠に悲鳴を上げて回転しているのだ。
 正夢であってほしい、悪夢だったよ。

 ん?
 私を介抱していた奴がいた?
 テーブルの上に、ランサの花が?

 ……全く心当たりがない。
 気まぐれな炭焼きが世話を焼いてくれたのだろう……。
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