第1話

文字数 4,414文字

 私は或るコールセンターの立ち上げにリーダーとして参加することになった。名称も電話番号も外部には一切公開されない特殊な部署だ。
 或る企業とだけ言っておこう。何故なら、企業名、業種を含めて、内容が推定されるような記載をSNS等に書き込むことは厳しく規制されており、違反した場合には、企業が受ける有形、無形の損害に対し賠償責任を負う旨の念書を提出させられているという事情が有る。そう言う事情を含んだ上でお読み頂けると有り難い。

 ところで、新規立ち上げのコールセンターは、内部構想では『SWAT』と呼ぼれている。
 どう言う部署かと言うと、この企業には目的別に複数のコールセンターが存在し、入電者はガイダンスに從って通話先を選択するのだが、当然、どこの部署にも一定割合でクレームと言われる内容の入電は有る。
 オペレーター達はマニュアルに從って対応し、マニュアルで即答出来ないような内容に付いては、入電者の了解を取った上で保留にし手を上げる。すると、リーダーが足音を立てないように走って来る。
「どうしました?」
とリーダーが聞き、オペレーターが質問内容を簡潔に告げると、どう答えるべきかを指示する。これが基本的な処理になる。
 手を上げる場合、オペレーターは、通話中なら一本指を立てるが、クレームと思われる時は二本指、つまりチョキを出す。通話が終わって記録(ログ)をどう書いたら良いかを聞きたい場合などは、パー即ち五本指だ。
 当然、チョキが最優先であり、次に一本指、パーは最後と言うことになる。

 保留に付いてだが、一回、二回で済めば良いが、内容により、また相手により、更にはオペレーターの性格によって四回、五回と繰り返されることになる場合も有る。当然、入電者も苛立って来て、保留させてくれない場合も出て来る。リーダーはヘッドセットを首に掛け、接続端子をぶら下げている。チョキが上がると、自分のヘッドセットの端子をオペレーターの電話機に差し込みモ二タリングしながら、手持ちのホワイトボードに指示を書き込んで伝えたりする。長くなりそうだと“島”を管理するSV(スーパーバイザー)もモニタリングを始める。
「お前じゃ話にならん。上司を出せ」
と言われたら、言い訳はせず、即リーダーが代わる。相手の話の途中にオペレーターがちょっと口を挟んでしまった為にクレームに発展することも多いので、オペレーターの対応を謝罪した上で、口を挟まずに全部喋らせることが基本だ。短く終わらせようとして相手の話を遮り口を挟んでしまうと却って長くなってしまう。
 対応者が代わる。こうした対応で多くはクールダウンする。上司に代わらせたと言う満足感からなのだろう。一方、リーダーに代わってもらいモニタリングに回ったオペレーターは、妙な気分になる場合も往々にして有る。自分にはあんなに文句を言っていたのに、代わった途端、掌返しのようにクールダウンされては、自分の対応が余程悪かったように取られてしまうではないかと思うのだ。
 リーダー対応で納得しない場合は、SV若しくはベテランのオペレーターが折り返し電話することになる場合も有る。
 無理な要求をされても、基本的にオペレーターレベルではマニュアルに從って対応するしかない。同じ回答を繰り返すと、
「お前はロボットか!」
などと罵倒されることも多いのだが、SVは多少フレキシブルな対応が可能なので、多くはそこで収まることになる。

 SV対応でも収まらない案件は有る。事情が有って、この時期、この会社に対するヘピークレームは急増していた。
『お前らじゃ話にならんから、社長直通の電話番号教えろ』
とか、
『少なくとも部長級の人間が手土産持って誤りに来い』
とか、
『社長の記名と押印が有る謝罪文を送れ』
とか大真面目に言って来る。多数存在する顧客の中で、自分だけは特別な存在だと思ってしまうのだろうか? 或いは『みんなを代表して俺が言ってやる』と言う気持ちなのだろうか? 兎に角、そう言う要求をして来る人は一定数存在する。
 中には、『毎日十九時丁度に電話しろ』
なんていうのも有る。そういった管理者レベルが対応しても解決出来ない案件を一箇所に集めて専門対応しようと言うのが『SWAT構想』なのだ。

 各部署から未解決のクレーム案件が一覧データとして送られてくる。それに架電対応するのがSWATの仕事だ。一般顧客への架電と違って全てがヘビークレームという部署なのだ。從ってSWATのオペレーター全てがSV並の裁量権を与えられることになる。
 そして、その業務は或る派遣会社が引受け、オペレーター付きでセンターを立ち上げることになった。そのセンターでSVやリーダーとして業務に当たる人材の実務研修を兼ねた訓練に、私はリーダーとして参加していた。

 彼らは総じて若い。外見的には男女とも金髪だったり、耳ばかりでなく唇にもピアスをしていたりと、通話相手が想像もしないような風貌の者も多いのだが、総じて彼らの業務スキルは高い。相手の話を聞きながら、相手が喋るスピードに合わせて、なんの苦もなくログを残すことが出来るし、言葉使いや対応もキチンとしている。それなりの研修を受け、経験も有る人達なのだ。コールセンターは声のみでの対応となるので、外見は問わない。キチンと喋れてキチンと対応出来れば、それで良いのだ。ただ、広く胸を開けた服、ミニスカートは禁止している。肩や腹を出した服もNGだが、カーディガンを羽織ったり、膝掛けを掛ければOKなどドレスコードは有るが、その辺は比較的緩い。通話相手は恐らく、紺のスーツを着た男女が対応していると思っていることだろう。

 二本指、チョキが上がった。私は足音を立てないように気を付けながら、その場所に走った。二十五、六の優秀なスタッフだ。センターが通常稼働するようになればSV(スーパーバイザー)として働いて貰う予定の男だ。側に寄ると音漏れがするほどの大声で相手が喋っているのが分かった。オペレーターが目配せをする。私はヘッドセットの端子を彼の電話機に繋ぐ。
「てめえ、聞いてんのか、こら!」
「はい。承っております」
「だから、どうすんだよ! ええっ? 昨日電話に出た女、なんて言ったと思う? 『ですから、それは出来ないと何度も言いました』って偉そうに言ったんだぞ。それが客に対する言い草か?」
「大変申し訳御座いませんでした。本人に代わりましてお詫び致します」
「お詫びしますじゃねえんだよ。そう言う態度取ってもいいと教えてんだろう、大した客じゃ無ければ……」
「申し訳御座いません。教育が徹底していなかったことをお詫びし、今後そのようなことが無いように徹底したいと思います」
「今後じゃねえんだよ。俺に対してどうするんだって聞いてんだ」
「大変申し訳有りませんでした。改めてお詫び致します」
「お詫びします。お詫びしますじゃねえだろう。口では何とでも言えるんだよ。どうすんだ!」
「申し訳御座いません」
「どうすんだって聞いてんだよ! お前じゃ話にならん。もっと上に代われ」
 私は、オペレーターに指でOKサインを出した。
「上司に代わりますので、少々保留にさせて頂いて宜しいでしょうか?」
「さっさと代われ。待たせんなよ」
 オペレーターがPC内のツールの保留ボタンをクリックし席を立つ。私は、わざと少しインターバルを取ってからオペレーターと代わって席に座る。そして、ツールの通話ボタンをクリックした。
「大変お待たせして申し訳御座いません。私、管理を担当しております黒川と申します」
「おう、黒川さんか。腹真っ黒な黒川さんじゃねえだろうな」
「そのようなことは御座いません。今、オペレーターから聞きましたところでは、吉田様には不適切な対応でご不快な思いをさせたということで、本当に申し訳ございませんでした。今後オペレーター教育を徹底して参りますので、どうぞご容赦下さい」
「今後は今後でいいんだけど、俺、どうしてくれんの?」
「申し訳御座いません。重ねてお詫びします」
「“ごめんなさい”で終わり? ふざけてんのか?」
「申し訳御座いません。私、吉田様の仰る意味を理解出来ておりませんで……」
「お前なあ、そう言うふざけたこと言ってるなら、帰り道、後ろ気を付けて歩けよ。行くからな」
「申し訳御座いません。仰る意味が分かりません」
「ボケーッ! てめえ、窓から飛び降りて死ねー。社員が一人自殺すりゃ、会社も少しは考えるだろうから、おい! 腹黒っ、今、窓から飛び降りろ、早く行けー!」
 ヘッドセットから漏れるほどの大声で喚いているので、当然音漏れしており、代わったオペレーターだけでなく、近くに居る他のオペレーターも、チラチラとこちらを見る。
「申し訳御座いません、吉田様。こちらのセンター一階に御座いますので(実際には八階)、ご要望にはお答え出来ませんが、吉田様のご要望、手前共のオペレーターの対応、録音を聞き起こしまして、今後の対応を検討させて頂きたいと思いますので、後日、また、改めさせて頂けますでしょうか?」
「録音? 何だそれ」
「はい。最初にお電話頂いた際、『対応の品質管理の為、会話を録音させて頂きますのでご了承下さい』と言うアナウンスが流れたと思いますが……」
「ああっ? 知らねえぞ」
「ご要件別の対応窓口の番号をプッシュした際、暫くお待ち下さいと言う案内に続いて流れておりますが」
「……混んでて待たされるから、そんなのいちいち聴いてやしねえよ。繋がってから耳に当てた」
「左様で御座いますか、大変お待たせして申し訳ございませんでした。また、改めさせて頂くと言うことで宜しゅう御座いますか?」
「……もう、いいよ! 何回話したって埒開かねえから、架けて来んな、馬鹿」
 通話はそれで切れた。
「有難う御座いました」
 代わったオペレーターが私に言った。
「反社ですかねぇ?」
「いや、違う。普通の人だ」
「でも、凄かったじゃないですか」
「お客さんの住所見てみなよ。番地と部屋番号しか載ってないだろう。その番地に有るのは公務員宿舎だ」
「ええっ? 公務員ですか、あの人」
「普段は普通の人なんだろう。仕事でストレス溜まってんのかな。運転すると人格変わるけど、普段は温厚な人、よく居るじゃん。事が大きくなり過ぎて困るのは、アチラの方ってことだ」
「……確かに」
「仮に本物の反社だったとしても、通話で殴られることは無いし、このセンターの所在地も分からない。仮に突き止めたとしてもこのビルで働く人の中から、会ったこともない君や俺をどうやって見分けられる? ドーンと構えて丁寧に対応する。こっちがストレス溜め込んじゃ駄目だ。気を付けなければならないのは、一歩外へ出たら、業務の話は絶対にしないことだ。居酒屋やカフェで、誰かの耳に入ったらアウトだからな」
 オペレーターは拳の親指を立てて突き出し、ニヤリと笑った。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み