兄と私と女の月

文字数 1,837文字

私には、四つ年上の兄がいる。

私は誰よりも、兄の存在を感じることができる。

両親よりも、兄の友人よりも、兄のお嫁さんなんかよりもずっと。



私の兄は、小さい頃からとても目立つ存在だった。

明るく活発で愛想の良い兄は、近所での評判も良く、外を歩けば誰かしらが声を掛けてきた。

学校の成績は常に上位。運動だってそつなくこなしていた。

さらに、兄は容姿にも恵まれていたため、女の子たちから好意を寄せられることも少なくなかった。

いや、むしろよくモテた。

私はそれをなぜか羨ましく思うこともあったが、兄は彼女たちにはあまり興味を示さなかった。

両親からしてみても、兄は自慢の息子だったと思う。

勉強もできて運動もでき、さらには容姿にも恵まれている。

そんな兄の好評判はすぐに両親の耳に届くので、彼らの鼻も高くなって当然だった。

しかし、だからと言って両親や周囲の大人たちが兄ばかりを贔屓し、私を粗雑に扱っていたわけではない。

多少は兄の存在感のせいで、私の肩身が狭くなることはあったが、私がそのことに腹を立てたことはなかったし、むしろ兄が褒められることが、私はとても嬉しかった。

兄が周囲に認められることで、私まで一緒に認められるような、そんな気持ちになった。

兄は、いつでも私と一緒にいてくれた。

私が両親に叱られている時は、私のことを庇ってくれたし、家族に反発して家を飛び出した時も、兄は私を探しに来てくれた。

私が独りで泣いている時にはいち早くそれに気づき、抱きしめてくれるのも兄だった。

私は、そんな兄が好きだった。

兄の隣で並んで歩くと、とても誇らしい気分になったし、兄と手を繋いでいれば、何が起こっても大丈夫だと思えた。

兄はどんな時も私を守ってくれる。そう思った。

私と兄との関係性が変わったのは、私が小学校の高学年になった頃だった。

当時私は、「変わった」というような明確な変化には感じなかった。が、恐らく、いや、確実に変わっていた。

ある時、私は兄の匂いに気がついたのだ。

今思えば、これが明確な変化だったのかもしれないが、もっと前からだったかもしれない。

私は、その、兄の匂いを嗅いだ時、なぜか目眩がし、脳が痺れた。胸がどきどきして、今すぐにでも兄に抱きつきたいと思った。

だが、その時私は、兄に近づくことも、触れることも、もちろん小さい頃のように抱きしめてもうこともしなかった。なぜか、そうしてはいけないような気がした。そして、なぜか苦しくなった。

それからの私は、気が付けば、兄のことを考えるようになっていた。

兄のことを考えると、幸せな気分になれたが、同時に、深い深い海の底を見ているような気分にもなった。

家では毎日顔を合わせたが、その度に、私は兄を避けるようになってしまった。

なぜ私が兄を避けるのかは、私にも分からなかった。

だが、兄を避け自室のドアを閉めた途端、私は酷い罪悪感を覚え、同時に痺れるような匂いを思い出すのだった。

そんな期間が二ヶ月を過ぎた頃、兄が私の部屋の扉をノックした。

その日は両親とも出かけており、家には私と兄の二人だけだった。

私は反射的に、なに、と返事をしたが、兄は部屋に入っては来なかった。

兄は、ここ最近の私の様子が変わったことに気づき、それを心配してくれていたのだ。

私は少し迷ったが、この感覚を兄に打ち明けることにし、兄を部屋に入れた。

部屋に入ってくる兄を直視することができず、私は床を見ていた。

兄は部屋に入ると、私の隣に腰を下ろした。

途端、私は、あの匂いを嗅いだ。

なんとも言えない兄の匂い。

甘ったるいような、それでいて刺激的な匂い。

また目眩がした。

心臓がとくん、と鳴り、下腹部をきゅっ、と掴まれたような、そんな錯覚を覚えた。

私は、何も考えられなくなっていた。

そんな自分を隠すように、私は俯いて何も喋らなかった。何も喋ることができなかった。

兄は何も言わなかった。

そして兄は、何も言わず、私の肩を抱いた。

兄の匂いに包まれる。

ふと、兄の身体がごつごつと骨張っていて、硬いことに気がついた。

私はその時、理由は分からないが、兄は男の人なのだと、直感的にそう理解した。

そう感じた途端、私は溶けた。溶かされていたのかもしれない。

私の中から何か熱いものが溢れ、じんわりと広がる。

広がったそれは、いつまでもいつまでも、私に余韻を残したのだった。



あの日、私は《女》になった。

兄によってもたらされた私の女は、その後も兄を求め続けた。

あの匂いが、私を女にさせる。

その度に私は、私の中で兄の匂いを受け止める。
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