雪山の魔物

文字数 1,986文字

 俺はツアー会社の契約ガイドとして働いている。
 普通契約ガイドは生活が安定しないものだが、スポーツ店の店長のおかげで、シフトは自由に組むことができた。
 冬になると、とある山に挑戦することにしていた。
 
 大学時代、付き合っていた彼女を雪崩で亡くした山だ。
 魔物が住むとして有名なこの山は、パウダースノーがあった。
 だが同時に、雪崩リスクの高い山だった。
 大学時代の彼女と俺は、ベテランのガイドとこの雪山に登っていた。
 スノーボードが得意だと言っていた男は、俺たちが今後スノーボードをするのなら、今から行く場所を知っておいた方がいいと笑っていた。
 
 林を散策し、急斜面が見える休憩地点に到着したとき、雪崩が起こった。
 俺は運よく自力で脱出できたが、俺の彼女、ガイド、他の女性二人組は帰らぬ人となった。
 あとで聞いた話だが、ガイドは雪崩を起こす要件である弱層があること、さらに大雪・雪崩注意報の発令を見落としていた。
 
 いつでも雪崩が起きてもおかしくない状況だった。
 ツアー客との話に夢中で、危険予知がすっぽり抜けていたのかもしれない。
 業務上過失致死傷罪で訴えられる人はいなかった。
 雪山の魔物のせいにできるわけがない。
 
 俺はベテランだという肩書で、自分の命や、彼女の命を委ねたのを後悔した。
 雪山のガイドをやるときは、徹底的に準備をしてのぞむことにしていた。
 同じ過ちを繰り返さないためだ。
 ひとりで雪山に登る理由は、自分はベテランであるという慢心をたたきつぶす目的がある。

 雪山に登り四日目。
 一夜を明かそうと雪洞を掘った。
 そこで眠っていると、とある奇妙なことが起きた。
 
 誰かに見られている気分になるのだ。
 気のせいだろうと思い、俺は目を閉じて、静かな風の音を楽しんでいた。
 雪山に住む魔物が頭にチラついたが、まさかそんなものがいるはずがない。

 朝起きるとまた奇妙なことが起こった。
 山に登る準備をすませ、雪洞を出ると、足跡みたいなものがあった。
 俺の掘った雪洞の前で止まっている。
 何かと思い足跡を追ってみたが、途中で雪に埋まりなくなっていた。

 誰かいたのか?

 動物ではなかった。
 この足跡は人間だ。
 俺と同じく雪洞を掘ろうとしたが、人がいたのでやめたのか。
 声をかけてくれればよかったのだが……。

 午後一時頃に、次の雪山に入山した。
 何度もきていると慣れてしまい、登山は恐ろしいぐらい順調だった。

 そろそろ休憩するか……。

 俺の頭に『雪庇』という用語が浮かんだ。
 雪庇は雪のかぶった山頂の風下側に張り出したようにできる雪の塊だ。
 雪庇はもろく、踏み抜いてしまうと滑落してしまう。
 実際の地形と雪庇の判別が難しいので、ルート判別能力は必須だ。

 たまには違った休憩場所にしようと思い、俺はながめのよい場所を探していた。
 すると、足跡を発見した。
 今日の朝見た足跡に似ている。
 それが点々と続いているのだ。
 
 俺はやっぱり誰かが登山しているのだと思い、足跡が行く方向に歩いていった。
 足跡は迷いなくまっすぐ進んでいる。
 お昼だったが白いモヤみたいなものが山をおおい、先が見えづらいのもあり、この足跡は目印となりありがたかった。

「ん?」

 俺の足が嫌な予感がして止まった。
 どうもこの足跡は雪庇に続いているような気がした。
 俺は、雪庇は十メートルほど作られていると予想していた。
 足跡は、俺が望む、ながめのいい場所まで続いていたが、どうも臭い。

 雪山の魔物が俺を誘っているのか? いや、まさか……。

 俺は死んだ彼女のことが頭に浮かんだ。
 楽しかった思い出だ。
 彼女の足跡ではないか?

 ――もうちょっとだけ進むか……。

 俺の予想だと、あと数メートルは大丈夫だ。
 足跡が人間のものだったら、この先に誰かいるかもしれない。
 もしかしてだが……死んだ彼女が。

「うわっ?」

 俺の背筋がぞくっとした。
 背中に冷たい何かが、防寒着を通り抜けてさわったのだ。
 驚いて後ろを向くと、誰もいない。

 同時にすごい音がした。

 進もうとした場所がなくなっていて、そこは崖になっていた。
 雪庇だった。
 雪庇が崩落し、できた崖だった。

 あとで調査したのだが、なんと雪庇は五十メートルというでかさだった。
 ベテランでも判断できない大きさだ。
 あの足跡のとおり進んでいたら、破断面の高さからして即死していた。

 けっきょく足跡はいつの間にか消えており、あれが魔物だったのかどうかはわからない。
 幻覚かもしれない。
 ただ俺を守ってくれた人だけはわかった。
 
 死んだ彼女は俺と、雪山に行くと、よく背中に雪を押しつけて遊んでいたのだ。
 子供っぽい女性だった。
 彼女に守られてしまった。

 俺は今でも雪山の登山を続け、人を安全にガイドしている。
 
 俺と彼女の最高のバディに、いつか雪山の魔物は手出しできなくなるだろう。
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