シュワシュワ

文字数 1,919文字

「赤になるな 赤になるな」

点滅する信号にそう暗示をかけながら
私は横断歩道を駆け抜けた。

首に纏わり付いたポニーテールを元の位置に戻す。


社会人になり1ヶ月が経とうとしている。


大学卒業を機に地元に戻り、公務員として市役所に就職することになった。

ここ1ヶ月、背中に板を貼り付けたように
ピンっと張った姿勢をしている時間が多かったせいか疲れが溜まってきたみたいだ。



今朝はいつもより20分寝坊をしてしまった。
でもまだ間に合う。



間に合った。
セーフ!


「夏木さんおはよう」
「おはようございます!」
課長の瀬良さん。
私の父親と同じくらいの年齢で、
親しみやすくて柔和なおじさんだ。
すごく頼りになる。

「夏木さんおはよう 昨日言ったアレ、確認よろしくね」

「はいっ!」

住原さんは書類をペラペラめくりながら
こちらに向かって来た。

とても機敏で私とは正反対である。

絵に描いたようなキャリアウーマンだ。
少し憧れている。


私は自分のデスクに向かった。
「よしっ」
誰にも聞こえないような小さな声で気合いを入れ、パソコンの電源をつけた。
すると
「ふふふ」
微かな笑い声が聞こえた。
「え?」
私は隣に目をやる。
同期の宮田ちゃんが目を細めて笑っていた。

「今日が終わったらいよいよゴールデンウィークですね」
彼女はヒソヒソと話す。

「夏木さん、予定とかあるんですか?」

「特にないかな…友達と会うくらいです」

「いいね!私は遠距離中の彼氏に会いに大阪に行きます!」
小さい声だけど弾んでいて喜びが伝わってくるそんな声だった。



私は仕事を終え、足早に駅に向かった。
今日はずっと楽しみにしていたことがある。


「やっほー!美沙 久しぶり〜
会いたかったよー!元気してたぁ?」

大学時代の友人、果穂は私に気がつくなり飛びついて来た。

「久しぶり!」

果穂の匂いだ。
柑橘系の清々しい香り。
少しうるっときてしまった。


「ねえ、美沙の地元は空気がおいしいねぇ。
私なんてコンクリートジャングルの中で毎日窒息しそうだよ」


果穂は大学の頃から憧れていた東京の医薬品会社に就職した。
わざわざ東京から新幹線に乗って私に会いに来てくれたのだ。



「かんぱーい!」
2人の声が揃った。この感じ懐かしい。

たった1ヶ月前にした『お別れの会』が
うんと昔に感じる。

「ぷはぁ。うまいっ!」
グラスを片手に果穂は呟いた。


「最近どうよ?」
井戸端会議中のおばさんのような口調で果穂は問うてきた。


「まぁいい感じかな上司も優しいし。果穂は?」


「え?私もまあ覚えること多くて大変だけど楽しいよ」


「で?美沙はいい人いた?会社に」
のめり込むようにして果穂が聞く。


「いやぁ分かんないなぁ」

まだ入ったばっかりで自分の部署以外ににどんな人がいるのか把握する余裕がなかった。

「私はね、毎日彼氏に会えるのが幸せ!2年間の遠距離はほんっっとしんどかった」

果穂の『遠距離』という言葉を聞いて
私は宮田ちゃんのことを思い出した。

果穂の彼氏は大学のサークルで出会った2個上の先輩で東京の会社に就職した。

遠距離恋愛中の果穂をみていると
寂しがり屋の私には
遠距離恋愛なんて無理だろうなと思った。

(みんな、仕事に恋に一生懸命だなぁ…)

「よかったじゃん!果穂」

私はレモンサワーをごくりと飲んだ。

ふと周囲を見渡す。

斜め前の席に見覚えのある人がいることに私は気づいた。

「あっ、烏丸くん…」


「え…なに?美沙の知り合い?」
「うん」

(あの目のきわのホクロ、絶対に烏丸くんだ…)



「夏木さん…?
あぁ!夏木さんだ!久しぶり」



こんな声だったんだ。
私は烏丸くんの声変わりする前の声しか知らない。
その声さえ上手く思い出せない。

烏丸くんとは小学校が一緒で
私の初恋の相手だ。

サッカーが得意で勉強もできて
まさに小学生のモテる条件を兼ね揃えていた。

親に本屋で買ってもらったおまじないノートに
『修学旅行の班、烏丸くんと一緒になれますように‼︎』と書いたら本当に叶ったこともあった。

烏丸くんは中学はサッカーの強豪校を受験し、進学した。
それ以来、たまに近所で見かけるくらいだった。

まさかこんなところで…


(あれっ、烏丸くんの連れの人、確か研修会で一緒だった福祉課の加藤君だ…)


烏丸君が何かに気がついたように立ち上がる。
「え?夏木さんもしかして市役所?」

その「もしかして」だ。

私と同じ市章のピンバッジが烏丸くんの胸元でキラリと光る。


「ねぇ、一緒に飲まない?」
果穂が烏丸くんたちを誘った。


私は自分の頬がほてるのを感じた。
酔ったからではない。



忙しない日々の中にも思いがけない幸運が眠ってるものだ。
それを見落とさない人でありたい。

私は一口レモンサワーを飲んだ。

口の中にシュワシュワが広がる。

ずっとシュワシュワのままでいいのに…




さわやかなレモンは
初恋に似た味がした。












ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み