短い指

文字数 1,153文字

 ——見る。見比べる。

 整った顔。違えない、整えられた髪。私の知らない法則だったりに従って、整えられた衣服。

 ——生まれ持った長い指。

 車窓に映る、醜い私。
 それを実像で覆う、美しい女。

 ——女、女。ならば私は、何?
 醜い女。そう云えば、それで終いだけど。
 生物的な、違いさえ、感じる。
 でも、この女にピアノを弾かせてみてほしい。きっと、然程上手くはない、はず。
 私は幼少の頃から、黒鍵と白鍵を前に、莫大な時間を浪費してきた。なのに、私を見て、私が音色を奏でるまで、私にピアノが弾けることを、誰も想像はしない。
 けれどもこの女は、その美しい身なりから来る無限の存在感によって、無意識に熟練のピアニストであるかのように振る舞う。
 
 この女に、絵を描かせてみてほしい。屹度、私の方が上手い。
 私は、小学の頃から、蠢くクラスの群れを逸れて、誰も気づかない所で、無限にも等しい時間、絵を描いていた。
 なのにこの女は、身なりから放つ、底の見えない美意識によって、まるで有名美術大学卒であるかのように、無意識に振る舞う。

 ——警笛が鳴る。鉄の見せ物小屋の、醜き者専用の処刑場への接近を知らせる。
 一番車両。硝子越しに見える、機械的な車掌。それに、目をやっていた。
 ——目の前に座る、美しい女を、視界から追いやるために。

 少し浮ついた両の手を、賺すように見る。
 
 ——そしてまた、苛立ちを覚える。

 短い指に、不細工な爪。
 指先から、私が美しさを纏うことを否定してくる。
 私が生まれた時、母は何と思ったのだろうか。腹を痛めて産んだ子が、醜かった時、人は何を思い、どんな言葉を、その醜き赤子に浴びせるのだろうか。

 ——鉄戸が開く。ここで降りる、はずなのに。

 私が席を立った時、私の短い脚があらわになる。不細工な歩き方もだ。それを目の前の女は、澄ました顔で見るのだろう。
 
 立ち上がれなかった。

 人々が入れ替わりに出入りして、警笛と共に扉がゆっくりと閉まる。どれだけ人で溢れても、私の座る席の前にも、あの女の座る席の前にも、人は集らない。理由は違うのだろうけど、満員の鉄籠の中に、二つの空白が生まれる。
 群衆の隙間を通して、女の顔が見える。
 
 何度見ても、どれだけ目を細めて見ても、美しい女。

 女の背後の車窓に薄らと映る、何度見ても、どれだけ目を細めて見ても、醜い私。

 美しい髪、汚い髪。
 整った顔、不揃いの顔。
 綺麗な衣服。見窄らしい衣服。
 長い指、短い指。

 どれか一つ取り替えても、私は美しくはなれないのだろう。私の持つ美しさを、その他全ての醜さが、暗雲のように覆い被さって、否定するだろう。

 独り、苦しむ。泪を流して、針のような視線に晒されぬように、必死に、堪えて。
 溢れ出かけた泪を拭うのは、私の嫌いな、短い指である。
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