第1話

文字数 2,363文字

うちの彼女は、人と会うときは常にマスクをしている。

「頼むから家にいる時は顔を見せて」

と言ったら、渋々といった表情で彼女はマスクを取ってくれた。

「私、顔見られるのあまり好きじゃないの。だから、あんただけよ。私の素顔を見れるのなんて」

そのときの拗ねたような困った表情は、今でも忘れられない。

何故、スマホで写真を撮らなかったんだ! 俺の馬鹿野郎!!

昔いつだったか、クラスの連中に

「お前の彼女、いっつもマスクしてんね。正直寂しくないの?」

「おれは、彼女が自分の前でもマスク外してくんないの耐えらんないけど」

おお、言ってくれるじゃないか。あいつの良さも知らずに

「ふふふっ、いいんだよ。あいつがそうしたいなら」

「なんだよ、それ?」

俺はチッチッと顔の前で指を振り、

「お子様な君たちには分からないだろうけど?」

と言葉を付け加えると、クラスの男どもはぶぶーと文句を言った。

俺が感じた優越感を誰が分けてやるものか。

彼女の素顔を見るのは、彼女の家族を除いた俺だけの特権だ。


※  ※  ※


2020年2月

新型コロナウイルスが日本で流行し始め、日本中、いや世界中の人がマスクをつけることが当たり前になった。

常にマスクをつけていた彼女は、マスクを大量に持っていたので困っていなかった。

しかし普段からマスクを大量に常備していない、うちの家はマスクを買うのに相当苦労した。

俺の家族がマスクを買えないことに嘆いていたら、彼女が少しマスクを分けてくれた。

父さんと母さんは、彼女と彼女のご両親に足を向けて寝られない思いでマスクを受け取る。

彼女が帰った後、俺に向かって

「あんないい彼女さん絶対に手放しちゃだめよ」

母さんはえらく真剣な表情で俺に言った。

「手放さねえし」


※  ※  ※


次の日

彼女がくれたマスクをつけようとしたとき、問題が発生した。

彼女がくれたマスクは、SサイズとMサイズ。
どう頑張っても、でかい俺の顔にはサイズが合わなかった。

彼女にマスクのサイズが合わなかったことを伝えると、ひどく落ち込んでこう言った。

「ごめん、Lサイズも常備しておくべきだった」

「いや、待て待て。落ち込むなよ。むしろ感謝しているくらいなんだ。母さん達も助かってるし」

なんで、落ち込むんだ?!っと動揺していたら、彼女はぽつっと言った。

「やっと彼女っぽいことできたかなと思ったのに」

「えっ?」

俺はポカンとした顔で彼女を見る。

「昔さ、クラスの男子が彼氏の前でずっとマスクをつけてんのってどうなのって言われてさ」

「はいっ?!」

誰だ、そんなこと言ったやつ?! 後でとっちめてやる。

「ずっとあんたが無理してるんじゃないかって、私と付き合ってるの」

本当に、その場に居たたまれなさそうな様子で彼女は言った。

「でも苦手なの。少しずつ、慣らしてきてるんだけど」

ああ、こいつの不安になんで気づいてやれなかったんだろう。

「あのさ、俺がお前にマスク外して欲しいって言ったの、どうしてか知ってる?」

「えっ、知らない」

「自分の彼女の色んな表情をみたい、拗ねてんのも、怒ってんのも、笑ってる顔も、全部見たい」

「だからと言って無理してマスクを外して欲しくないんだよ。俺だけの特権だからな!」

「特権? 何のこと」

彼女は本当に不思議そうな様子で俺に尋ねた。俺は率直に伝える。

「お前の素顔見るの、俺だけの特権だから他のやつに見せてやるもんか」

その言葉を聞いた瞬間、彼女の顔は真っ赤になった。

「ばかっ!」


※  ※  ※


「いや、昔はそんなこともありましたね」

「何、人の顔見てニヤついてるのよ」

数年後、高校を卒業してから彼女はマスクをつけずに人と話せるようになった。

彼女になんで昔マスクをつけていたのか聞くと、あっさり放してくれた。

「昔、近所の男子に言われたの。笑うとき、変な顔してるって言われて」

「変な顔ねえ、ひどいこというもんだ」

「うん、ショックだったんだけど、今思えばそう意味じゃなかったんだと思う」

「たぶん、無理してたのが表情に出てたみたいで、それを変な顔って言ってたのかも」

「ああ、言葉足らずというか、そんな感じか」

変な顔してるって言った子は、もしかしなくても彼女のことが好きだったのではないか?

なんだか、あまりいい気分ではない。

子どもの頃の近所の子に嫉妬するなんて、心が狭いと思われそうで絶対言わないが。

そのとき

「ねえ、なんで私と付き合いたいって言ってくれたの?」

「正直、自分自身可愛げのない性格だからずっと不思議だったんだよね」

と彼女は呟いていた。おお、ストレートに聞いてきたな。

こういう所は良い変化かもしれない。

そう思いながら、俺は率直に思ったことを伝えようと、彼女の良いところを挙げる。

「お前の頑張り屋なとことか、不器用だけど優しいとこかな」

すると彼女は不思議そうに

「私、付き合う前にそういう部分見せてたっけ?」

「分かるよ、一緒のクラスで授業受けてたんだから」

「そう?」

彼女の納得がいかない! と言いたげな表情をしているのが可愛い。

彼女のマスク越しの表情を見れる特権がなくなったのは残念なような、嬉しいような気持ちだ。

「そういえばさあ、部屋を掃除してたときに見つけたんだけど、このマスク何?」

古いマスクを1枚だけ取り出した。

「えっ?! どこで見つけたんだよ」

「クローゼットの引き出しの中」

「まじか」

まさか見つかってしまうなんて、かなり恥ずかしい。

「これって、コロナの時にあげたマスク?今まで持っててくれたの」

「そりゃ、彼女っぽいことしたかったなんて言うし、俺は嬉しかったからいいだろ!」

俺はつい気恥ずかしくなって、そっぽを向いた。

しかし彼女は俺の顔を自分のほうに向かせると、

「ありがと」

短いフレーズでそう言った彼女の表情は、やっぱり他のやつに見せたくない。

再びそのことに気づき、彼女にプロポーズするのはまた別の話。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み