メモリーキーパー
文字数 594文字
みんな誰かとつながっていたいと思う。けれど、うまくいかない人もいる。私もその一人である。
普段から話すのが苦手だった。忘れっぽく昨日の夕飯も覚えてない時もある。気も利かず、うまいことも言えない、自分の鈍感さが嫌いだった。だから、周囲とは、なじめなかった。
中学生の誕生日にプロカメラマンの叔父がカメラをくれた。
私はカメラが大好きになった。カメラをいつも持ち歩いていて、何かを撮り記憶することが楽しみになった。覚えていないおぼろげな記憶も風景も、見直して何度も体験することができる。
しかし、私の撮る写真は「どこかさみしい印象がある」と言われた。私は気づいていた。自分の元から持った鈍感さで本当の美しさを撮れないことに。
中学卒業まぎわになると理想的な写真や、楽園のような写真、つまり「ユートピア」を撮りたいという気持ちがあった。できなかった。叔父は、「メモを取るように」と言った。最初は戸惑ったが、真剣にメモをするようにした。すると現実の美しさが良く伝わるようになったと言われた。
願えば叶うなんて思わない。どれだけ努力すれば救われるかなんて思わない。叔父は数千枚の写真の中から一枚だけとりあげて、褒めてくれた。その時の叔父さんの笑顔をカメラに撮った。
私にはカメラの技術はない。代わりに自分が見た、うつくしい風景や出来事を写真に残すことにした。それが私にとってのユートピアだから。
普段から話すのが苦手だった。忘れっぽく昨日の夕飯も覚えてない時もある。気も利かず、うまいことも言えない、自分の鈍感さが嫌いだった。だから、周囲とは、なじめなかった。
中学生の誕生日にプロカメラマンの叔父がカメラをくれた。
私はカメラが大好きになった。カメラをいつも持ち歩いていて、何かを撮り記憶することが楽しみになった。覚えていないおぼろげな記憶も風景も、見直して何度も体験することができる。
しかし、私の撮る写真は「どこかさみしい印象がある」と言われた。私は気づいていた。自分の元から持った鈍感さで本当の美しさを撮れないことに。
中学卒業まぎわになると理想的な写真や、楽園のような写真、つまり「ユートピア」を撮りたいという気持ちがあった。できなかった。叔父は、「メモを取るように」と言った。最初は戸惑ったが、真剣にメモをするようにした。すると現実の美しさが良く伝わるようになったと言われた。
願えば叶うなんて思わない。どれだけ努力すれば救われるかなんて思わない。叔父は数千枚の写真の中から一枚だけとりあげて、褒めてくれた。その時の叔父さんの笑顔をカメラに撮った。
私にはカメラの技術はない。代わりに自分が見た、うつくしい風景や出来事を写真に残すことにした。それが私にとってのユートピアだから。