魔法の紙に願うなら~10×500の可能性~

文字数 5,977文字

風の強い日だった。
台風が近づいて来ているのが原因らしい。
今日は雨が降る前に帰りたいなぁ……。そんなことを考えながら、私はいつものラーメン屋さんを目指して歩道を歩いていた。
同僚や後輩の子に言わせると、私くらいの歳の女が一人でラーメン屋でランチを済ませるのは珍しいそうなのだけれど、私は昔からラーメンが好きだったし、食事をするなら一人の方が気楽だった。
きっと他の子達は、こんな時間を利用して、職場の愚痴とか流行り物の話とか、異性のこととかいろいろ情報交換をしているのかも知れないけれど、私の場合は一人で過ごす時間も大切だった。
(……ますます置いてかれるんだろうなぁ)
そんなことを考えながらぼんやり歩いていると、急に強い風が吹いて、目の前を歩いていたおばあさんの帽子が飛ばされるのが見えた。
おばあさんの少し後ろを歩いていた私は、反射的に飛んできた帽子に手を伸ばした。けれど、帽子は私の手をすり抜けて宙を舞い、街路樹に引っ掛かってしまった。
「おやおや」
おばあさんは困った様子で街路樹を見上げていた。帽子はずいぶん高いところの枝に引っ掛かってしまっていた。
(……取れない、こともないか)
直感でそう判断した私は、鞄を地面に置くと、街路樹を支える支柱に足をかけた。
ーー少し余談になるけれど、私がウチの会社に就職を決めた理由の一つが、女性社員の制服がスカートとパンツから選べることだった。
私は昔からスカートが苦手だった。子どもの頃から男の子に混じって野球スポーツ少年団に入って走り回っていたこともあってか、いわゆる女の子らしい格好というものが嫌いだった。
制服がスカートだった中学高校は、ある意味地獄だった。どちらの時代も早々にソフトボール部に入部し、学校生活を可能な限りジャージで過ごした。
ーーとまぁ、そんな私の気質に合った社則に感謝しつつ、その時もパンツを履いていた私は、遠慮なく大股を開いて支柱に足をかけ、勢いよく登った。
「おやおや」
おばあさんは目を丸くしながら、支柱の上に立つ私を見上げていた。驚いている…ようにも見えたけれど、裏では物凄く落ち着いている…ようにも見えた。なんだか不思議な雰囲気のおばあさんだった。
「ちょっと待ってて下さい。たぶん取れると思うので」
支柱に登っても手は届かなかったけれど、枝を揺すると帽子はハラハラと落ちて、まるで吸い込まれるようにおばあさんの腕の中に戻っていった。
「……」
支柱から飛び降りた私を、おばあさんはさっきと同じ顔で見ていた。そして一言。
「アンタ、凄いねぇ」
と、私に言った。
「そうですか?これくらいの高さなら平気ですよ」
地面に飛び降りた私が肩を払いながら言うと、おばあさんは「そっちのことじゃないんだけどねぇ」と独り言のように呟いていた。
「とにかく、帽子を取ってくれてありがとう。大切な帽子だったんだ」
「そうですか。良かったです。それじゃ」
私が鞄を持って立ち去ろうとした時だった。
「ちょっとお待ちなさい」
おばあさんが私を呼び止めた。
「お礼の一つくらい、させてもらおうかね」
「いいですよ、お礼なんて」
私が手を振ると、おばあさんは「そうもいかない」と手に持っていた帽子をかぶった。
「アンタ、面白そうな娘だからね」
不思議なことを言いながら、おばあさんはニヤリと笑った。ニコリじゃなくて、ニヤリ。そして、手提げ袋から葉書くらいの真っ黒な紙を2枚取り出すと、さっき帽子が引っ掛かっていた街路樹の枝を5cm位でポキンと折った。
「そうだねぇ」
そう言いながら少し考えると、まるで枝を鉛筆のようにして黒い紙に何かを書き出した。
「これをアンタにあげるよ」
そうして、2枚のうちの1枚を私に手渡した。
黒い紙には、枝で削られたのだろう白い字でこう書いてあった。

10□で500□から□□□てもらえる

「……何ですか?これ」
クイズでもなければ、計算式でもない文章。意味が全く分からなかった。
「そこの□に、好きな字を一文字ずつ入れてみな?願いを叶えてくれるから」
「……はい?」
紙を渡されたままポカンとする私に、おばあさんは「そう言うと思った」と言いたげな顔だった。
「だからぁ、その□に一文字ずつ入れて文章にするんだよ。もしもそれが"遊び心がある"ものだったら、きっと叶うよ」
更にポカンとする私に、おばあさんは「やれやれ」と呟いて、手元に残った1枚に、枝先で何かを書き始めた。
「百聞は一見にしかず。ちょっと見ててごらん」
そう言うと、おばあさんは私の前に黒い紙を突き出した。そこには、こう書かれていた。

10 [分] で500 [人] から [握] [手] [し] てもらえる


私がそれを読み取った瞬間ーー
「わぁ!」
黒い紙はいきなり炎に包まれ、ボッ!と音を立てて燃え尽きた。まるで手品師が何かを消す時のように。そして次の瞬間から、もっと驚くことが起き始めた。
「すみません、握手してもらってもいいですか?」
突然、道を歩いていた女の人が私達に近付いてくると、おばあさんにそう言ったのだ。しかもそれは一人や二人ではない。
「あ、俺も握手いいですか?」
「あたしも次お願いします!」
「握手してもらっていいスか?」
「おばあちゃん、握手して!」
信じられないことが目の前で起こった。
ついさっきまでただの通行人だった人達が、急におばあさんに握手を求めて集まり出したのだ。
「え?えぇ!?
驚き、戸惑う私の前で、おばあさんは集まってくる人達と、まるで"それ"が当たり前のように握手を交わし始めた。
「ええと、10分で500人ってことは、1分で50人。60秒で50人ってことは1秒で……ああ面倒臭い。10秒で500人にした方がもっと面白かったかもしれないねぇ」
そんな風に、謎の不満と笑みを漏らしながら。
(……なにこれ?素人ドッキリ??
最初はフラッシュモブ的な企画かと思ったけれど、どうやらそうではなさそうだった。
「じゃあね、そういうワケだから、せーぜー面白いお願いをしておくれよ」
そう言うと、おばあさんは私の手にさっきの木の枝を渡すと、握手を求める人混みにをかき分けるように歩き出した。
「そうそう、書いて燃えないような"遊び心のない願い"は叶わないし、その紙は二度と使えなくなるから気を付けるんだよ」
「え!?あのーー…!」
他にも聞きたいことは山のようにあったのだけれど、おばあさんはそれだけ言い残すとどんどん遠くへ行ってしまった。私は紙と枝を持ったまま、ただ呆然と立ち尽くしていた。


それは一言で言えば、"魔法"だった。
本や映画でしか見たことはない能力(チカラ)。私はそれを目の当たりにした。そうとしか考えられなかった。信じる信じないの次元ではない。信じるしかない。だって、目の前で信じられないことが実際に起きたのだから。
あのおばあさんは魔法使いだったのかな?
この紙に書けば本当に願いが叶うのかな?
なんて書いたらいいのかな?
遊び心があるお願いって何なのかな?
その日の午後からは、そんなことが頭から離れなかった。
結果、注文したラーメンはいつの間にかのびているし、仕事でミスして上司からは怒られるし、ボーッと歩いてたら花壇にスネをぶつけるし……。お礼に貰ったもののはずなのに、その日の午後からは散々な目に合った。

ーー夜。
独り暮らしのアパートに帰って、簡単に夕飯とお風呂を済ませて、お気に入りのパジャマに着替えた。
ようやく一息ついた私は、ベッドに寝転がったて改めておばあさんからもらった魔法の紙を眺めた。

10□で500□から□□□てもらえる

何度読み返しても、同じ文章。
私はノートとペンを準備して、□にいろいろ試し書きしてみることにした。

①10 [日]で500 [人]から[告] [白] [し] てもらえる
……面白そうだけど、500人は多過ぎるし、絶対疲れるし、顔も名前もそんなに覚えられるわけがない。
②10[年]で500[人] から [肉] [買] [っ] てもらえる
……なんとなくお得な感じになった。でも、特に遊び心は感じられないし、主婦みたい。
③10[人]で500[円] から [寄] [付] [し] てもらえる
……文章も微妙に成り立ってないように感じるし、なんだかセコい。

おばあさんは私の事を「面白そう」と言っていたけれど、私は自分が面白いと思った事はないし、ユーモアのセンスだってない。一番得意なのは体を動かすことなのだから。
そんな私がいくら考えても、おばあさんが言っていた"遊び心"のある文章にはなっていないような気がした。
「……遊び心って、なにさぁ」
私は仰向けにひっくり返ると天井を見上げた。
ふと、ライトから延びるスイッチの紐が目についた。その先端には別の紐を結びつけて延長してある。その延長した紐の先は、ビニール製のブックカバーにくくりつけてある。
眠る前、よく本を読みながら寝落ちしてしまう自分の為に作った、自動消灯装置だった。ブックカバーに紐の先端を結びつけて、私が寝落ちして本が倒れたら、本の重みで紐が引かれて電気が消える。中学生の頃に母親に叱られたことをきっかけに考えた、そんな仕組み。
「……」
たぶん、こういうことなんだろうなと思った。他人が見たら、思わず「なんだ?!」って二度見してしまうようなこと。まるで子どものような発想。
私は大人になってしまったけれど、心の奥にしまってしまった、子どもの頃のままの心。子どもの頃、こんなことが出来たらいいだろうなって考えたことーー。
「……」
そう考えると、私の頭にスッと、思い浮かんだことがあった。
私は、ペンを木の枝に持ち替えて、魔法の紙に擦り付けた。


ーー数日後。


台風が過ぎ、晴天が続いていた。
休日だった私は、"あの時"の街路樹の前に立っていた。
ここにいれば、あのおばあさんに会える。直感でそう思ったからだった。
「おやおや」
そんな私の直感は的中した。10分も待たないうちに、あのおばあさんが向こうから歩いてきたのだ。あの時と同じ帽子をかぶって。
「……その様子だと、願い事はちゃんと叶ったようだね」
「はい!」
私は満面の笑みで答えると、おばあさんを近くのカフェに誘った。
「素性は語らない」
おばあさんはそれを条件に、私の誘いを受けてくれた。


最初は向かい合わせに座った。私はアイス、おばあさんはホットでそれぞれコーヒーを注文すると、私はおばあさんの隣に腰かけた。
「これ、見てください!」
鞄からスマホを取り出して、さっそくおばあさんに画面を見せた。
それは、某動画投稿サイトに投稿されていた一本の動画だった。タイトルは【バッティングセンターに神OL現る!?
それは、スポーツサングラスに備え付けのヘルメットをかぶった若い女の人が、バッティングセンターで打っているだけの動画。問題なのはその出で立ちだった。彼女はタイトスカートにかなりカカトの高いヒールを履いて打席に立っていた。
そんな動き辛い格好にも関わらず、むちゃくちゃ豪快なスイングでバットを振り回し、メーカー側が遊びで設定したような160kmという超豪速球を10球連続で見事に打ち返していた。しかも、全球ホームランの的の中心にドンピシャで当てていた。

カキィィン!ズドンッ!!パンパカパーン!

そんな轟音が10回連続で続いた。
女の人は10球打ち終わると、残りの投球を無視して打席から出て行った。ものの数分の出来事だ。
その動画は、たまたまバッティングセンターに居合わせた人が投稿したものだった。
投稿者のコメントには、バッティングセンターに場違いな格好でOLが来たから、遊びで撮り始めたら神だった…と。
「これ、アンタなのかい?」
「はい!」
そう。画面の中で見事なホームランを打ち放っているのは、間違いなく私だった。
「魔法の紙に叶えてもらいました」
ニコリとする私と、ニヤリとするおばあさん。私達は何も言わずに数回動画を見た。
動画がアップされたのは5日前。視聴数は10万回を突破していた。
しかも…
「お姉さんの豪快なスイングかっこいい!」「めちゃ感動!」
「もしや元プロOLww」
「なんか嫌なこと忘れさせてもらったわー」
「てか合成??160てww」

なんてコメントは500件を越えて寄せられていた。
そう、私が魔法の紙にお願いしたのは…

ーー10[球]で500[人]から[感][動][し]てもらえる

そんなお願いだった。
「子どもの頃、こんな大人になれたらカッコイイだろうなって、思っていたんです」
大人になっても、固いスーツ姿でも、ばんばんホームランをかっ飛ばせるような…そんな女の人になれたらな、って。
しかも、そんな私の遊び心は過去のチームメイト達とも一緒だったようで、どこからともなく動画を見つけた中学時代の友人からは、当時のグループLINEで連絡が来た。
「この動画の人って、アパ子(※私の中学時代のあだ名)じゃね?」
「思った!あのアッパー感、アパ子っぽいスイングだよね!」
「やっぱアパ子だと思った?」
そんなみんなに、私は一言。
「あたしがスカートはくと思うか?ホームラン打てると思うか?」
「だよね~」×全員。これで全ては闇の中。でも、スイングだけで私を思い出してくれた事が、凄く嬉しかった。
高校時代のチームメイトからもグループLINEがきた。
「この動画見た?なんかガニー(※私の高校時代のあだ名)っぽくなかった?」
「打ったあとのがに股感が似てると思った」
「思ったー!ガニーだwwww」
そんなみんなに、私は一言。
「あたしがスカートはくと思うか?ホームラン打てると思うか?」
「だよね~」×全員。こっちも全ては闇の中。でも、フォームだけで私を思い出してくれたことが、凄く嬉しかった。
この動画の真相を知っているのは、私とおばあさんだけだ。もちろん、あの10球以降、私がホームランを打てたことはない。むしろ球にすら当たっていない。元々、私は下手くそだから。
「……なるほどねぇ」
私が一通り話し終えると、おばあさんはコーヒーをすすりながら呟いた。
「やっぱりアンタ、面白い娘だったね」
「そんなことないですよ」
遊び心は、きっと誰の心の中にも眠っている。大人になって、それを呼び起こすきっかけがなくなってしまっただけ。そう思った。
私にとって、おばあさんとの出会いが、そのきっかけだったんだ。
「みんなが自然と動画を見つけてくれて……なんか嬉しかったです。みんなも同じ気持ちなんだなって思って。懐かしくなって、なんか元気になりました」
「そうかい。そりゃあ、いいお礼が出来たみたいだねぇ」
そう言うと、おばあさんはゆっくりと席を立った。
「また、会えますか?」
私が訊くと、おばあさんはニヤリと笑ってこう言った。
「アンタが遊び心を持ってれば、ね」
もしもまた、魔法の紙を渡されたら、何てお願いしようかな。
あなたなら、魔法の紙にどんなことを願いますか?


おしまい





ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み