第1話
文字数 1,481文字
空になった四本目の眠気覚ましのドリンクがデスクから落ちた音で目が覚める。時刻は午前六時四十分を指していた。
今月何度目かなんて数えていない残業はむしろ通常運転で、そろそろまた、朝早い出勤の人が会社へ来る頃だ。
この会社がブラックなのかなんてわからない。きっと俺がまともに仕事ができないから、こんなに残業を繰り返しているのだろう。
俺だって毎日必死に仕事をしている。上司の言うことを聞いて、部下に頼られることはないが、昼も食べずにパソコンに向かっている。なにが駄目だ。俺のなにがいけない。
仕事から思考がそれた頭に、オフィスの扉が開く音が流れ込んだ。疲弊しきった頭にとって、扉が閉じる音は嫌に痛くて、両手で耳を塞いで体を縮めた。
手のひら越しに「おはようございます」という声がぼやけて聞こえ、挨拶を返さなきゃ、と顔を上げると、人はいなかった。
幻聴まで聞こえ始まってしまった自分に泣きそうになりながら、落としたドリンクの空き缶を拾おうとすると、そこに小さな動く塊がいた。
膨れた白い面の横に、黒く平たい二枚の翼、その上に丸い頭がのって、かたそうな尖ったくちばしのようなものが飛び出ている。
ペンギンとしか形容できないそれは、両手を上下に動かし、宙に浮いた。そのまま一つ飛ばした俺の左のデスクにのった。
知っている声を発するペンギンがパソコンを開いて仕事を始めたと同時に、またオフィスの扉が開く音がした。
「おい、日生。お前終わったか? 昨日の仕事」
知っている声が聞こえた先にいたのも、ペンギンだった。そのペンギンは両翼をばたつかせ、不恰好に飛びながら、俺を見下すように隣に静止した。
「まだ終わってないのか? 本当になにもできないな、お前」
俺はたまらず、口をおさえて笑ってしまった。腹から出てくる笑い声が、自分のものとは思えないほど高くて、まるで子どもみたいだ、とどこか俯瞰している自分もいた。
「なに笑ってんだ!」
だって笑うだろ。
俺の目の前にいるのは空飛ぶペンギンで、そのペンギンに叱られているのだから。
じゃあ、このペンギンはやっぱり魚を食べるのかな。水族館で見るみたいに丸呑みするのかな。ペンギンって案外魚臭いらしいけど、このペンギンは魚ってより、汗臭いな。
いろいろ考えたら、さらに笑いが込み上げてきて、俺は腹を抱えて大笑いした。
「お前……いい加減にしろよ!」
空飛ぶペンギンは、俺の頭を叩いた。
残業で徹夜明けの俺の頭に、その羽のパンチは酷く響いて、脳が潰された感覚になった。
ペンギンって水から出るときに、あの羽で水面を叩いて飛び出るから、かなり羽の力が強いって、どこかで聞いたな。噂によると、ペンギンに腕を叩かれたら骨折するらしい。
俺を叩くペンギンを見向きもせず、オフィスの扉からはペンギンが入り、続々とデスクについている。
じゃあ俺も、ペンギンになれるんじゃないか。いや、ペンギンなんじゃないか。
念力のように空を飛び、人を強く叩けるペンギンに。
「ねえ、ペンギン」
「はあ? 誰がペンギンだ。ふざけるのも大概にしろよ!」
俺は椅子から立ち上がり、空飛ぶペンギンの真似をして、両手を翼のように上下に振った。
「うん、飛べそう。君のおかげで」
俺は、ペンギンの怒号を後頭部に感じながら、窓に向かった。
クレセントを下げ、窓も開け、サッシに乗る。
太陽が隠れている空に、俺は希望を見出した。
大丈夫。きっと上手く飛べる。
「おい、待て!」
そう言ったペンギンに、俺は笑顔で応えた。
「俺だって飛べるんですよ!」
窓の枠から手を離し、俺は両腕を大きく振った。
今月何度目かなんて数えていない残業はむしろ通常運転で、そろそろまた、朝早い出勤の人が会社へ来る頃だ。
この会社がブラックなのかなんてわからない。きっと俺がまともに仕事ができないから、こんなに残業を繰り返しているのだろう。
俺だって毎日必死に仕事をしている。上司の言うことを聞いて、部下に頼られることはないが、昼も食べずにパソコンに向かっている。なにが駄目だ。俺のなにがいけない。
仕事から思考がそれた頭に、オフィスの扉が開く音が流れ込んだ。疲弊しきった頭にとって、扉が閉じる音は嫌に痛くて、両手で耳を塞いで体を縮めた。
手のひら越しに「おはようございます」という声がぼやけて聞こえ、挨拶を返さなきゃ、と顔を上げると、人はいなかった。
幻聴まで聞こえ始まってしまった自分に泣きそうになりながら、落としたドリンクの空き缶を拾おうとすると、そこに小さな動く塊がいた。
膨れた白い面の横に、黒く平たい二枚の翼、その上に丸い頭がのって、かたそうな尖ったくちばしのようなものが飛び出ている。
ペンギンとしか形容できないそれは、両手を上下に動かし、宙に浮いた。そのまま一つ飛ばした俺の左のデスクにのった。
知っている声を発するペンギンがパソコンを開いて仕事を始めたと同時に、またオフィスの扉が開く音がした。
「おい、日生。お前終わったか? 昨日の仕事」
知っている声が聞こえた先にいたのも、ペンギンだった。そのペンギンは両翼をばたつかせ、不恰好に飛びながら、俺を見下すように隣に静止した。
「まだ終わってないのか? 本当になにもできないな、お前」
俺はたまらず、口をおさえて笑ってしまった。腹から出てくる笑い声が、自分のものとは思えないほど高くて、まるで子どもみたいだ、とどこか俯瞰している自分もいた。
「なに笑ってんだ!」
だって笑うだろ。
俺の目の前にいるのは空飛ぶペンギンで、そのペンギンに叱られているのだから。
じゃあ、このペンギンはやっぱり魚を食べるのかな。水族館で見るみたいに丸呑みするのかな。ペンギンって案外魚臭いらしいけど、このペンギンは魚ってより、汗臭いな。
いろいろ考えたら、さらに笑いが込み上げてきて、俺は腹を抱えて大笑いした。
「お前……いい加減にしろよ!」
空飛ぶペンギンは、俺の頭を叩いた。
残業で徹夜明けの俺の頭に、その羽のパンチは酷く響いて、脳が潰された感覚になった。
ペンギンって水から出るときに、あの羽で水面を叩いて飛び出るから、かなり羽の力が強いって、どこかで聞いたな。噂によると、ペンギンに腕を叩かれたら骨折するらしい。
俺を叩くペンギンを見向きもせず、オフィスの扉からはペンギンが入り、続々とデスクについている。
じゃあ俺も、ペンギンになれるんじゃないか。いや、ペンギンなんじゃないか。
念力のように空を飛び、人を強く叩けるペンギンに。
「ねえ、ペンギン」
「はあ? 誰がペンギンだ。ふざけるのも大概にしろよ!」
俺は椅子から立ち上がり、空飛ぶペンギンの真似をして、両手を翼のように上下に振った。
「うん、飛べそう。君のおかげで」
俺は、ペンギンの怒号を後頭部に感じながら、窓に向かった。
クレセントを下げ、窓も開け、サッシに乗る。
太陽が隠れている空に、俺は希望を見出した。
大丈夫。きっと上手く飛べる。
「おい、待て!」
そう言ったペンギンに、俺は笑顔で応えた。
「俺だって飛べるんですよ!」
窓の枠から手を離し、俺は両腕を大きく振った。