第1話

文字数 6,931文字

普通の母親とは違う。
それが私の母親の印象だった。
私がランドセルを背負う頃には、母が異常な存在である事は理解していた。
父親はいない。
というか、誰かも分からない。
母は、存在しない誰かに話しかけていた。
小さい頃に紹介された、その存在は、若い魅力的な女性で、暗い過去を背負い、死にたいという悩みを抱えていた。
なぜ、私はその事を覚えているのだろう。
母に関する記憶は全て消したいのに、

母の事で、後ろ指を刺され、学校では浮いた存在であり、ザワザワという声が聞こえていた。
聞こえているような聞こえていない声、それは母の事を指していて、やがて私の不憫さを言っているような声。

やがて母は自殺未遂をして、緊急入院した。
それから、叔母さんと暮らす事になり、18歳までそこで暮らす事になった。
叔母は、優しい人だったと思う。
ただ、私に対して積極的に家族になろうとした人ではなかったと思う。決して冷たい人ではないけど、壁があり、その壁に対して踏み込む事はせず、だからこそ甘える事もしないし、できなかった。小学生で友達もいなければ、楽しいこともなかった。未来は暗くはないが、薄い闇の中をずっと歩く事になると思っていた。
赤峰渚に会うまでは、


暗い過去の夢から、目を覚ました私は、携帯の時計を見ようとすると、アイツからのLINEで嫌な気分になる。
三週間前に別れた彼氏だ。
原因は彼の浮気、私が辛い時に、女と会っていたからだ。携帯もそいつと喋っていた記録をしっかり確認した。完全なる浮気だ。
言い訳はしていたが、その女に対しての紹介が、もう嘘だと物語っている。霊媒師だそうだ。
なんでも、私に悪い霊がついているという事で相談していたらしい。
そんな嘘を信じると思うのか、LINEも拒否はできるが、必死でもがく姿がちょっと面白くなるので、そのままにしていた。未読無視は最初から継続中。


看護師という仕事を退職したのは昨日、これから、どうしていくか全く考えていない。
この一カ月で、私に近しい人が三人も亡くなった。母が亡くなり、渚が交通事故で亡くなった。まだ、24歳。
アニメ制作会社に勤めて、楽しく毎日を送っていたのに、道路を歩行中に車にはねられて、心肺停止により亡くなった。見通しがよいとは言えない道路であるが、注意していれば、防げた事故であるし、私は加害者を許す事はできない。
連休がとれたら、二人で旅行に行くつもりだった。彼女の死が私の精神状態を狂わせた、葬儀と通夜の後、私は眠れなくなった。
しかし、そんな事もお構いなしに、仕事は忙殺という現実が襲いかかる。
彼女は、急患で運ばれた自殺未遂をした患者であった。飛び降り自殺を計ったが、木に引っかかてん落ちた為に、クッションとなり、一命を取り留めた。

採血の日に、私の名前を呼び、彼女はこう言った。
「なんか、すごい悲しい事とかあった?」
その言葉に顔色が変化し、動揺した。
彼女は、やっぱりと言って、窓の外を見た。

「私もね、推しのホストに浮気されて、殴られて自殺しようとしたんだ、失敗しちゃったけど、私の人生は、そいつと一緒にいる未来しかなかったんだ」

ミディアムヘアーに耳に5個のピアス、グラデーションカラーの髪は毛先に向かうほどにピンクと赤色の交互の色に別れていく。
細い輪郭は、病的に見えるが、しっかりとした形を表し、二重の大きな目と鼻筋が通っている鼻腔と薄い唇とのバランスが均一に取れている。横顔だけ見ていると少し外国人ぽいような顔つきだ。
美人であると、確実に言える顔。
丸顔で団子鼻で一重の私には、羨ましい顔である。

「もしかしてさ、亡くなったとか?」

その言葉に、私は目を潤ませた。
そして泣かないようにした。
でも彼女は言った。

「泣いていいんじゃない、誰もいないし、」

病室には、私とその子しかいなかった。
私は涙を流しながらも、採血を取った。

彼女とは仲良くなり、よく話すようになった。
しかし、彼女の精神的な病気からなる突飛な行動から、他の看護師や医師から怪訝な表情で私は見られていた。

「ねぇ、統合失調症って知ってる?」
私は頷いた。母がその病気だったからだ。

「私の場合は、声が聞こえるの、お前は存在してはいけない人間なんだって、お前なんか生まれなきゃよかったって、狂った母親が私に言っていたの、母も統合失調症だったの、周りからは変な視線も浴びるし、母にしか見えない相手とかに、話をさせられるし、どうしようもない母親だった。もう、亡くなったんだけど、私にどうしようもない呪いを植え付けていった」

「生きるって当たり前だよね。でもね、否定された言葉を浴びせられると、その当たり前に少しの疑問が湧いてくるの、何度も何度も、その否定の言葉が大きな疑問となってくる。やがて、生きるという当たり前の感情が崩れて、死という感情が生まれる。それが強く、強く刻み込まれ、死を考え始める。生きるという当たり前から、死ぬという事へ。歩みを始める。そして、自殺するという道にいってしまうの、自殺しなくていい楽しい空間があるなら別だけど、その空間がないなら、死へ走り始めるの、それが私」

止めようとする思いはあるけれど、説得するような言葉が思いつかない。もし思いついたとしても、陳腐な言葉だと分かっているから、ただ、彼女の姿を見つめるしかなかった。

彼女は退院した後に、飛び降り自殺を計り、また運ばれたが、亡くなってしまった。

私はこの三人の死から、軽い鬱になり、会社を退職する事にした。


渚との出会いは、中学生の時である。
妙な噂がある私は、誰とも仲良くなろうとも思わなかった。
渚はクラスの人気者でスクールカーストで言えば、一軍である。私はランク外の人間である。
渚は私の席の隣であり、たまたま歴史の教科書を忘れた渚は、私と席をくっつけて教科書を一緒に見ながら、授業を受けた。それからというもの、事あるごとに私から何かを借りたりする事が多くなっていった。

「なんか、色々貸しみたいなものを作っちゃってるから、今度一緒に映画館に行かない? 奢るからさ」

その誘いを断れずに、私は一緒に映画を見ていた。内容は、あんまり覚えていない。ただ、ずっと渚に疑問しか感じていなかった。
映画終わりにマックを食べていた私は、ついに口火を切ったのだ。

「もしかして、同情か何かですか? それとも、クラスで浮いてる人に優しくして、自分ってこんなに優しいってアピールしたいの、それとも自己満ですか? そんなのやめて下さい。私は一人で生きていくんです。構わないで下さい」

冷たく言い放った言葉に、目を見開き、そんなつもりじゃないです、という言葉が顔に書かれている表情をした。
私は席を離れようとしたが、すごく落ち込んだ彼女の佇まいに、すぐには席を立てなかった。
すると彼女は項垂れた長い髪の中から声を発した。

「自己満、そうかもしれないね。私さ、同じ事言われた子がいて、それでも1人ぼっちでいるのが、可哀想に思えて、声をかけたんだけど、嫌がられて、その子は転校したんだけど、一年前に死んじゃったの。でも、その子の親御さんから、あなたの事を大切に思っていたって聞いて、だから、もっと積極的に声をかけていれば、とか思っちゃって」

私はその人と一緒にされても困ると思ったが、さすがに閉口していた。

「名前も由真って、同じ名前だったし、それもあったのかもしれないね」

少しの沈黙が流れて、ちょっと重苦しい空気の中、彼女は口を開いた。

「私と友達になるのは嫌?」

その言葉は、私が家に帰り着いてからも、反芻して、迷わせた。

本当に少しずつ、少しずつだったと思う。
彼女に心を開いて、友達になっていったのは、

綺麗なロングヘアーに切れ長の目に透明感のある肌と真っ赤な唇、彼女は美しくモテた。告白も何回もされたけど、誰とも付き合おうともしなかった。彼女はアニメオタクで、アニメのキャラに恋をするようなタイプの人。私にも好きなアニメをオススメしてきた。全部見たけど、彼女のようにのめり込まなかった。

彼女によく言われたのは、由真はどこか、妄想が強くてどこかに言ってしまいそうな事があると言われた。
あんまり暗くならないで、大事なものを見失わないでね。そう彼女に強く言われたのを思い出した。

チャイムが鳴り、次の授業が始まる。
私と渚しかいない。
渚は引き戸を開けて廊下に出ようとする。
私もそれに続こうとするが、強く止められる。

「来ちゃダメ、絶対ダメ」
私は何を言っているのか、分からず、それでも廊下に出ようとする。

「ダメ、絶対ダメ、来ちゃダメ」
押し問答みたいに、止める渚といこうとする私の光景になる。すると渚が私を強く押した。
そして、きちゃダメと大きな声で言って、引き戸を強く閉めた。
画面が真っ白になり、危険! 近づくな の看板が見えた。その先には崖があり、崖下は海である。ここは、自殺する人がよくいる場所だ。
何故、ここに来たのか、どうやって来たのか、覚えていない。私は何分か歩いて、自分の車を見つけて、助手席にあった携帯を見た。
時間は深夜2時。
大きなため息をついて、車を走らせた。

帰り道の途中、渚と最初に会ったマックが見えて、私は車を駐車場に止めた。

私が失恋した日に、皆で慰めてくれた場所、千紗と愛美が喧嘩して、仲直りしたと思ったら、渚が千紗と喧嘩し初めて、店員さんに迷惑をかけた場所、アニメの推しキャラや未来の展望を描いた場所、カラオケの帰りや、学校の帰りに、全ての思い出が詰まった場所。

「どうして……」
私は溢れ出る涙を抑える事ができなかった。
まだ、人生始まったばっかりだよ。
また、4人で集まって近況報告をしたかった。
渚の結婚式にも行きたかった。
私の結婚式にも出てほしかった。
共に子供を産んで、一緒に子供を遊ばせて、ただゆっくりとした時間を過ごしたかった。

どうして、どうして、渚が死ななきゃいけないの。私は泣きながら、どうしようもないこの世の中を嘆いた。

私は部屋のチャイムで起き、あいつの顔をインターフォン越しに見る。すごく心配そうな顔をしている。きっと無視しても、ずっとその場にいそうなので、部屋に入れる事にした。お昼ご飯を買ってきてもらって、

「会社辞めたって、本当? 大丈夫かよ。俺で何か出来る事あれば、なんでもするよ」

「とりあえず、お昼ご飯買ってきてくれてありがとう。でももう帰っていいよ。お釣りはもらっていいからさ」

「そんな事言うなよ、俺マジで心配なんだよ、なんか、最近、おかしいからさ、悲しい事がいっぱいあったから、落ち込んでんのかなって思って」

「関係ないでしょ、浮気した人には、その人とうまくやって下さい。だからもう帰ってください」

「だから、霊媒師なんだって、どうして信じてくるないの。元々、ゆまちゃんが幽霊がいるって言い出したんだよ」

あれは、約1ヶ月前に深夜に帰ってきた日に、お風呂に入って、鏡を見た時にミディアムヘアーの女性が私の後ろに映った。
顔はよく見えなかった。私は驚いて、その時の彼氏の優馬に電話した、彼は来てくれて、明日は仕事だったのに、朝までいてくれた。
それから、変な事が続いた、帰宅したら誰も入った様子はないのに、皿がたくさん割れていたり、夜中に声が聞こえたりした。
しかし、あの患者が亡くなってから、何も起きなくなった。

「それにさ、実は職場で色々聞いたら、ゆまちゃんがおかしいって聞くからさ」

「えっ? 職場に行ったの? 余計な事しないでよ。もう早く帰ってよ」

「なんか、一人で誰かと喋ってたって…」
「いいから、帰れ」
私は無理矢理追い出した。

私は横断歩道で止まっている。
声が聞こえる。
お前は存在してはいけない。
お前なんかいなきゃよかった。
赤の表示だ。
渡ってはいけない。
お前なんか、いなきゃよかった。
私なんて死ねばいいんだ。
車が近づく音が聞こえる。
死ねばいいんだ。
私は一歩前に踏み出した?
死ねばいいんだ。
違う声が聞こえた。
来ちゃだめ。
私は後ろにすぐ身を引いた。

車は通り過ぎ去った。
携帯を確認すると、深夜2時だった。
後ろに誰かの気配が感じた。
振り向くと、あの患者の姿が写り、消えた。

「ねぇ、優馬、霊媒師と会ってたって、本当の話?」

ファミレスで対面した女性は、私がいつの日か、彼の携帯を勝手に見て、文字から、ファミレスで会う事を予測して、覗いた顔。

前髪は綺麗に切り揃えていて、長い髪。
切れ長の目に薄い縁の丸いメガネを掛けて、鼻筋が通っている鼻、細い輪郭に薄く赤い唇。
妖艶でいて、近づきにくい美人な女性だ。

彼女は名刺をテーブルに起き、私の元へ差し出した。

霊媒師 泉真希

「簡単でいいですので、これまで起こった出来事をお教え願います。それと、最近起こった、誰かの不幸も細かくお教え願います」

彼女は聞き終えて、一息ついて、

「お話を聞いた時点では、まだ詳しい事が分かりませんね。もう少し、様子を見ていきましょう。」

私は少し落胆した。
すると、彼女はその顔を見て、察して口を開いた。

「霊媒師と言っても、凄い力を持った存在ではないのです。一つ一つの事象から、内容を汲み取り、適切なアドバイスや、事案を対処していくしかないのです。そして、それが霊という存在が起こした出来事ではないかもしれないからです。」

彼女はカップのコーヒーを一口飲み、言葉を続けた。

「ただ、霊という存在ではないなくとも、不可解な現象は心身が弱っている時に起こるものです。そういう時は、助けてくれる存在が全ての不可解な現象を取り払ってくれます。勿論、霊でも同様です。霊は心身が弱った人間に近付きます。弱っていないと近付く事すら出来ない存在なのですから」

彼女の言葉には説得力があった。
言葉の後に、彼がトイレに向かった。

少しの沈黙の後に、彼女が口を開く

「懸念なのは、不可解な現象が自分が作り出した物の場合、対応や対処が難しくなるという事です。その場合、私もどうする事もできないかもしれないという事です。」

彼の車に乗り込んだ私に、彼は、言いにくそうに口を開いた。

「あの、今日は、俺の家に泊まってかない。その方が何かあった時とか、安全だし」

自分の誤解に謝りもせず、助けだけは呼ぶ、こんな、めんどくさい女に優しく、怒ったりもしない。大らかで少しバカな男、でも、どうしようもなく愛おしく、好きだ。

そうだ、渚が絶対に付き合った方がいいって、私に言ったんだ。
彼とか高校で初めて会った。
コンビニのバイトによく来る客で、私は渚に気があると思っていた。
ある日、彼が突然、コンビニに猫を連れてきた。
猫をよく見ると怪我をしていて、動物病院に連絡して、彼はタクシーで猫を運んだ。
猫は無事だったが、病院代は彼の両親が払い、彼はその病院代の返済の為に、私のコンビニでバイトする事になった。
彼に猫はどうなるだろうと聞いたら、俺が飼うよって言った。猫好きなのって聞いたら、特別好きとかではないと答えていて、その事を渚に話すと、ゆまに気があるんだよって言われた。私はそんな事はないよ、と答えていたが、よく私に猫の写真を見せてきたり、よく話しかけたりしていた。
数週間後に彼は告白したけど、断るでもなく、友達から始める事に、嫌いではないけど、付き合うと考えると気が進まない私に、渚は、絶対にゆまに会う彼氏だよ。前向きで頭がいいとは言えないけど、一週懸命にゆまに寄り添ってくれるよ。

渚のいう通りだ。
私は、彼に、ごめんね、と言って、彼の手を握った。

数週間、彼の家に泊まり、就職活動も始めていた。家の引越しも考えようと物件探しも始めた。彼は、このまま同棲しないかとも言ったが、やっぱり、まだ早いという気持ちがあった。

明るい光が入ってくると思った。

目が覚めると、私は病室の白い天井を見ていた。
体が痛い、どうやら無事らしい。
ただ、軽い怪我ではない事は分かった。
看護師が、私に話す。
私は、崖から飛び降りたのだ。
この怪我ですんだのは、運が良かったと、
看護師の説明の中、隣に誰か見える。
あの患者だ。

霊媒師の言葉を反芻する。
懸念なのは、不可解な現象が自分が作り出した物の場合、対応や対処が難しくなるという事です。その場合、私もどうする事もできないかもしれないという事です。

彼の言葉を思い出す。
なんか、一人で誰かと喋ってたって…

理解した気がする。
全ての出来事は、私に起因するかもしれない。

隣のあの患者は笑っている。
そもそも、あの患者はいたのだろうか、
これは、私の幻影なのだろうか。

生きるって当たり前だよね。でもね、否定された言葉を浴びせられると、その当たり前に少しの疑問が湧いてくるの、何度も何度も、その否定の言葉が大きな疑問となってくる。やがて、生きるという当たり前の感情が崩れて、死という感情が生まれる。それが強く、強く刻み込まれ、死を考え始める。生きるという当たり前から、死ぬという事へ。歩みを始める。そして、自殺するという道にいってしまうの、自殺しなくていい楽しい空間があるなら別だけど、その空間がないなら、死へ走り始めるの

その言葉を噛み締める、果たして、この言葉は患者の言葉なのか、私の言葉なのか、

私を否定し続ける言葉が、私の耳に聞こえてくる。

実態のない影が、私に寄り添っている。





















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