焼きまんじゅう

文字数 1,993文字

 7月某日。アミが行こうというので僕らは夏祭りにやってきた。この町には今年に引っ越してきた身で、祭りの由縁は全く分からないのだけれど。
「あ、焼きまんじゅう!買ってこ買ってこ!」
 アミの指差す先を見る。そこには確かに「焼きまんじゅう」と書かれた屋台があった。カランカランと下駄を楽しげに鳴らすアミに、僕はついていく。上州名物焼きまんじゅう。僕はその存在を聞いたことはあったが、実際に目にするのは初めてだった。一本の串に、大振りの白い饅頭のようなものが刺さっている。その表面は、茶色くテカテカとしたタレが塗られて焼かれ、何やら香ばしい匂いが漂っている。
 アミは屋台のおじさんから一本買った。
「焼きまんじゅうを見るの初めて?」
 まじまじと饅頭を見つめていたのに気づいたアミは、人なつっこい笑みを向けてくる。
「まあね。名前は知っていたけれど。なるほど、こんな食べ物なのか」
「あげないよ?食べたかったら自分で買ってね」
「ケチだなあ。一口ぐらい」
 知らない食べ物になけなしの金を使うのはハードルが高い。
「そうだなあ、ちょっと考えとく」
 ふふふと楽しげにアミはいたずらっぽく笑う。その様子に胸の奥がふわりと浮つくような思いがする。
アミ曰く、食べ歩くには難しいというので、いったん近くの公園まで移動して、そこのベンチに二人して腰かけた。
 美味しそうにまんじゅうをほおばるアミを僕は眺める。一口、二口と齧り取る口元が、少しタレで汚れるのを見た。
「そんなに見つめられると、食べづらいんだけど」
 二つ目のまんじゅうを食べ終えたところで僕の方を見てアミは言う。たぶん嘘だ。僕をからかっているだけ。
「いや、だって手持ち無沙汰なんだもの」
「ふーん。じゃあ、この焼きまんじゅうの味を想像してみるがよいぞ、君」
「そんな無茶な」
「それなら、ヒントをだしてあげよう。焼きまんじゅうはあまじょっぱいのです」
「みたらし団子みたいな味?」
「うーん、当たらずとも遠からず。しかし、似て非なるものなり」
「なんだそりゃ」
「このおいしさは体験してもらわないと、わからないだろーなー」
「だから、一口ちょうだいって」
「まあまあ、焦る乞食はもらいが少ないよ?」
 アミはそう言ってこれ見よがしに饅頭にかじりついた。
「あまじょっぱいって、甘くてしょっぱいって意味だよね?」
「まあそうだろうけど」
「でも、甘くてしょっぱいってだけじゃ、あまじょっぱいにならないと思うんだよね。例えばさ、ポカリとか。あれはあまじょっぱいかな」
「たぶん違う気がする」
「キャラメールコーン。これは?」
「あれはフツーに甘くないか?」
「そうかな?じゃあ、ぶりの照り焼きは?」
「それはあまじょっぱい」
「だよねだよね。だから、単純に甘くてしょっぱいだけじゃなくて、何か別の要素が無いとあまじょっぱいにならないと思うんだ。甘くてしょっぱい上に、濃くて、茶色で、しょうゆとか味噌とか、そういう感じのものが無いとダメな気がする」
 アミはまた饅頭にかじりついた。3つ目のまんじゅうを食べ終える。残りは一個だ。
「ちょっと似た表現であまずっぱいってあるよね。あれは、こんな悩みはないと思うんだ」
「こんなことで悩んでいるのはアミぐらいだと思うぞ」
「そうかなあ?まあ、それは置いておいて、あまずっぱいっていったら、甘くて酸っぱい。熟していない青い果物を思い浮かべるよね?甘酸っぱい思い出、青春なんて言ったりする。さわやかで少し甘くて、でも実らなかった思い。そんなイメージ」
 よくわからない方向へ話が進んでいる。アミはいったい何が言いたいのだろう。妙な緊張を覚える。
アミは4つ目の饅頭に口をつけた。
「でも、あまじょっぱいってさ、完成品なんだよね。あまじょっぱい食べ物は、料理として完成している。甘酸っぱいは不安だけれど、あまじょっぱいはなんか安心する。そんなことは無いかな」
「えっと、ごめん、ちょっとよくわからなくなってきた」
「わからないかー。そうかー」
 最後に串にささっていた饅頭の残りをアミは噛みとってもぐもぐと咀嚼する。何を考えているのか、その視線はどこを見るともなく、宙に浮いていた。
「おい、もしかして、僕に食べさせないためじゃないよな?あまじょっぱいがなんだの言っていたのは」
「……あ、ばれた?」
 いたずらっぽい笑みを浮かべるアミに、僕は嘆息した。
「まったく、食い意地がはってるんだから」
「まあまあ、買えばいいんだって」
「だからお金が……」
 と言いかけた僕の口をアミはふさいだ。
 唇でふさいだ。
柔らかい感触。わずかな抵抗。口先にもっと柔らかい何かが触れ、そして離れた。僕はただただ驚いていた。甘い余韻。静止した思考。その世界の中で、彼女は少し上気した顔で柔らかく微笑んでいた。
「覚えた?これがあまじょっぱい焼きまんじゅうの味。絶対忘れないでね。甘酸っぱい思い出なんかにはさせないんだから」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み