第1話

文字数 2,976文字

良い事も悪い事も水面下で進行している。それを完全に察知する事は不可能ではあるが、第六感とまではいかなくても予感する事はある。私も悪い予感に関しては随分助けられた。特に仕事での嫌な予感はあるもので、予め対策していて助かった事例は多い。人間関係も割と分かりやすい分類にあたる。しかし、突発的な事故や災難は見過ごす事が多い。
大体、そういう時は忙しなく動き回っていて注意力が欠如していた場合が多いが、それ以外では上手く行き過ぎていてボーッとしている場合だ。
先日、久々に絶縁状態の知人から電話があった。仕事の誘いである。
年齢は一〇歳位上の知人。昔のサラリーマン時代からの知合いで、何が良いのかは分からないが先方から連絡してくる。途中、仕事を一緒にやってくれないかとか色々やり取りがあって一時期手伝った事もあったのだが、しばらくやっているうちに配送の件で口論になった。
「何で工夫しない? こんな事ずっと続けるつもりか? 配送会社の人間だって嫌がってるじゃねえか! 」
「誰が嫌がってるんだ? 」
 と聞くので集荷に来ているドライバー全員と教えてやった。決して良い所ではないが私は争い事に躊躇はしない。昔、一緒に働いていたアメリカ人も「何でもっと仲良くやれない? 」と言う程である。とにかく、無駄な事をノホホンとやっているとムカつく。精神論だけで結果を出せない人間を完膚なきまでに罵倒してしまう。それは自分に対しても平等であったりする。
日本は仏教国なので精神論が好きである。兎に角、理屈が先走り実行が出来ない。キリスト教国などは実行主義なので精神論はあまり重視されない。結果としては取り合えず実行し動いた方が成果は出ている。
これに付随すると思うのだが、最近、若い奴らがやたら「感謝」を口にする。じゃあ、恩返しでもしたか? っていうと心に秘めるらしい。おいおい、それって馬鹿が恩を受けても返さないのと同じじゃね? 頭の良い人は受けた恩を返すが、馬鹿はいくら世話をしたところで恩返ししない。恩を返したきゃ、土産でも買って「私は馬鹿なのでこれ位しか出来ませんが」とくれば「まんざら馬鹿でもないのね」と見直すはずだが。
その後、良い話があると言うので聞くと、組織販売の勧誘であった。
「馬鹿かお前。こんな事やってたら友人知人、身内まで信用なくすぞ」
 と大罵倒してやった。こいつは切ろう。そもそもよく生きて二〇年、老い先短い私である。いつまでも馬鹿な事に付き合っている暇はない。人生の後半は人も欲も消去法しかない。
そうして絶縁していたのだが、ひょいと電話が来て仕事の誘いだった。内容はこっちに全くリスクもストレスもない内容だったので「ああ、いいよ」と引き受けた次第だった。

その仕事の繋がりで中国人の会社に行っていて、番頭から話しかけられたので、車をニュートラにしたまま目を離した。水平だと思っていた構内は実は傾いており、気が付くと車はそこに無かった。ゲロ! と先を見ると中国人の会社のトラックと軽乗用車の側面にぶつかっていた。即、自動車保険の会社に電話して処理したが、正直ガックリした。完全に自分の慢心からくる不注意だった。
その後、知人の現場に戻り、自分の仕事をしていたのだが、現場は土地を買って倉庫兼展示場を作る為、整備をしていた。元の倉庫や住居を壊す作業をしていて、大きな穴を掘って廃材を燃やしていた。このクソ暑い中、茫々と燃える炎、私は幸い離れた場所で作業をしていたが一〇メートル先でも暑い。真冬であれば好ましいのだが。勿論、勝手に火をつけて燃やしてはいけない。街中なら恐らく役所の人間が怒鳴り込んで来るだろう。生憎、ここは田野から日南に向かう山の中であった。
結局、仕事の量が多く、その日だけでは終わらない為、翌日来ますと帰った。
帰る途中、中国人企業の社長夫人にお詫びの菓子でも買おうとイオンに寄った。すると店内で「うっせぇわ」が流れていた。若い女の子が作ったらしい曲。勝手な推測だが、中の上位の東大には行けないけど私立の有名校位なら何人か行ける位の高校生で、日常の不満を精一杯の過激な言葉を選んで作ったと思われる。コミュニケーションは苦手そうだ。 私が一八歳の頃には「俺をいかせておくれよ」とか「堕落に堕胎に薬浸り」なんて曲を作ってやっていたのに比べれば随分可愛い。(パンクではない。ハードポップバンドであった)ふと中学生の頃、ライブに行ったパンタを思い出した。(パンタックスワールドの頃)あれが本当の言葉の感性だろう。お前ら凡庸だという人間が凡庸だと仕方ない。
 翌朝、昨日の残りの仕事を終わらせようと駐車場に行った時の事。ゲロッ、タイヤがパンクしている。仕方ねえなと工具を取り出しスペアと取り替えようとするも、工具が足りない。仕方ないのでロードサービスを呼んだ。
待つ事、一時間。やっと終わって出たのだが、考えてみれば数日前からタイヤが擦り減ってきたから交換しなくちゃと考えていたのであった。サッサと済ませとけって話だが、これも元を辿れば自分のミスであった。
現場に着くと知人は取り壊し前の家の裏で何かしていたので、近づき「昨日は車をぶつけるし、今日はパンクするし、厄払いでもしなくちゃな」って話しかけた。知人は何かモゴモゴと人生色々あるわなってな事を言っていたんだが、話していた家の裏の薄暗い場所に大きな木が生えていて何か気味が悪かったのを覚えている。
それから私はちょっと離れた場所で仕事をしていて、現場は相変わらず大きな重機で片付けたり、廃材を焼く炎が勢いよく上がっていたりしていた。
一〇時半位だったろうか? 一連の作業が終わった為、帰ろうかと思い知人を探すもいない。重機に乗っていた若い社員や来ていた知人の奥さんもいない。あれ? 休憩でもしているのかなと倉庫に向かうと中に皆いた。
知人は手をタオルで押さえていて、何かボロボロである。「どうしたの? 」と聞くと火傷をしたと言う。大丈夫かと聞くと大丈夫ではないと言う。夫人に聞くとあの火のついた穴の中に落ちたと言う。へ? あの火の中に落ちた? 。
そのうち 関係者が四、五人やって来て大騒ぎする中、乗ってきたバンに乗り込み知人は病院に運ばれた。まあ、歩いて喋っていたので死にはしないだろうとは思うが。
しかし、人の深さ以上ある穴で猛烈に炎が燃え盛る中、よく這い上がってこれたものである。知人は最近では加齢から動きも鈍くなり老人まっしぐらであったのだが、火事場の馬鹿力とはよくいったもので、血相を変えて這い上がったのであろう。それを想像するとちょっと笑ってしまう不謹慎な私。
それよりもこのクソ暑い中、火のついた穴に落ちる程近づいた知人の慢心こそ反省すべき点だろう。最初、来た時のあの気味の悪さはこれだったんだなと思った次第。
まあ、第六感は内なる声である場合が多く、外的なものではない。出来るだけ頭を使ってクリアにしておかなければならないって事か。
これからこの国はどんどん貧富の差が広がり、どんなに綺麗ごとを言っても金持ちにも幸福者にもなれない事に国民は気付き始める。戦争や飢饉がなくても不幸だったと。でもこれは第六感や憶測ではなく単なる事実。
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