第1話

文字数 1,996文字

 あの日、あの時こうしていれば、今頃違った未来があったのだろうか。何だか有名な曲の歌詞みたいだが、今さら過去の話をしたところで、変えられないし、変わらない。それでも人は、仮定してもどうしようもないことに縋りたくなる。
「先輩、聞いてるんですかー?」
 最近、彼氏と別れたばかりという美弥ちゃんと飲みに来ていたのに、少し思い耽っていた。
「ごめん、ごめん。聞いてるよ。えっと何だっけ?」
「もう、聞いてないじゃないですかー」
 そう言ってわざとらしく膨れっ面をする美弥ちゃんは、あざとかわいい。
「いいなあ、若いって」
「もう、どうしたんですかー。そんなことで誤魔化されないですし、何も出てきませんよ」
 甘えた口調だが、実はロングアイランド・アイスティーという、やや度数高めのお酒を飲んでいる。
「あのね、私とだからまだいいけど、男の人と一緒だったらお持ち帰りされてるよ。別れたばかりだからって、ヤケにならないの。美弥ちゃんは、そんなヤツと別れて正解。もっといい人現れるよ」
「そんな、テンプレみたいな慰めはいらないですよー。私は今日、飲みたいですし、話を聞いてもらいたいんですー。そりゃあ、いい男がいたら持ち帰ってもらいたいですけどね。そういえば、先輩の恋バナあまり聞いたことないですね、何かないんですかー?」
 苦い過去に思いを馳せていたこともあり、大したものじゃないよと言いつつ、話し始めた。
「今の会社入る前にさ、勤めてたところあるんだけどね。そこの近くに通ってた定食屋さんがあったの。家族経営のこぢんまりした店でさ。息子さんが主に料理を作ってて、通ううちに顔見知りになって、ちょっと喋るようにもなっていったの。チキン南蛮が美味しくって。他にも生姜焼きとか家庭的な味でホッとしたの。前の会社、ブラックだっただけに、そこに癒しを求めていたのかな。食べて、喋って、元気をもらえるって感じだった。何度も通ってるうちに、口には出さないけど、お互いいいなって思ってるのがわかってきて」
「ええ、何ですかー、そのむず痒い感じ」
 そう言いながら、美弥ちゃんは目を輝かせている。
「そう、お互い気があるのに、言わないみたいな。その人のお母さんである女将さんがさ、私がお店に行くといらっしゃいって言ってくれるけど、ちょっと不機嫌になるの。息子が気になっている女はどんなヤツだと査定していたのかもね。それに、かわいい息子を取られたくないって感じだったのかな」
 その様子を思い出しながら、ソルティ・ドッグを一口飲んだ。
「そんな、想い合ってるのに、お店の外で会うことはなかったんですか?」
 美弥ちゃんが不思議そうに聞いてくる。
「うーん。何かね、そこまでは行かないんだよね。お互い、探ってるところはあったと思うけど。あ、一度だけあったんだ。ますます仕事キツくなってきてさ。お店に行く時間もなくなってきて。このままいくと、体壊しそうってなってた頃、仕事終わって会社の外に出たら、彼が待っててくれたの。最初、疲れてるから幻でも見てるのかなって思って。お店行けてないな、またチキン南蛮食べたいなって思ってたら、居るんだもん。びっくりして、嬉しくて。お店に顔を出さないから、心配してくれてたみたい」
 美弥ちゃんがキャーと叫び出しそうだ。彼女の目がますます輝いている。
「ええーっ。それでどうなったんですか? でも、一度だけって?」
 少し言い淀みながらも、続けた。
「あ、うん。えっとね。何か恥ずかしいな。私、泣き出しちゃったの。向こうは慌てちゃってね、大丈夫ですかって。缶コーヒーを飲みながら、少し話したの。私が痩せたのにも気づいたのかな、ちゃんと食べてるか心配でしたって言ってくれたの。また店に来てくださいって」
「もう、何ですか。ここは好きって言って、ギューして、チューでしょ。ここまでくると、もどかしいを通り越して、イライラします。いい大人が何やってるんですか! 缶コーヒーを飲んで終わりですか? 先輩から抱きつくくらいすればよかったんですよ」
 美弥ちゃんは、さっきから感情が忙しい。やっぱり美弥ちゃんくらいできないと、そこから先には進まないようだ。
「まあ、その時は時間も遅かったし。彼もお店終わってから待っててくれたみたいだしね。それからも、なかなかお店に行く時間作れなくて。もう、体力的にも、精神的にも無理ってなったから、会社辞めて実家に戻ることにしたの。会社辞める前にようやくお店に行けて。久しぶりに食べた、チキン南蛮が美味しかった。帰りにやっと連絡先交換できたの。ある夜、彼から食事に誘われたけど、ちょうど母が引っ越しの手伝いに来てる時で。断っちゃった。母と居たいって」
「何ですか、それ。何やってんですか? もう、新しい恋探しに2軒目行きますよ」
 美弥ちゃんは切り替えが早い。あの日、あの時、一緒に食事に行けば変わっていたのかもしれない。
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