文字数 6,435文字

これを、宮司殿に届けてはくれないだろうか。

 父は、そう言いながら私に風呂敷包みを差し出してきた。
「宮司さんって……今、神社に居る宮司さん?」
私は、包みを受け取りながら尋ねた。
「いや、お前が言っている神社は、今、宵宮祭をしている神社のことだろう」
父のその言葉に、私は首をかしげた。
この村の村社は、今、祭を行っているあの神社しかないではないか。
父は、何故か私から目をそらすように顔を伏せた。

「私の言っているのは、村の外れにある神社のことだ」

私は、そんなものがあっただろうか、と、また首をかしげた。
村の外れに神社など、あっただろうか。

「昔は、村の境目だったところなのだが…北へ向かうと、公民館があり、そこから途端に家が途切れる箇所があるだろう」
父の言葉に、私は頭の中で地図をたどった。

確かに、小さな集会所としての、公民館がある。そこから先は田んぼしかない。
「その公民館の隣だ」
はて……公民館の隣に神社などあっただろうか……。
「あ、もしかして公民館の横のけものみちみたいな所?」
思い出せば、草が生い茂っている中に一筋、道と言えば道…かもしれない、というようなものがあった、気がする。

父は、うむ……と頷いた。
「その奥にあるのだ、神社は」
そこに宮司殿がいるから、これを手渡して欲しい、と再度言った。

「私じゃなきゃ、ダメなの? お父さんは?」

私は、思ったことを、そのまま口に出してしまった。
祭の夜で、幾分、賑わっているとはいえ、公民館のあたりはその華やいだ雰囲気からかけ離れ、街灯すらない。想像するだに暗いところだ。

そんなところへ、わざわざ娘を行かせるの?
と、不満を露わにしてしまったのだ。

父は、うむ……と、あいまいな返事をした。
私としても、自分がわがままを言っている事は承知している。
父は、いわゆる氏子総代というものなので、今日のようなお祭りの日には、宮司さんを手伝わねばならない。
今、この時間に、こうしている方が希なのだ。
一方、母は、というと、近所の、親戚筋にあたる小さな子供たちの世話で、手が離せないのは知っている。
一つ息を吐き、うん、と頷いた。

「……ごめん、わかった。行ってくる」
と父から風呂敷包みを受け取った。
「すまない」
と、父が本当にすまなさそうに言った。

「自転車で行っても良いかな、」
「ああ、夜道は危ないからな」
父も、やはり夜道を私一人で行かせるには気が引けていたのだろう。頷きながら、承諾してくれた。
「じゃあ、行って参ります」
そうして、私は村のはずれの神社とやらに出かけた。

 賑やかな雰囲気の道路を、祭りに行く人たちとは逆に自転車を走らせる。小さな村社の祭とは言え、子供たちは楽しそうにしている。
 そんな中、私は、よくわからないお使いをしている。
 どんどん人気(ひとけ)は少なくなり、道路に飾られている提灯もまばらになり、しんしんと夜の気配が強くなってくる。

 ……そういえば、この風呂敷包みの中身は何なのだろう……

 割れ物だとしたら、自転車を慎重に運転した方が良い。父に尋ねておけばよかった、と少し後悔した。
 しかし、公民館のところまで来て、もっと後悔した。

 一旦、自転車から降りて、これから行く先の道を覗いてため息をつく。

 ……懐中電灯、持ってくるんだったな……。

 公民館の横にある、舗装もされていない小さな砂利道は、街灯など一つもない暗闇だった。道の入り口の両脇に、いびつな円錐形の石を縦横(たてよこ)に二つくっつけたような、手のひらくらいの大きさのこけしのような、そんなものが左右に一つずつ在るのを初めて知った。
 家々の明かりなどが、近辺にちらほらしているので、真の暗闇ではないが、この道を自転車の灯りだけで行くのか、と、わずかに心細くなった。おまけに、ゆるやかな上り坂ときている。
 砂利道で、上り坂、多分、道の脇には草がたくさん生えていて、自転車の灯りに虫が群がってきそうだ……。あまりうれしい状況ではない。先ほどは懐中電灯を持って来るのだった、と思ったが、持っていたらばいたら顔にまで群がってくるだろう。持ってなくて良かったかもしれない、と思い直した。

 しかし、嘆いても仕方が無い。さっさと行きましょう。
 と、決意した時。

 小さな灯りが、ゆらゆらと降りてくるのが見えた。
 ほどなくして、提灯を持った男性が砂利道をゆっくりと歩いてやってくる。
 私の知っている宮司さんは、白い一重に水色の袴を履いているが、その人は、白の一重の上に、黒の薄い羽織に黒の袴だった。

 宮司さんというより、お坊様……?

 と思ったが、少し長めの髪があるのでお坊様という雰囲気でもない。
 細面で、切れ長の目をした、その男の人は、私に提灯を向け、会釈をした。つられて会釈をする。

「角の、杜さんのところの方ですね」
「はい、父に頼まれまして、これを渡すようにと言われました」

自転車のスタンドをたて、カゴに入れていた風呂敷包みを差し出す。
「ありがとうございます。昨年までは、神明さんのところの娘さんに頼んでいたのですが、今年は、大学生になったとかで、他県へ出て行ってしまったらしく……、それで、代わりに角の杜さんへと頼んだのです」
 神明さん、というのは、今、祭りを行っている村社の宮司さんのことで、いわば屋号のようなものだ。本当の苗字ではない。が、親の世代より年上の人たちは、皆、苗字ではなく、このような呼び方をする。

 昔、搗(つ)き米を商いにしていた佐藤さんの家は、作搗屋(ざくつきや)、と呼ばれている。
 稲を精米することをやっていた方の佐藤さんは、精米所。
 一代で田を広げた楠木さんは、その偉業(?)を行った人の名前に田をつけて、タサブロウ、と呼ばれている。
 考えてみれば妙な話ではあるが、そういう呼び方で育ったため、さほど違和感は感じない。
 ただ、私や、大学に入ったため他県へ行ったという宮司さんの娘さんくらいになると、屋号では呼ばず、苗字で呼ぶ方が普通になっている。

 ちなみに、先ほど、この男の人が私の事を「角の杜」と言ったが、私の苗字は小池だ。氏子の家々のことを、何故かこの地域では「杜」と呼ぶ。我が家は十字路の角に家があるために「角の杜」となるわけだ。栗の木が数本、家の裏に生えているお家の氏子さんは、「栗の杜」さんである、その昔はお家の裏側に栗の木の畑があったらしい。ちなみに苗字は佐々木さん、その昔、鍛冶を行っていた氏子の八巻さんは「鍛冶の杜」さんである。

 「自転車で、普通に運んできてしまったのですが、壊れ物とかだったでしょうか……?」
そう尋ねると、男の人は、少し笑った。
「壊れ物、という程、もろくはありませんが……中身が気になりますか?」

すぅっと、切れ長の目を細めて言われたのが少し居心地悪く感じてしまい、慌てて私は首を振った。
「い、いえ! あの、配慮せず運んできてしまったので、知らずに壊してしまっていたら、大変かな、と思って」
「そうですね……壊れてしまっていては、大変なのですが……」

と、そこで言葉を切り、男の人は、自分の背後の闇へと目を向けた。
そして、向き直り、にっこりと笑った。
「ええ、大丈夫でしょう。壊れてなどいないと思いますよ」
何故か、確信のあるような口ぶりで頷いて言われ、こちらも何となく納得した。

「遅くなるといけません、これは確かに受け取りました。ありがとうございます。気をつけて帰ってくださいね」
「はい、では、失礼します」
と、礼をして、自転車を家の方向へと向ける。

 振り返ると、ピシリと音がしそうな程頭を下げ、礼をしている男の人が見えた。
 上下の黒い羽織と袴が、闇に溶け込んでいきそうに見えた。
 私は、そのまま自転車をこぎ家路を急いだ。

 次の日。
 昨晩の事が気になり、学校から帰ってきて、また公民館の所まで来てみた。
 両脇に小さな石のこけし…?が在る、舗装されていない砂利道。しかし、想像よりも砂利道の両脇の草は刈られていた。
 そして、私は道の入り口に立てられている石碑に気が付いた。

【正一位稲荷大明神】と彫られている。

 ひょっとして、この変形のこけしのような……何とも言いがたい趣の二つの石は、狛犬ならぬ狛狐のつもりなのだろうか……。

 私は、自転車で、坂道の上にある社まで砂利道を登った。
 稲荷神社を象徴する何本も連立する赤い鳥居は無いものの、そこには大人の男性の背丈くらいの社があった。
階段もついているが、とても人が簡単に昇ったり下りたりするような大きさではない。扉の前には、赤い燭台。そして、ここにはきちんとした狛犬の代わりの一対の狐。片方が白く、片方が黒い。何だか珍しい作りだな、と思った。

 坂道を登りきった、この丘の上にあるのは、それだけだ。
 家らしきものはない。
 社の裏手も、草は刈られているものの、道らしいものはない。

 もっとも、神明さんの方の宮司さんも村社に住んでいるわけではないので、あの男の人も、祭りの時だけここへ来て、何か神事をしているのだろう。
 そして、あの風呂敷は、私が学校に行っている昼の間にでも、返しにきているのだろう。
 私はそう納得して家へと戻った。

 それから、毎年、祭りの日には、あの稲荷神社まで、風呂敷包みを持っていくのが、私の役目になった。
 細面の男の人は、いつもあの丘の下まで降りてきてくれていた。
 着ている物は黒の薄い羽織であることはいつも一緒だったが、袴は、白袴と黒袴を一年で交互に着ているようだった。

 五年目の事である。
 いつものように自転車で風呂敷包みを村はずれの、あの稲荷神社に届けに行く途中だった。
 進行方向に大きな石があるのを、自転車のライトで見つけ咄嗟にハンドルを切ったが、転んでしまった。
 正確には自転車のみが転倒した。私は自分が転ぶ前に自転車から離れた。だから私自身には怪我はない。だが……。
 風呂敷包みの中身は無事だろうか……。

 私は、今まで、この中身が何であるかを気にした事はなかった。
 勝手に開けて見るのは失礼に当たる。
 しかし、今のような場合、どうしたら良いのだろう……。

 私は自転車を起こしながら、風呂敷包みを見やった。
 ……ごめんなさい、中身が壊れ物だった場合、今の転倒で、酷い状態になっていないか、どうかを確かめるためです。
 と、一度手を合わせ、風呂敷包みを開いてみた。

 桐の箱に、一枚の白い狐の面が入っていた
 しかも、額に大きくはないが、亀裂が走っている。
 
 ああ、これは大変なことをしてしまった…。

 何だか、とっても取り返しがつかない気がした。
 私は、とりあえず元の通りに桐の箱を風呂敷で包み、稲荷神社のふもとまで急いだ。
 細面の男の人は、あの細い砂利道のところで私を待ってくれていた。
 私は急いで自転車を降り、風呂敷包みを手にしながら深く頭を下げた。

「ごめんなさい。途中で転んでしまい、中の物に傷をつけてしまいました」
頭を下げながらそう言うと、男の人は、
「……ということは、中を見たのですね」
と言った。

「すみません。見てはいけない物だったでしょうか」
冷や汗をかきながら、私は頭を下げ続けた。
「いえ、別に見てはならない、などという物ではありませんよ」
と、微笑みを含んだ声がして、ようやく私は頭を上げた。

 男の人は、提灯の持ち手を脇に挟み、風呂敷包みを解いて中の桐箱を開けていた。
「なるほど……」
と、片手の拳を顎にあて、多少考えているようだった。
そして、いつかのように自分の背後の闇へと目を向けた。

すぐにこちらへ向き直りにこりと笑った。
「……いや、大丈夫でしょう。これはこれで味があるものです」

そう言われても、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
 私はよほど心配そうな顔をしていたのだろう。男の人は安心させるように、ゆっくりとまた言った。

「大丈夫ですよ」

そして例年と同じように、暗いから気をつけて帰ってくださいね、と言い、すぅっと坂道を登って行った。
 私は、そこにたたずんでいる訳にもいかないので、しょげかえりながら家へと戻った。
 そして、宵宮が終わって帰ってきた父に事の次第を告げた。

 父は、ふむ……と、何かを考えているようだったが、
「宮司殿が、大丈夫だと言ったのなら、問題ないだろう」
と言った。
 そして、そのことはそれっきり話題にしなかった。

 次の日の夕方。
 もやもやとした、居心地の悪さがまだ続いていたので、何をするわけでもないのに、あの稲荷神社まで登って行った。
 稲荷神社は、いつか見た通り、大人の男性くらいの大きさの社に小さな階段。扉の前に赤い燭台。狛犬の代わりに白と黒の狛狐……。
 ふと、片方の白い狐の額にヒビが入っているのが見えた。
 ちょうど、昨晩、転倒した時につけてしまった亀裂と似たような……。

 え……?

 私は思わず、もう片方の黒い狐を見た。

 細面の狐は、口角を上げ微笑んでいるように見えた。

 私は、白い狐の額のヒビを、そっと撫で、そうして深々と頭を下げた。
「ごめんなさい、痛く、ありませんか」
そっと窺っても、表情は変わらなかった。
 当たり前だ。
 そして、黒い狐に向き直り、また深々と頭を下げた。
 
 私は、急いで家に戻り、父に、狐の面はどこで誰が作っているのかを尋ねた。
「あれは、ここで作っているものじゃないんだ」
「作っている人の連絡先を、教えてもらえない?」
父は、何のためにだ? と尋ねた。問われて当然だ。

 私は、昨晩の失態をもう一度言い、新しい物を奉納すれば自分の気が晴れる、と告げた。
「……あれだって、只ではないのだぞ?」
と言われ、うっ……と詰まったが、今あるこづかい全額を出す、と言うと、父は苦笑いを浮かべた。
「冗談だ。そこまでしなくても良い。氏子総代の娘はなかなか信心深い、と、神明さんも思ってくださるだろう」
足りない分は出す、と言ってもらえ、ちょっとだけ安堵した。

 そして、父が教えてくれた遠方の面打ちの人へ電話をし、もう一つ、今年の分の狐の面を作って欲しいと伝えた。
 その際に、一つだけ、お願い事をした。
 面打ちの人は、何故そんな事を? と、いぶかしげな声をしていたが、それ以上は聞き出そうとせず引き受けてくれた。

 急いで作ってくれたのだろう。思っていたよりも早くその面は届いた。
 私は、面の入った桐箱を風呂敷で包み村の境の稲荷神社へと急いだ。
 坂を上り、一対の狐の前に立つ。
 風呂敷包みを解き、桐箱からそっと白い狐の面を取り出し白い狐の像へと被せる。
 額の部分に、亀裂と良く似た文様を入れてもらったものだ。
 そして、二つの狐に深々と礼をした。

「私も、今年、大学受験です。やっぱり他県の大学を受験します。だから…今年が私が運ぶ役目の最後でした。最後なのに、面を傷つけてしまって……ごめんなさい。取り返しがつかないかもしれないけれど、傷の部分に文様を入れてもらった物を置いて行きます」
 頭を上げ、二つの狐の像を見る。
 何の変化もない。当たり前だ。
 ただの私の気休めにしかならない。
 けれど、少しだけ心が軽くなった。

 そうして、私は他県の大学を受験し、合格通知を受け取り、この地域を出て行った。
来年からは栗の杜のところの子がこの役を担うと聞いた。次は男子だという。
 大学に行く前に声をかけて行こうかと思ったが、やめておいた。
 何を話せばいいかわからなかったし、話してどうとなるわけでもない。

 ・・・・・・

 大学一年の夏休みになり、実家へ戻った時にふと思い出したので、村境の稲荷神社を訪れてみた。

 一対の、白と黒の狐の像。
 その両方の額に、多少、奇妙な文様が施されていた。
 そうか、今年は黒い面にも文様を入れたんだ……。それとも、まさか、今年から面を届けた子が、最初の年にいきなり転んで傷でもつけたのだろうか。
 そっと狛狐の額の模様を撫でる。

 "これは、これで味があるものです”

 あの時の宮司さんの声が聞こえた気がした。


          ― 了 ―
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