第1話 「パン屋」

文字数 652文字

scene-1

さすが、今東京で一番人気のベーカリー。
二号店のオープン日にはマスコミが大勢来ていた。私はティーン向け雑誌のライター兼カメラマン。ニコニコしながらインタビュー取材に応じている長身のイケメンは、オーナーの夏目達也だ。
私はそんな彼をファインダー越しに覗きながら、小さく呟いた。
ーすごいじゃん!たっくんー

scene-2

小学校の頃、近所に住んでいた男の子‥それがたっくんだ。
私の父がパン屋をやっていて、彼はよく店にパンを買いに来ていたから、少しは話したことがある。まあ、20年も前の話だ。私のことは覚えてないだろう。ライバル誌のライターが質問した。
「パン職人になるきっかけは、何だったんですか?」
たっくんは軽く笑って答えた。「それは‥内緒ですね」

scene-3

帰りの準備をしていると声をかけられた。
「美穂ちゃんだよね?すぐ分かったよ」
たっくんは私を覚えてた!嬉しくなって図々しくこう聞いた。
「幼馴染の特権で聞くんだけど、さっき内緒だって言ってたこと教えて」
たっくんはちょっと照れてこう言った。
「好きだった女の子の家が、パン屋さんだったんだ」

scene-4

言葉を失っている私にたっくんは続けた。「大好きで、でも何も言えなくて‥結局、パンばかり買いに行ってた。そしたらパンが好きになっちゃった」
たっくんは小声で「内緒だからね。記事にしないでよ」と言った。

あぁ、人生って時々素敵なことが起きる!

「僕のパン食べてってよ」たっくんは笑顔でそういうけど、ひとかけらでも父の味がしたら泣いちゃうかもしれない。


end
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