記憶を買います。
文字数 1,605文字
カラン。
「いらっしゃいませ。そう、また来たのね。対価は記憶。“きのう”をいったい何度やり直せば気が済むわけ? あなたからもらえる記憶なんてほとんど……」
「お願い……。私はもうどうなってもいい、あともう少しだったの。あともう少しのところで、いつもいつも……っ!」
「前にも言ったように、人の運命なんてそう簡単には変えられないものなのよ。諦めたほうがいいわ、もうお帰りなさい」
「……お願い」
すがるようにお願いをされ、店主は深いため息をもらす。
「理由はわからないけど、そこまで言うのなら。これで最後よ」
店主はそう言って、一冊の本を手にすると、本を広げた途端にまぶしい光が放った。
一日をやり直すには、一年分の記憶を必要とする。
客の一年分の記憶が、この本の中に吸い込まれていく。
この客にとって、最後のチャンス。
「さあ、きのうをもう一度」
店主は本を閉じると、客を送り出す。
彼女の明日が来ることを願って────────。
カラン。
「いらっしゃいませ。そう、また来たのね。対価は記憶。“きのう”をいったい何度やり直せば気が済むの? あなたからもらえる記憶なんてもう……」
「お願い、これで最後にするから……っ!」
「フフフ」
店主は肩を揺らしながら笑う。
「なにが、おかしいの?」
「あら、ごめんなさい。だって、あなたからもらえる記憶、もう半年分しかないんだもの」
「……半年……、うそ……」
「嘘じゃないわ。ほら、見て。あなたがこれまで生きてきた記録書よ。あなたがどこで生まれ、どこで育ち、初恋の人とか、初デートとか、高校のときにインターハイ出場したとか────。あ、そういった記憶、あなたにはもうないんだっけ……」
一冊の本を片手に、青ざめる彼女の前でクスクスと笑う店主。
「……半日だけでもいい」
「え?」
「私の半年分の記憶を。お願い、半日だけでいいから、戻して」
「どうしてだか、あなたからは“欲”を感じないわ。なぜ、そこまでして時間を戻したいの?」
「彼を……、彼を助けたいから!」
「時間を戻すのは簡単よ。でもね、前にも言ったように、人の運命なんてそう簡単には変えられないの。残された記憶を大切にしたほうがいいわ、お帰りなさい」
「お願い! 彼が助かれば、私はどうなってもいいから……!」
「どうなっても……?」
彼女の切実な願いを、店主はためらいながらも聞き入れる。
「カレン様、紅茶をどうぞ」
「ねえ、グレアム。人間って欲深い生き物だって思ってたけど、みんながみんな、そうだとは限らないのね」
「自分の命に代えてでも守りたいものがある。美しく散った彼女の願いは、果たして叶ったのでしょうか」
「さあ、どうだか」
頬杖をつきながら、角砂糖を三個入れ、スプーンでかき混ぜる。
「うん、いいにおい」
「それはそうと、カレン様。彼女の本はいかがなさいますか? あの欲まみれの本たちといっしょにしてもよろしいのでしょうか?」
「そうね、紅茶を飲みながら、考えるわ。とても興味深い人間だったから。それで、
「他の人形たちと同様、ショーウインドーに飾りましたよ。あとでご覧くださいな、美しく散った彼女に、誰もが心を奪われることでしょう」
「そう」
店主のカレンは短く答えると、執事のグレアムから受け取った本を眺める。
背表紙に刻まれた名を、ゆっくりと指でなぞる。
そして紅茶を飲みながら、記憶を売った者たちの記録書を読む。
それを楽しみに今日もまた、彼女は新たな本のページをめくるのだ────。
さあ、あなたが望むのなら、いつだって時間を戻して差し上げます。
対価は記憶。
「ねえ、ママ。あのお人形さん、泣いてるよ」
The END...