第1話

文字数 4,998文字

「日下部、ちょっとこい」通関士のかすみ姉さん(三十四歳独身)が手を振り回して怒鳴っている。しぶしぶ席を立ち、牢獄もかくやというオフィスを横切っていく。「お前の持ってきた未認可お薬だけど、区分三になったぞ。対策は考えてあるんだろうな」
 みるみる血の気が引いていく。「冗談でしょ。だってY崎総業のコンテナに紛れ込ませてあるんですよ。現物検査になんてなりっこない」
「AEO事業者だからってんだろ」憐れむような視線。「年に一回くらいはなるんだよ、それが。どうやらジャックポットを当てちまったらしいね」
 これは相当にまずい。バレればよくても社の通関免許剥奪、悪ければかかわった担当者(要するに俺なわけだが)は密輸容疑でしょっぴかれるおそれがある。「いままでお世話になりました。本日づけで退職させていただきます。正式な退職届は明日持ってきますので――」
「受理するわけねえだろうが」かすみさんの切れ長の瞳がより鋭くなった。「辞めたきゃこの案件をなんとかしてからにしろ」
 俺は観念した。「検査内容は決まったんですか」
「幸いにも部門検査だけだ。検査部門のやつらがこないだけ救いはある」
 意図せずため息が漏れる。「ドレイ屋と打ち合わせます。日程はあとで連絡しますんで」
「当然だけど、お前も立ち会えよ」
「もちろんそのつもりですけど、どうも当日に著しい免疫力の低下が起こりそうなんです」
「死んでない限りあたしが迎えにいってやるから安心しな」姉さんは邪悪な笑みを浮かべた。
 いまのは地獄の果てまで追跡してやるぞという決意表明である。ぶるりと身震いした。「アイ・アイ・サー。日下部真琴二十九歳、全力で当たらせていただきます」

 俺たちは違法通関屋だ。
 通関というのは文字通り、税関を通す――要するに貨物の輸出入許可を税関からもらう事務手続きのことである。海外旅行をして帰ってくるとき手荷物を検査されるだろう、まああれと似たようなもんだ。
 コンテナ船を利用する大ロット商業貨物の場合は、さすがに手荷物検査のノリで許可が下りたりはしない。しち面倒くさい書式にしたがって輸出入貨物の内容を申告し、許可をもらう必要がある。
 通関というのは通関業法やら外為法やらの鼻につく法律に基づいてなされる。これはノウハウのない一般人が自分で通関しようとしても、さっぱりわけがわからないことを意味する。
 ではどうするのかというと、代行でやってもらうのが手っ取り早い。刑事訴訟で被告人に六法の知識がないため、代理で弁護士が検察官と戦ってくれるだろう、あれと原理的には同じだ。それを商売にしているのがいわゆる通関業者であり、代行で輸出入申告をやるのが通関士である。実にくだらん仕事だ。
 それはともかく小売店で目にするメイドインチャイナは上記のような手続きを経て日本に入ってきている。だが厳密にはそうじゃない。毎日何千何万というコンテナが入ってきているというのに、いったい税関職員たちはどうやってそれらをさばいているのだろうという疑問が当然、湧く。
 答えは簡単だ。

。からくりはこうである。俺たち通関屋が一生懸命シコシコ申告書類を作って、それをNACCSという電算システムを通じて税関へ提出する。すると即座に審査区分が(神のみぞ知る判定基準によって)決定する。区分は一から三まであって、意味は下記の通りだ。

区分一 

、即許可
区分二 書類審査、問題がなければ許可
区分三 現物検査、問題がなければ許可

 大手メーカーの輸出や、大手輸入業者の輸入なんかはたいがい一で下りる。そして日本は大企業が輸出入を牛耳っている。もうおわかりだろう、ほとんどの案件は区分一、そもそも審査されていないわけだ。税関は貨物内容にいっさい関知していない。俺たち通関屋は荷主から預かったインヴォイス(商業送り状)で貨物内容は把握しているけれども、コンテナの中身を見たわけじゃない。知っているのは荷主だけだ(輸出入は性善説を採用しているともいえる)。
 ここに違法貨物輸入をねじ込む余地がある。ほぼ区分一で下りるとわかっている荷主名で申告すれば、システム上税関審査は回避できる。であるならば、好き勝手に麻薬なり拳銃なりをぶち込んでなぜいけない?
 おおまかに言えば、以上が俺たちのやりかただ。

 検査日当日、俺の免疫システムはいつも通り申しぶんのない仕事をやり、うんざりするほどの健康体で出社できてしまった。
 後部座席でふんぞり返っている森下かすみ嬢を乗せ、税関構内まで三十分のドライブ。ヘルメットをかぶり、申告書類がかばんに入っているか確認し、準備万端。はち切れんばかりの豊満な胸と尻を誇る熟女を先頭に、俺たちは税関へ乗り込んだ。
 検査場はいつきても活気にあふれている。コンテナシャーシが何台も駐車されていて、検査をいまかいまかと待っている。パレットを運ぶフォークリフトが縦横無尽に走り回り、検査会社の作業員たちが怒鳴り合っている(これは怒っているわけじゃなくて、リフトやシャーシの運転音がうるさいためだ)。
「おう、倉本海運さんか」検査会社の徳さんだ。しわくちゃの顔をいっそうしわくちゃにして笑顔を作った。「もうコンテナきてるぞ」
「ありがと徳さん」姉さんは職員を呼びにいった。
「どうだね景気は」
「悪かないですよ、おかげさんでね」
「あんたんとこが検査になるのはめずらしいな」
「そうだったかな」そりゃそうだ。俺たちの扱っている貨物が現物検査になったときは、すなわち死を意味するのだから。「徳さん歳だから覚えてないんじゃないの」
 熟女通関士が職員を連れて戻ってきた。やつは意地の悪そうな痩せっぽちで、ヘルメットはぶかぶか、めがねの奥の瞳は疑い深そうに細められている。「倉本海運さん、よろしくお願いします」
 俺たちは外交用の笑顔を瞬時に作り、ていねいに返礼した。
「貨物はオートパーツでしたよね」書類をめくる。「タイからの輸入と」
 今回検査をくらったY崎総業自体はなんらやましいところのない大企業で、由緒正しい自動車部品メーカーである(おまけにAEO事業者なので、原則区分三はおろか二にすらならない)。ではなぜうちみたいな弱小零細が担当しているかというと、コストダウンをよそに転嫁する悪癖があるからだ。自社に改善点がごまんとあるのは棚に上げて、なんでもかんでも外部に無茶を言ってごり押しする。
 通関料の減額(タダ同然の値段でうちは受注させられている)、ミスの尻拭い、海上運賃の値下げ交渉の丸投げ、その他いろいろ。こんな調子なのでどの通関屋も愛想を尽かせてしまい、最終的にうちがやることになったのだ。願ってもないチャンスだった。Y崎総業を隠れ蓑にいったいどれだけの輸入禁止貨物が日本に入ったことか。
「そいじゃ、扉開けるぞ」徳さんがシールカッターを片手にぶらぶらとやってきた。「おりゃっ!」
 掛け声とともにシールが切断され、コンテナが半開きになる。徳さんはまず片方の扉を開き、中身が崩れてこないことを確認してからもう片方も開いた。
 コンテナ内にはカートンが天井までぎっしり詰まっていた。インヴォイスに記載された通りである。1 CONTAINER, 600 CARTONS, AUTO PARTS。
「書類通りみたいですね」幽鬼のような職員は執念深そうに貨物を注視している。
「おい日下部」姉さんに耳もとでささやかれた。背筋がぞくぞくする。「現地での手はずはどうなってんだっけ」
「いつも通りですよ。作業員がバン詰めを終えたあとに、例のお薬を紛れ込ませました」
 例のお薬というのは日本では認可されていないけれども、外国では効果があるとして流通しているしろもののことだ(薬事法違反貨物)。タイ王国ではセキュリティにまで手が回らず、コンテナ詰めをする作業現場は羽虫の飛び交うジャングルとか、誰でも自由に出入りできる開放的な工場だったりする。うちの工作員が忍び込んでお薬の入ったカートンを滑り込ませるくらいは朝飯前なわけだ。
 あとは通関完了後、Y崎総業に勤務している協力者がデバンニング時に例のお薬だけを脇へ避けておき、こっそりうちの顧客である違法貨物専門輸入者へ横流しする。あとは通関料を回収して終わりだ。
「手前に入ってたりしないだろうな」心細げに最前列のカートンを指さす。「たとえばあれだなんて落ちは」
「そう願ってますけどね。なるべく奥へ押し込んでくれてるはずですけど」
「倉本海運さん、いくつか開封したいんですが、いいですか」
 職員が許可を求めてくるのはポーズにすぎない。事実上通関屋に拒否権はないのだ。
「どうぞ、気のすむまでやってください」姉さんが堂々と宣言した。心中穏やかでないのは目が泳いでいることからすぐにわかった。
「じゃあこれと、これと、それにこれで」
「徳さん、頼むよ」
「任せとけ」元気な老人がするするとガムテープを切り裂いていく。「開けるぞ日下部」
 一個めはなんの変哲もないオートパーツだった。内部パーツらしき金属の塊がごたごたと入っている。税関職員はもったいぶったようすでためつすがめつ、ねっとり観察している。
「日下部、あれ」またもや耳もとでのささやき。なにかに目覚めそうだ。「あれお薬の箱じゃないか」
 姉さんがあごで示したカートンをよく見ると、見まちがえようのない識別用のマークが貼ってある。よりにもよっていましがた検査指定されたやつだ。
「なんでこんな手前に置いてあるんだよ」
「知りませんよ。現地のオバリさんに言ってください」
「二個め、開けてもらっていいですか」
 徳さんが口笛を吹きながら作業しているのを尻目に、俺たちは脳みそをフル回転させていた。
「こっちも問題ないようですね」野郎の声はどこか残念がっているような響きがある。
 俺たちは覚悟を決めた。信じられないだろうが、どうすべきかが瞬時に以心伝心で了解された。
「あたしも手伝いますね」かすみさんが税関職員の対面に屈みこんだ。「ちょっと暑いですね」胸元のボタンを第二まで外す。推定Fカップの谷間が野郎の眼前に展開されたかっこうだ。
 ちらりと横目で確認する。職員の鼻の下は少なく見積もっても一マイルは下がっている。俺はほかの貨物を確認するふりをしながら、お薬の入った爆弾とそうでないカートンを光速の六十パーセントですり替えた。徳さんはタバコ休憩しにいっていたし、職員は相変わらずFカップの虜だった。
 危機は去った。間もなく当申告は輸入許可となった。

 その日の夜、俺は祝杯と称して強制的に身柄を拘束された。
 呑み屋へ連行され、乾杯。猛烈な勢いで呑み始める彼女を尻目に、下戸である俺はひたすらウーロン茶で文字通りお茶を濁す。
 好きたい放題税関の悪口を並べ立ててすっかり上機嫌のかすみさんが、不意に押し黙った。頬杖をつき、じっと見つめられる。「なあ日下部、なんでうちなんかに入ったんだ」
 肩をすくめた。「ほかに就職口がなかったんで」
 すべてを見透かしたような沈黙。観念するよりない。「俺は

とか

とか、そういうのが大嫌いなんですよ」
 熟女通関士は物憂げにソーセージをつまんでいる。「続けなよ」
「米の関税率は千パーセントを超えてて、効果のある外国製の薬はいつまでも認可が下りない。一部の農家を優遇するためにみんなが高い米を買わされて、病気に苦しむ患者が未認可薬を使えないせいで死ぬ」
 かすみさんは聞いているのかいないのか、そっぽを向いていた。
「母親は未認可薬を使えないせいで死にました。俺は国による殺人だといまでも思ってます」目から出る汗をおしぼりで拭う。「どんなものであれ、必ず需要がある。それは満たされるのを待ってる」洟をすする。「誰かがやらなきゃいけないんです。誰かが……」
「たとえ法を破ってもか」
「たとえ法を破ってもです」
 かすみさんは満足そうにうなずき、大きく伸びをした。おもむろに席を立ち、となりに腰かけられる。がっしりと肩を抱かれた。「日下部、今日は呑むぞ!」
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