第1話

文字数 1,248文字

鏡に向かってため息をつくと、香織の視線は自分の唇に止まった。

「嫌だなぁ。またニキビができてる……」

18歳という年齢では、心身のバランスが崩れやすいのは珍しいことではないが、香織にとっては深刻な問題だった。

「これから佐々木くんとデートなのに」

時計の針はちょうど8時を指していた。佐々木との待ち合わせ時間は8時30分だ。

「仕方ないか」

香織はマスクをつけて、待ち合わせ場所に向かった。

さて、この佐々木という男、実は香織の同級生でもなければ知り合いでもない。最近、中高生の間で話題になっている出会い系アプリ「Meet」で知り合ったのだ。

待ち合わせ場所に着くと、そこにはすでに佐々木の姿があった。

「ごめん、待たせちゃった?」

「大丈夫だよ。今来たところだから」

佐々木の汗ばんだ顔から、少なくとも「今来た」とは言い難いことは明白だった。しかし、香織にとってその気遣いが嬉しかった。

「どうする?これから喫茶店でも行く?」

「うーん、実はさっきご飯を済ませたところなんだ。もしよかったら、映画でも観に行かない?」

正直なところ、初対面の相手と映画を観るのは気が進まなかった。しかし、佐々木はすらっとした長身で、顔立ちも香織の好みにぴったりだった。

断る理由はなかった。

映画館へ向かう途中、佐々木が香織に尋ねた。

「香織さん、体調が悪いの?」

香織は一瞬、息を呑んだ。

「うん、そうなんだ。実は朝から咳がひどくて。」

そう言うと、わざとらしく咳払いを繰り返した。

「佐々木くんは、どうしてマスクをしているの?」

佐々木は苦笑いを浮かべた。

「コロナ禍の影響で、みんなマスクをするのが当たり前になっただろう?そのせいで、マスクを外すタイミングを失っちゃってさ。」

香織はその言葉に妙に納得した。確かに学校でも、まだマスクをしている人は少なくなかった。

映画を観た後、2人は遊園地へ向かった。見た目とは裏腹に、ジェットコースターが苦手な佐々木が少し意外だった。

観覧車の中、西日が2人の疲れた身体に差し込んだ。

「香織さん、この後、何か予定ある?」

「ううん、特にないよ。」

「じゃあ、ホテルで休んで行かない?」

佐々木からの意外な誘いに、香織は戸惑った。ホテルに行くということは、つまりそういうことだ。結局、佐々木も身体目当ての人だったのか。落ち込む香織の肩に、佐々木の手がそっと置かれる。

「いやらしい意味なんてないよ」

いやいや、そういう意味にしか聞こえない。香織は降りる準備を始めた。さぁ、家に帰ってバラエティ番組でも観よう。

「待て!」

佐々木の声が急に変わった。先ほどの柔らかい声から一転、猛獣のようなけたたましい声になった。

「もし逃げるなら……」

「逃げるなら何よ?」

佐々木はマスクを外した。そこには、顔のサイズに合わないほどの大きな口があった。

「食うぞ……」

おそらく、物理的に食べるという意味だろう。佐々木は口裂け男だったのだ。

ならば仕方ない。私は自分のマスクを取る。

その時の佐々木の顔は今でも忘れない。「まさか、お前もか」という驚きの表情だった。
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