第10話 標準的な行いは駆逐されるか? その一

文字数 1,834文字

 私自身、大学を卒業してからもう四年経とうとしている中、また新たに教育に向き合うなど考えてもいなかった。その背景には山田を筆頭とする教諭たちの「マイノリティ・リポート」が存在していると考える。では、彼らは何を訴えたいのだろうか。

 全国の小中学校で進みつつある「GIGAスクール構想」について調べると、興味深いことがいくつか出てくる。ここで、株式会社バンザンが運営する「メガスタプラス」の記事を参照してみることにしよう。線内は筆者の引用である。

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GIGAスクール構想のGIGAとはGlobal and Innovation Gateway for Allの略称です。意味としては「すべての人に、世界の様々な技術革新を利用できるようにする」こと。全国の学校で義務教育を受ける児童生徒に、1人1台の学習者用PCやクラウド活用を前提とした高速ネットワーク環境などを整備する5年間の計画をまとめたものを、「GIGAスクール構想」と呼んでいます。
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 私なりに無理やり解釈すると、「インターネット環境を駆使してパソコンやタブレット端末を使用した授業を活用し、より多くの生徒の学びをより良いものに仕上げる構想」であると思う。もっと簡単に言えば、学校教育の場に電子端末を持ち込んで、クラウドでやり取りをするというものだ。さて、一見するとこの構想に誰が反論できようかと思うだろう。

「より新しい教育として学校に通えない子どもでもやり取りが出来る」
「これからの時代、端末を使えないのは子供にとっても悪手。導入した方がいい」
「グローバル化の時代に求められる構想だ」

 主な賛成意見を考えるだけでも大体このようなものが浮かぶ。では、現実はどうだろうか。

 元中学校教員で、日本大学文理学部非常勤講師の赤田圭亮は「現代思想 教育の分岐点」で「コロナ禍の学校から「GIGAスクール構想」を考える」という論考を出している。端的に彼の主張を答えるなら、これらの構想は「絵に描いた餅」であり、思い通りに進むとは考え難いだろうというものだ。TwitterでGIGAスクール構想と検索すると、ハッシュタグ「教師のバトン」がついたツイートがいくつか見られた。ここで問題に思うのは、タブレット端末の設定やインターネット環境の設置は、

とされていることだ。一般的な企業なら専門業者を呼び、整備するところを教育現場では教師たちの仕事として行うという呟きが見られる。三十人以上もいる生徒に与えられるタブレット端末の設定を一台一台行っていくなど、狂気の沙汰だと思うのは私だけではないはずだ。
 ここで私が思い浮かべたのは、職場の上司が呟いたある一言だった。ここでは便宜上彼と呼称する。彼には小学生の子供がおり、学校ではタブレット端末を一人一台支給するということが決まったと仕事の合間に教えてくれた。私が適当に相槌を打っていると、彼はため息をついた。
「タブレットを支給するっていっても、六年間使うもので、落として壊したとかの保証は保護者持ち。小学校を卒業してもタブレットは回収されて次の生徒に渡される。俺はネットもよくわからないし、子供が『設定して』なんて言ってもわからなくて親同士で泣きつくんだろうな」
 インターネットに詳しい人というのは、そう簡単に周りにいるものだろうか。私自身もインターネットを駆使して仕事をする人間ではなく、今流行りのテレワークといったものにも疎い。この間、何かに使うと思ってダウンロードしたZoomを起動してみたが、使用方法を検索しても曖昧で、それでも何とか知り合いと繋がることが出来たが、完全にマスターしたとは言い難い現状にある。
 山田はGIGAスクール構想について明確に否定する。
「教員が満足にネットを扱えると文科省は思い込みたいのでしょう。私みたいな古株の教員たちは慣れるのに必死で、授業と同時並行に進めなくてはならないという重圧がかかっています。私自身、オンライン上で業務を行うことを教育委員会が勧めていますが、肝心の端末は私のところに届いていません」
 さらに山田は生徒の視点に立ち、こう分析する。
「今の子どもたちに英語やプログラミングを行わせるのは、あくまでその子たちが得意と認識しているからで、生まれつき五教科やパソコンが不向きな子どもだっているはずです。そんな生徒の側に立たないで一方的に教育を詰め込むことは、落ちこぼれをますます作り、彼らを追放することに他なりません
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