上京

文字数 1,487文字

早朝、福岡へ向かう高速バスで窓の外を眺めていた。
田んぼ、電柱、奥には街のような建物。同じような景色が流れている。
近いものは速く、遠いものは遅く動く。
この景色を見て、この世界は反時計回りに廻っているのだと思った。


春。私は羽田空港行きの飛行機の中であっという間に過ぎ去った福岡での二年間を振り返っていた。
専門学校を首席で卒業できたこと、先生達が背中を叩いてくれたこと。
陰口を叩かれ涙を流したこと、その陰口を燃料に更に努力したこと。
色んな思い出を巡らせながら羽田空港から新宿へと向かう。

──その二年間のどんな記憶も今の私を作っている、きっとここでも一人じゃない。
そんな気持ちで見た新宿の街は、なんだか少し寂しかったのを覚えている。

少し時間が経ち東京での生活に慣れてきた頃。阿佐ヶ谷の区民センター前の公園で、別に好きな人が居ることを同棲していた彼女から打ち明けられた。
悲しみや怒りが湧いてくるものだろうが、「きっと自分のせいだろう」と流して距離を置いた。
今思い返せば、それ以上傷つきたくないという気持ちからとった防衛本能のようなものだったのかもしれない。
そしてその日の夜、ぼーっとしたまま高円寺の住宅街を徘徊していた。
恋人が人の物になってしまったことやこれからの東京の生活、そして自分が思い描いていた未来が崩れた気がして居ても立っても居られなくなったのだ。

やや暫く歩くうちに背の高い木が見えたので東京にも自然はあるんだなと思い足を運ぶと、そこは公園だった。
公園に入るとまず最初に、長方形にフェンスで囲まれた芝生の広場の中でキャッチボールをしている青年二人が目に入った。この青年達も夢を追っているのかもしれない、そう思うと焦りに似た感情を覚えた。
少し歩を進めると扇状のグラウンドがあり、その外にはテラスと赤レンガの柱のパーゴラが建っていた。
地元にも似た運動公園があったなぁと懐かしい気持ちになるが、自分を照らす街頭の数だけ影がある事を見つけ、自分の信じた物全てが自分を否定している様な気さえしてきた。
憂鬱な気持ちを晴らすために徘徊していたつもりが更に憂鬱になったので帰宅することにした。こういう時には無理にでも寝た方がいいのだろう。

更に時間が経ち声優の養成所の合宿が近づいた。
その時には自分への自信はもう失っており、目標を追うことや東京で生活していくことを諦めかけていた。
けれども完全に諦めきれない理由が心のどこかに在ったのだ。
それは自分の自尊心だったのかもしれないし、私のわがままな心だったのかもしれない。
けれどもこの合宿は自分にとって大事な分岐点であった。
と言うのも、自信も目標もない私はこの合宿で一番になるという子供じみた目標を作ったからだ。どうせ最後なのだから全身全霊ぶつかってやろうと思った。

そうして合宿開始当日。
東京駅に向かう途中、ここへきた3月の事を思い出していた。
初めて見た東京の景色のこと、それを見て感じた気持ち。
目標に近づいていると高ぶる心や将来への希望。
そしてそれから半年も時間が過ぎているという事実。
東京を夢見ていた福岡や長崎では時間はゆるやかに流れていた。
ここへきてからの半年間、目の前の事に追われて大事なものを見落としてしまっていたのだろう。
それを少しでも気づけるように、合宿では1日を大事に全力で臨むと心に誓い新幹線に乗り込んだ。

早朝、金沢へ向かう新幹線で窓の外を眺めていた。
田んぼ、電柱、奥には街のような建物。同じような景色が流れている。
近いものは速く、遠いものは遅く動く。
懐かしい景色を思い出し、この世界は存外どこも変わらないのかもしれないと思った。
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