ナツキ(タク視点)

文字数 6,648文字

 俺はナツキを知っていた。ナツキというのは『恋する♡ホームステイ』というインターネットTV番組の収録に現れた女子メンバーの一人にあたり、俺と同様に追加メンバーとして今日から旅に参加することになった女子だ。彼女は海の見える水族館の前で、まるで野山に一本だけ咲いてしまったニワシロユリのごとく、賑わいの中を凛と佇んでいた。潮風に乱れる髪を右手で押さえつけて俺達に――俺は彼女より先に既存のメンバーと合流していたのだが――背中を向け、そして近づいた俺達の気配を感じると華麗に振り返った。
「はじめまして、ナツキです。よろしくお願いします!」
 はっきりとした口調の彼女はどこぞの御令嬢のように上品な会釈をひとつしてみせる。そして再び持ち上げた彼女の顔を見て、俺の心臓がドギリと跳ねた。俺はナツキを知っていた。いや、知っていたと言っても見たことがあるという程度なのだが、とにかく俺はナツキを知っている。リビングにぞんざいに置かれた姉のファッション雑誌で見かけたことのあったのだ。女物の雑誌には興味は無かったのだが、開かれた雑誌に並ぶ数人の女性の中で一番気になったのを覚えている。気になったと言うのは、彼女の姿が大変のっぺりとしていてまるで作り物のようで、例を挙げるとするならば場違いに活けられた造花みたいに、胡散臭かったからではあるが。
 その彼女は今も、カメラを意識しているのだろうが、何とも言えない胡散臭い人形のような雰囲気を醸し出しており、やはり俺はとても気になった。目の前にいる実物の彼女の、生きているのにやはり作り物のようなそのアンバランスさは、人形というよりもAIロボットと表現した方が近いかもしれない。
「壊したい」
 俺の中で唸るかのような囁き声が聞こえた。獰猛な衝動だった。
 俺は数年前からカメラを趣味としているのだが、それは写真を撮るという行為にどこか儚さを見出しているからである。この世の生きとし生けるものや、若しくは古ぼけて錆びついたブリキバケツ……まあ何で例えても良いのだが、とにかくこの世にあるものの全ては粛々と流れる時間の流れに抗えない。有名な言葉を借りるとすれば「諸行無常」というものがいつも傍らにあるのだ。俺はこの世の中の、例えば植物の種がじわりじわりと芽を出してやがて花を、実を、つけて枯れていく、その緩やかな変化を愛おしいと思っていて、だから、その変化の中途を切り取るという行為は大変神聖であり、儚さを内包しているものだと考えていた。
 然れば、ナツキののっぺりとした胡散臭さを壊したいという俺のこの衝動は、カメラを構える者として当然のことように思われた。ナツキに塗り固められた石膏をすっかり剥がして、人間味を暴いてやろうじゃあないか。
 しかして俺は、自分の内なる衝動を気取られないようにナツキに接触していこうと心に決めたのだった。
「タクって呼んで! 俺も今日からなんだ~、よろしくね!」
 柄ではないが、軽快な調子を装ってみよう。

 間もなく俺達は目の前の水族館に入る。薄暗い館内を展示用の水槽だけが幻想的に浮かんでいる。展示を巡る間俺達は雑談をして笑ったり、面白い恰好をした魚を見つけて驚いたりと表情の変化に忙しかったわけなのだが、ナツキはいつも一人だけ薄っらと微笑むばかりで、見ていて俺は詰まらなかった。
 人の背丈の何人分の高さであろうかと思ってしまう程の、広々とした空間に現れた、巨大な水槽は大変な迫力があった。そこには俺の知らない魚もいたが、サメ、マンタといった、図鑑やテレヴィジョンで見たことのあるような魚が悠々と泳いでいた。サメのグレー&ホワイトのマットな体表には海のギャングと言われるのも納得の貫禄がある。また、特に目を見張ったのは鰯の一群だ。個々の鰯に反射した照明の光による輝きが、キラリキラリと群れの動きに揺蕩いうねっている。常に留まることなく自在に変化していく群れの形はどこか妖艶で、天敵から身を守ろうとしているにも拘らず、見る者を、俺を、どうにも惹きつけるのだった。息がひとつ飲み込まれる。ゴクリという音が俺の耳奥を打ち付けた。しかしそこへ、
「綺麗だね~」とナツキが相も変わらず薄い微笑みを浮かべて言ったので、俺はなんだかガッカリしてしまった。これ程のものを目前にしても彼女を塗り固めているものは頑ななのか、と。
 やがて展示も終盤になりクラゲの水槽が現れ始める。クラゲの展示ゾーンは漆黒の空間にクラゲの水槽がポツリポツリと灯りを灯し、頭上には星のような煌めきが満ちているような幻想的な空間だった。彼女はまた薄い微笑みのままなのだろうか、そう気になって俺はナツキを見ると、ナツキはしかし何やら考え事をしているような神妙な面持ちで、俺達の集団から少し遅れて歩みを進めている。その表情は俺の期待する生き物のそれに遜色ないものだったから、俺はナツキの人間味を暴く絶好の機会だと嬉しくなった。
「ナツキちゃん、なに難しい顔してんの?」
 声を掛けると、ナツキはハッとした様子で周囲を少しだけ見まわして、ほぅっと僅かに息を漏らす。恐らく先程まで意識の他にあった目の前の幻想的な景色に不意を突かれて、薄い微笑みを忘れてしまったのではないだろうか。俺はようやく彼女の人間染みた部分を垣間見ることができて、内心ほくそ笑んだ。しかし彼女は歩むスピードが遅いことに気が付いたのか、再び人形のような顔に戻ると
「ちょっとね、考え事してた」と言って足を速めてしまった。もう少しだけ、俺は思う。もう少しだけ彼女の人間の部分を見てみたいという衝動が、俺を動かした。
「てか、このクラゲ見てよ」
 彼女の肩をグイと引き寄せ、適当に近くにあった水槽を指さす。そこには、ふわりふうわり漂うクラゲ。その透明なスカートのような恰好には刺繍が施されたようなラインが入っており、そのラインは虹色に輝いて、とても綺麗なものだった。しかし、だけれども、俺はガラスに僅かに反射するナツキの表情を見つめてしまう。ナツキの表情はどうなるだろうか。そう思うと俺は自然と息を殺していた。ガラスに薄っすら映る彼女の頬は、一瞬緩み、しかし
「わぁ、綺麗だね」と言う頃にはその緩みかけた頬は、またキュッと引き締まって、のっぺりとした胡散臭い笑顔が張り付くのだった。
「ナツキちゃんってさ、可愛くないね」
 頑なに人形にならんとする彼女に俺は段々と苛ついて、ついに、ぼろっと、そんな意地悪な言葉が吐き出されてしまった。
 すると、なんということか。みるみるとナツキの眉間に皺が寄っていくではないか。考えてみれば当たり前のことなのだが、俺の「可愛くない」という言葉に対して、ナツキは怒ったのだ。澄ました姿を作り上げたような人形・造花・AIそんなものにさえ見えてくる彼女にも、当たり前の、普通の、年頃の女子の一面があったのだ。ナツキに眉間の皺が寄った、ただそれだけのことだのに、俺は大変嬉しくなった。人形の内に隠された人間味を少しだけ覗かせた、ただそれだけのことだったのに、まるでテストで百点満点を採った時のような、そんな達成感のある喜びが俺を満たしたのだ。そして怒った彼女を見ている程に、俺はますますナツキに興味を持ってしまった。もっと彼女の内を発掘したい。またもや俺の内なる衝動が両目を歪ませ、ニタリと笑う。
「そういう顔もできんじゃん、そっちの方が僕は好きだけど」
 宣戦布告をしてやった。

 そして水族館を出たところで、何があったと思う? 彼女のお腹がぐぅと鳴ったのだ。人形のように澄ました態度のあのナツキでも腹は減るのだ。俺は思わず笑ってしまう。ナツキはやはり恥ずかしいのか少し俯いていたが、誰でも腹が減ればぐぅと鳴る。やはり年頃の女子なのかと、愉快になった。
「少し早いけど飯でも食おうか」
 俯いた顔の奥でナツキが俺を睨んだ気がして、俺は皆に提案した。

 昼食を食べ終わると今度は近くに併設されている観覧車に乗り込んだ。俺は当然にナツキを誘う。
「すごいね、どんどん高くなっていくよ!」
 大体四分の一の高さぐらいになっただろうか、と思われるところでナツキがはしゃいだ様子で俺に言った。しかしやはりそれはどこか演技染みている態度で、俺はやっぱりガックリときてしまうのだった。この女子は頭上の少し上に置いた意識によって、マリオネットの如く操られているのではなかろうか。貼り付けた微笑みと薄っぺらな綺麗事しか言わない口に嫌気がさす。
「なっちゃんはさ、誰が第一印象だった?」
 彼女の本心を探りたくて、俺は彼女に尋ねた。
「私は……えっと、ひみつ! タクはどうなの?」
 思いがけぬ質問だったのか彼女は一瞬だけ素の顔を見せて戸惑うが、薄い微笑みを張り付けなおすと、質問には答えないで俺に返した。なかなか暴くことができない彼女の人間味に、俺の獰猛な衝動は業を煮やして苛立ち始める。暫く沈黙が流れた。ゴンドラがギシッと軋んだ音を立てる――。
「その……黒い髪」静かにそう言って俺は、人差し指と中指の揃えた二本指をそっと彼女に差し出した。彼女の頭の方へ突きつける。
「前下がりに切り揃えられたところから白く覗く顎のライン。ふっくらとしたアーモンドの形をしたその瞳」
 空で彼女を一筆書きするかのように、二本の指で彼女の姿をスルスルと模った。
「綺麗ごとしか言わないその口。ぎこちなく笑うその唇……」
 彼女の息を飲みこむ声が聞こえ、ゴンドラがギィと風に揺れるのを感じる。
「そして、空腹に正直なそのお腹」
 最後に俺は彼女のお腹を指さした。彼女の緊張しきった顔が面白くてクックと笑いが零れた。彼女も緊張の糸が切れたのか、ふぅと息をついている。
「なんなの一体?」
 疲弊しきった声だった。
「俺の第一印象はなっちゃんってこと」
 彼女の質問に俺は軽快な口調でそう答えた。

 こうして俺達はこのあたりの三大人気スポットの内二つを巡ったのだが、まだ時間は残っている。だから三大人気スポットの最後の一つにあたる、クルーズ船に俺達は乗り込んだ。

 ブオォ……。

 船が出航する際の汽笛の音は重量感のある響きで、俺の胸の内を物理的に振動させた。じわりじんわりと動き始める巨大な船はまさに非日常そのものである。次第に速度を増して、慣性に追いつかない周囲の空気が耳元で音を立てながら吹き付けてきた。
 甲板のデッキでは、メンバーの男女が仲睦まじげにじゃれ合っている。寒そうにしていた女子に男子が自分の上着を被せたのだが、頭からそれを被せられた女子の方が「何をするのか」と言わんばかりに、そして気恥ずかしさを誤魔化すように男子の方を叩いていた。
 そして俺はその様子を少し離れたベンチからナツキが見ているのを見つけた。ナツキも寒いだろうか、上から上着を被せたらどのような反応を見せるのか、俺は気になって、後ろから忍び寄りナツキに上着を被せた。上着を脱いでみると、思ったよりも外気は寒い。
 彼女は被せられた俺の上着を慌ててどかすとこちらを振り返ったのだが、俺を見るなりぷっと息を吹き出した。
「寒いならしなきゃ良いのに」
 片手で目頭を押さえながら、上着を差し出す。俺はそれもそうだと、素直に思った。
「決まんねーな」
 なんだか気恥ずかしい気持ちに駆られながらも上着を受け取ったのだが、一方で、彼女が初めて素で笑ったような気がして、俺はとても嬉しかった。そこへ、
「そっちの方が良いよ」と不意に彼女が俺に言った。先ほどの俺を真似たように人差し指と中指を揃えた二本の指を差し出して、俺の額を示していた。
 そうして気づく。俺の前髪は――俺は人と目を合わせるのがどうも苦手で前髪を長くしているのだが――風によって横に流されてしまっていた。気がついてしまうと、彼女とバッチリと目が合ってしまっているこの状況がどうにもこそばゆくて仕方ないのだが、彼女の嘘のない普通の微笑みには暖かな気持ちが込み上げる。
 彼女の本当を全部写真に収めたい。俺の獰猛な衝動はいつの間にか柔らかな恋心へと変わってしまっていた。

 恋心というものは意識してしまうと、どうしてこうも自分の邪魔ばかりしてしまうのだろうか。

 あれから俺はナツキになかなか積極的に絡めなかった。次の日、翌週と日は進んで行き、そして旅の最後の週になってしまった。
 その最後の旅で俺は、意を決して、自身と他人の距離感の象徴だった前髪を短く切り落とした。それは何故かというと、ナツキがその方が良いと言ったからでもあるし、他人を拒絶していた壁を取っ払ってしまうことで、もっとナツキに近づきたいという願望を実現するためでもある。
「どうしたの?」
 前髪を失った俺を見るなり、メンバーが騒ぎ立てた。
「なっちゃんがこっちの方が良いって。っね!」
 俺はナツキの反応が気になって話しを振ったのだが、
「全然良くない!」と、そう言われてしまった。しかし、いつも澄まして薄い微笑みを浮かべ綺麗な事しか言わなかった彼女が、少しだけ荒げた声を出して、初めて否定の言葉を出したのだ。俺はそれがなんだか嬉しい。

「なっちゃんは、裏アカ持ってる?」
 ナツキをツーショットに誘って俺は尋ねる。
「裏アカ?」
 ナツキが不思議そうに聞き返すので、これこれ、俺はスマホを取り出し、自分のとっておきを彼女に見せた。裏アカというのは、SNSでの用語であり、周囲の皆に周知している自身のアカウントの他に別でコッソリと使用しているアカウントのことを俺はそう呼んでいた。
「こっちは収録が終わったらメンバーと交換するつもりの表アカウント、そして、こっちが趣味の鍵付き裏アカウント」
 俺は二つのアカウントを切り替えながらナツキに見せた。表アカウントというのが周知している方のアカウントで、裏アカウントというのが俺のとっておきのアカウントだ。趣味で撮った動植物や風景など綺麗な写真を並べて、鍵をつけて自分だけでヒッソリと楽しんでいるやつだった。彼女は俺のスマホを手に取り「綺麗だね」と写真を眺めている。小さな画面を見つめるそれは飾らない表情で、内から溢れるような輝きがとても綺麗だ。
「カメラマンになるのが俺の夢!」
 俺はそう言ってポケットに入れていたデジカメを構えて、彼女を写真に収めた。パシャリと鳴った音に彼女は慌てる。
「え、ちょ。やめてよ!」
 そう言いながら俺のカメラを取り上げようとしてくるのだが、俺がうまいこと躱すので取り上げることができず、どんどん眉間に皺が寄っていく。その様子がとても愛しく感じ、俺はぷはっと、笑いをどうにも堪えきれずに吹きだしてしまった。
「また怖い顔してる」
 俺が言うと、彼女はため息がついたのだが、その表情は少し楽しそうにも思われた。

「今度裏アカ交換してよ。僕の写真はナツキに見て欲しいんだ」
 
 俺は言う。少しずつ少しずつ人形みたいな印象だった彼女に人間味が見え始めてきたのだ、もっともっと彼女を内を暴いてみたかった。だから、この旅が終わっても特別に繋がっていたいと思ったのだが……しかし、これはなんと我儘でおこがましいことだろうか。気持ち悪いな、と自分で思った。
「明日、誰に告白するの?」
 この旅でナツキは誰に一番惹かれたのだろうか、彼女を変えたのは自分だったのであろうか、俺は彼女に聞いてみるが、しかし野暮な質問だったなと考え直す。
「やっぱいい」
 戻ろうかと俺は言って、彼女に背中を向けた。

 そして翌日、俺は彼女を呼び出す。

「俺だけの、モデルになってくれませんか!」

 これは俺の精一杯の告白だった。これからもずっと君を、君の揺らぎを、見つめていたい。そんな願いをこめた言葉だった。
 暫くすると彼女の瞳に涙が浮かびはじめた。何故に彼女は泣いたのか、俺には全く分からなかったが、初めて見た彼女の涙は大変美しいものだった。最初は薄っすらした微笑みを浮かべる、のっぺりとした造花のような女子というイメージだった彼女も、今や生身の人間だと思えた。
 俺は彼女をこれからずっとずっと何十年後もカメラの中に収めていきたい。僕の獰猛な衝動は恋と言う名の柔らかいものに変化したが、それは今や身を焦がす羨望に変わりつつあった。
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