肯定、貸します。

文字数 6,162文字

「忘れてしまったのですか?」

電話口の男はそう言った。その言葉も、その前に聞かされた説明も焦りすぎて理解できていない。とにかく俺は、一刻も早くこの異常事態を何とかしたいのだ。



ある日突然、バイトをクビになった。ほとんどの理由は、「お前みたいなトロいやつに時給払うとか、金の無駄」数える気も失せる程に繰り返すテンプレ。

職は続かない、何をやっても上手くいかない。内気な性格も相まって、自信のなさに拍車がかかるばかり。そんな俺には友人さえいなくて、彼女など夢のまた夢。

もう三十歳を越えているというのに、なにも良いことなどなかった。俺の人生は、このままろくでもなく終わるのだろう。

死にたいと思ったことは何度もある。首吊り用の縄やナイフを新調したけれどいつも思うばかりで、実行に移す勇気も気力も俺にはない。

無駄に生きるためにも金は必要で、続かないのがわかっていても、次のバイト先を探すしかないのが辛い。

クビになった夜、いつものように求人アプリで仕事を探すも、どれも見慣れたものばかりですっかり気が失せた。

気晴らしにスマホでネットサーフィンをしていると、奇妙な文章が目に入った。

【肯定、貸し出します。レンタル肯定(こうてい)

その下には聞いたこともない会社名が記されていて、さらに下にはサイトに繋がるURLが貼られていた。

なんだこれ。最近は驚くほど色んなものがレンタルできるとはいえ、肯定なんて代物、見たことも聞いたこともない。

上げればキリがないが、物や動物、レンタル彼女、レンタル友達、レンタル家族。今は人間だって借りられる。そういう(たぐい)なのかとも思ったが、やはり当てはまるものは何も浮かばない。

ひょっとしたら《肯定》は何かのスラングだろうか。興味を引かれたものの、危険なサイトの可能性は高い。あとから身に覚えもない高額請求がきたり、ウイルスに感染する恐れもある。

――でも気になる。

悩みに悩んだ末に結論が出た。今の俺はやけくそになっている。もうどうにでもなれ、とサイトを開いた。

サイト内の作りは案外まともに見えて、少しだけほっとした。さっそく肝心の《肯定》がなにかを説明文の中に探す。

肯定は物ではなくて、《自己肯定》《否定ではなく肯定》という概念のことだった。

なんだ、それのことか。しかしそんな形のない物のレンタルなど、ましてや《肯定》なんてどうやって借りるというのだ。

不審を(いだ)きながらも、文章を読み進めてみる。簡単にいうと、ユーザーを褒めるメッセージが毎日届くというもの。愚痴や悩みを送った場合はその返事も送られてくるという。けしてテンプレなどではなく、個人に合わせた丁寧な肯定だと運営は強調していた。

なんとなく理解できたような、できてないような。《 あなたの全てを肯定します》なんて、どこの誰だかわからない奴に認められたってなぁ。だけどほとんど褒められた経験のない俺は、なんとなく気にはなった。

試しにやってみようか。

それには専用アプリのインストールが必須とのこと。六ヶ月間で千円の登録料は、ゲーム課金と思えばなんてことはない。しかも通常なら五千円のところを初回価格で千円だ。

ただ、個人情報の入力には少し躊躇(ためら)いがあった。悪用される可能性がないとは言いきれない。しかし疑い始めたらキリがなく、表向き慎重な性格といえば聞こえはいいが、ただのマイナス思考なだけだ。だからなにをやってもダメなんだ。

悪質ではないことを祈りながらアプリを入れて、登録画面を出した。

まずは名前と性別と生年月日、メールアドレスを入力した。あとは三十項目に及ぶ、心理テストのような質問に答えなければならなず、結構な時間をかけて全ての項目を埋めた。

最後に、登録コースの選択画面に進む。六ヶ月区切りの通常コースと、自動更新の定期コースの二択しかない。

通常コースは(みずか)ら更新しなければ自動的に登録解除になる仕組みで、その都度更新するか、定期コースに切り替えるかしないと続けることは出来ない。

または買い取りも可能だとあった。肯定するメッセージを借りるという時点で、もう意味がわからないのに、買い取りってどういうことだ。

なんにせよ、千円しか払わないと決めている。迷うことなく通常コースを選択した。

数時間後、さっそく通知音がなった。音まで既存のメッセージアプリに似せている。

『お仕事おつかれさま。辞めさせられたんじゃなくて、○○くんにはもっと良い仕事が似合うってことだと思うよ。だからファイト!』

アイコンの女性は、若く快活そうな笑顔の美人。プロフィールに趣味はテニスとある。

登録の際の質問に、近況報告の項目があった。その内容に沿わせたものを、AIが処理してメッセージを送っているのだろう。手の込んだ偽者を用意して。

もちろん真に受けたりはしないけれど、うっかり顔を( ほころ)ばせては負けな気がする。



次の日もメッセージは届いた。

『おまえさぁ、もうちょっと身だしなみちゃんとしろよ。元はいいんだから』

お前に『身だしなみ』とか『ちゃんとしろ』などと言われたくない、とか思う程に写真の男はチャラく見えた。金髪色黒、趣味は合コン。

この( たぐい)の男は苦手だ。それと同時に、人生楽しそうで羨ましい。そんな奴から肯定されるのは、嫌な気はしないが所詮AI。写真は本物のようだけど、どうせそれ専用のモデルか何かだろう。

それに、元が良いなどとあからさまな嘘を喜ぶほど俺は馬鹿じゃない。わかってはいるものの、なんとなく洗面台の前に立った。

不細工な顔をまじまじと見るのは何ヶ月ぶりだろう。相変わらず醜い顔しか映らない。そりゃそうだ、俺は元から顔が悪いのだから。

「こんな顔、なにやったって良くなるわけないだろ」

鏡に向かって吐き捨てた。



それからも、メッセージは新聞のように毎日届いた。

有名大学卒の優秀な男、クリエイターを目指す女子高生、俺より気弱な男、静かで控えめな女の子、妻子持ちで家庭を大事にする男、苦労して大成功を収めた起業家の男、などなど。様々なキャラが、次々と俺を褒めては肯定し続ける。

送り主が実在しないとわかってはいても、メッセージを読むのが、いつの間にか毎日の楽しみになっていた。

そしてこちらからも、悩みや愚痴を送るようになり、その都度、内容に合ったキャラクターが親身になって受け止め、肯定してくれた。



それから日は過ぎて、俺の思考は少しづつ変化していた。

「ずいぶん髪が伸びたな、切りに行くか」

歯を磨いて顔を洗った後に、鏡に呟く。

床屋に行き、ボサボサ頭をスッキリさせて、帰りにドラッグストアに寄って、ヘアムースと、ついでに顔の毛穴パックを買った。

アプリに報告して、返信を読む。

「確かに何年も同じのだしなぁ」

今着ているヨレヨレシャツに目を落とす。翌日にはもう、セール品で一番安い服を買ってきた。

俺が行動に移すたび、アプリに肯定された。肯定されたくて助言を求め、それを素直に聞き入れて行動する。それを繰り返した。

肯定され続けているうちに、なぜか自分の欠点までもを受け止めて、改善しようという気持ちになってきた。

気づけば、コンビニ店員の愛想笑いにも、笑い返せるようになっている。内面が前向きになると、周囲を見る目も変わってくるものだと初めて知った。



「〇〇君は本当に飲み込みが早いね。これからも頼りにしてるよ」

バイトが決まり、今までにないくらいに意欲的に働いた。AIではない生身の人間に認められ、褒められるようになった。そうなると顔つきも変わるのか、前より断然良い見た目になっている。

一ヶ月後に、異例のスピードで正社員になり、ますます自分に自信がついた。

そして、なんと、ついに、俺に彼女ができた。年下の可愛い彼女が。しかも告白してきたのは向こうからだ。

これは夢ではないかと両頬を(あと)がつくほど叩いてみたが、ちゃんと痛かった。これは現実に起こっていることだ。

給料が増えたので、ボロアパートから新築のマンションに引っ越した。少し家賃は高いが、今の俺にはなんてことはない。

昔のマイナス思考はどこへやら。無敵な俺の人生は上々だ。

こんなに上手くいっているのだから、肯定をレンタルする必要もなくなり、毎日送られてくる嘘の肯定が鬱陶しくなった。コースの満期にはまだ2ヶ月ほど残っていたが、解約することにした。

サイトの運営は、何とか引き留めようと躍起(やっき)になっていて、なかなか解除画面にたどり着けない。考え直した方がいいとか、せめて満期まで続けろとか、しつこいにも程がある。

何度も何度も無視をして、やっと【解除】の赤いボタンを押せた。



――それは突然やってきた。

「お前って、本当に使えない奴だな」

刃物のような鋭い言葉に、心臓が止まりそうになった。

大したミスでもないのに、上司の目は釣り上がり、俺を見下している。

「あ……すみません」

「すみませんじゃねぇよ、給料貰ってんだからちゃんと仕事しろよ」

「す……すみません」

頭の中が真っ白で、喉からその一言を出すので精一杯だった。

その日一日、退社するまでの時間がとても長く感じた。衝撃が強すぎて、家に帰って独りになるのも怖かった。こんな夜には、彼女に慰めてもらうのが一番だ。

彼女にメッセージを送る。既読はつくが返事はない。何通送っても返ってこない。電話もなかなか繋がらなかったが、十回近く掛けてようやく声が聞けた。

「なに?」明らかに不機嫌な声。

「なにって、メッセージ見たろ。なんで返事くれないんだよ」

「ああ、上司に叱られたって話。女に仕事の愚痴吐くなんてカッコ悪すぎ。だいたい自分のせいでしょ、こっちが気分悪くなるからやめて」

ぷつっと通話は切られた。なんなんだ彼女まで。でも上司も彼女も、たまたま機嫌が悪かっただけだろう。うんそうだ、そうに違いない。

しかし次の日も上司から罵られ、他の社員たちには、せせら笑われる。些細なミスなど今までだってあった。それでもなんの問題もなかったのに、なぜ急に俺への扱いが悪くなったんだ。

あの日から彼女とも連絡がとれなくなっていた。電話は着信拒否、メッセージアプリはブロックされた。喧嘩をしたわけでもないのに、なにが原因なのかさっぱりわからない。

直接話をしたくて、彼女のアパートの前で帰りを待った。

「ちょっと、なんなの」

不快そうな声で、まるで汚いものを見たかのような視線を、俺に向けた。

「それはこっちの台詞だろ。なんで避けるんだよ」

「別に。顔もみたくないし、声も聞きたくなかっただけ」

「なんだよそれ、俺、お前になんかしたか?」

「お前とか呼ばないで。すごいムカつくんだけど」

「なぁ、なんかあったんだよな。理由くらい言えよ」

「なにもない」

「もしかして、他に男ができたのか」

「はぁ? その言い方、まるで私とあんたが付き合ってるみたいじゃない」

「なに言ってんだよ、俺たち付き合ってるじゃないか。お前が俺に好きだって言ってきたんだろ」

「――やだ!気持ち悪い妄想やめてくんない? あんたみたいな何の取り柄もない男を好きになるわけないでしょ」

「なぁ、本当にどうしたんだよ、おかしいって」

「おかしいのはあんたでしょ。はやくどっか行って。今度待ち伏せなんかしたら、警察呼ぶから」

そう言い捨てて、さっさと自分の部屋に逃げてしまった。追いかけようと思っても、足が動かない。彼女の豹変ぶりに、どうしていいのか全くわからなかった。彼女だけじゃない、他の奴らにも。

一体どうなってるんだ。なんでどいつもこいつも俺を否定ばかりするんだ。

「……否定?」

そうだ、思い当たる節はあれしかない。あのアプリを解約してからだ、周りがおかしくなったのは。



「忘れてしまったのですか? 子供の頃に教わったでしょう、借りたものは返さなければならないと」

【レンタル肯定】のサイトに問い合わせの電話をすると、対応にあたった男はそんな意味不明な返事をした。

「は? 俺を馬鹿にしてんのか?」

「いえ、とんでもない。常識を述べたまでです」

「だいたい、返すって何を返すんだよ。文章を送ってきただけだろ」

「ただの文章ではありません。お客様の全てを肯定するメッセージです。つまり今現在は、肯定の返却期間というわけです」

ますます意味がわからない。男は続ける。

「肯定の反対は、否定。解約されたお客様には、否定という形で、それまでお貸しした肯定全てを返済していただくシステムとなっております」

「返済って……。だったら、否定の言葉を送りつけてくればいいだけだろ」

「肯定文と同様に、否定文も読まなければ意味がありません。ですが、否定されると分かっていて、わざわざそれを読む人などいませんよね」

「だから現実で否定されてるって言うのか。架空の肯定を返すために? そんなのおかしいだろ、っていうか、そんなこと出来るわけが、」

「いえ、架空ではありませんよ。事実、お客様の人生は好転しましたよね。こちらがお貸しした肯定のおかげで」

それは(いな)めない。だが、それはただのきっかけに過ぎなく、物事を順調に動かしたのは俺自身だ。

とはいえ、今まで肯定ばかりされてきたから、否定への耐性が弱くなっている。このままでは頭がおかしくなってしまう。一体どうしたらいいんだ。

「他の返却方法はないのか?」

あまりに馬鹿馬鹿しくて納得いかないが、今は借りていると思い込むしかない。

「ありません」

「じゃ、じゃあ、あれだ、買い取り! 買えるって書いてあったよな!金ならいくらでも出すから売ってくれよ」

「規約にもありましたが、更新月よりも前に解約された場合の買い取りはできません」

くそ、規約なんてそんなもの、まともに読むわけがないだろ。まさかこんなことになるとは思いもしないのだから。

「だったら登録し直す。またレンタルするのはどうだ。そうだ定期、今度は最初から定期コースにする。それも無理なのか?」

「それは可能です」

ほっと胸を撫で下ろすのも束の間、その言葉にはまだ続きがあった。

「全ての返却が終わってからでしたら、新たなレンタルができます」

「先に全部返せばいいんだな。わかった、あとどのくらい残ってるんだ」

「それにはお答えできかねますが、返却が無事終わりましたら、こちらからお知らせします」

そこまでで電話は切れた。勿論すぐにリダイヤルする。

『おかけになった電話番号は、現在使われておりません』

何度かけ直してみても、同じアナウンスが流れるばかり。サイト自体もいつの間にか消えていて、どこを探しても見つからない。



どれくらいの月日が経ったのだろう。

あれから俺は会社をクビになり、あてにしていた収入もなくなった。マンションどころか、普通のアパートを借りることすら困難で、仕方なく日雇労働者用の安部屋を借りている。ろくな食事も風呂もない。携帯料金を払うのがやっとだった。

罵声を浴びながらの肉体労働。すれ違う奴らはみんな俺を馬鹿にした目で見る。知らない女にチカン呼ばわりをされ、そこらのガキには、気持ち悪いと叫ばれる。

ただただ、肯定の返済に追われる日々。

こんな生活がいつまで続くのか。肯定なんて借りるんじゃなかった。その前の生活の方が全然マシだった。

とにかく一刻でも早く返済を終えて、レンタルをし直す。それまでは、耐えて耐えて耐えて――。

【レンタル肯定】からの連絡が届く頃まで、果たして俺は生きていられるのだろうか。






































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