溶かす。ネコ

文字数 1,998文字

 雨の中誰かが子猫を抱いていた。俺はそっと傘を差し出す。雨は降り続けていた。
 
 目覚ましがけたたましく鳴る。俺はゆっくりと瞼を開けた。
 ああ。またか……。
 天井をしばらく眺めてから目覚ましを止めて部屋のライトのリモコンのボタンを押した。ライトがパッとつく。その光に少し目を細める。時計を見ると午前5時を少し過ぎたところだった。俺は勢いをつけて起きる。
「よし」
 俺はいつもの様に洗面所へ。歯を磨き、台所でコーヒーを注いでミルクを入れる。コーヒーをいれたコップを片手に今日の仕事のタスクをチェック。
 まだやってるのか。
 俺は部下の仕事の進捗ぶりに怒りを覚える。今日も説教だな。開けたカーテンからは朝日が差し込んでいた。

「まだ出来ないのか? 簡単な仕事だ」
 俺は社長室に数人の部下を呼んだ。プロジェクトのメンバーだ。
「はい……」
 担当の男性社員3人に女性社員1人。その内の1人は新人だ。皆がうつむいている。
「もういい。仕事に戻れ」
 俺はうんざりと手を振った。部下たちは暗い顔で社長室を後にした。椅子に深く腰掛けて思考を巡らせる。ふとデスク端に手作り感満載の包みが置いてあるのに気づく。何気なく結んであるリボンを解いて、中身を見る。
 チョコだ。小さなチョコが10数個入っている。
 しばらく思考が止まる。
 確かバレンタインか。
 一瞬誰が置いたのか部下を問い詰めようと思ったが、なぜか一粒つまみあげると口へ運んだ。
 なかなかだな……。
 まんざらでもないので、不思議と受け流す。そして思考は仕事へと移行した。いく人かの部下の顔が浮かぶ。
 そして、ふうっとため息をついた。

夜11時に家に着く。いつの通りだ。荷物を定位置に置いて、コーヒーを注ぐ。少量のミルク。郵便物をチェック。いくつかに目を通す。
 仕事机につくと、コーヒーを一口飲んだ。パソコンを立ちあげ、待機。
 そういえばアレがあったな。
 俺はトートバッグからチョコの包みを取り出し広げた。ひとつつまみ、口へ運ぶ。しばらく味わう。するとパソコンが立ち上がったので、早速作業に取り掛かる。明日の仕事の段取りをつくる。再び部下のポンコツぶりに腹が立つ。そしてまたチョコに手が伸びた。
 いや。一日一個にしておこう。
 思い直し、パソコンに向かい直すと、メールに気づく。今朝叱った部下の一人からだ。あいつは非現実的な提案しかしない。メールを開けると案の定の内容だ。怒りの余り無視を決め込んだ。
 何度言えばわかるんだ。バカかあいつは。
 怒りを覚えると糖分が欲しくなるのかチョコをひとつ取っていた。
 いや。いかん。一日一個……。
 と自制しようとする。とったチョコをよく見るとネコの顔の形をしていた。
 またネコか……。
 そんなことを思いながら口を放り込む。
 ネコ……。
 しばらくの間ネコの事を考えていた。

 見覚えのある顔だ。猫もいる。あの時の猫。元気だろうか?
 
 今日も目覚まし時計のでかい音が響く。いつものように目覚ましを止めて、ルーティンをこなす。鏡の中の寝ぼけた顔を見ながらネコの事を考えていた。そして夢の事。
 今日のタスクに目を通しながら頭はネコの事。
 働き過ぎか……。
「よしっ!」
 俺はネコを振り払うようにして気合いを入れる。今日も仕事だ。

 俺は会社についてからも社長室でむっつりしている。自分で分かるくらいだ。かなりむっつりしているのだろう。
 社長室のドアがノックされる。
「入れ」
 短く応えると、例の4人が入ってきた。
「どういうつもりだ」
 俺は挨拶のも無しに言い放つ。返答がないのでチームの出した提案を印刷した紙束を机に放る。
 4人は直立不動でガチガチになっている。
「お前達のアイデアは甘すぎる。こんな案が成功するわけないだろ!」
「ですが社長……」
「俺は非常に腹立たしい。もっとましな案を……」
 突然目覚ましが鳴った。目覚ましだ。
「誰だ!!」
 しばらく鳴り続けて、
「あの……社長……」
 と言われ、自分のスマホを見るとブルブルと鳴動してる。ゆっくりとスマホを手に取り、停止させる。いつ設定したのか覚えがなかった。
 しばしの沈黙。
「もういい。新しい案を出してくれ」
 そう言うとメンバーがぞろぞろと暗い顔で社長室を後にする。
 どうするか。時間がないな……。
俺はため息をついてスマホを見る。ふとネコが頭に浮かんだ。目覚まし、か……。そして最後のチョコを口に入れる。
 その瞬間まるで雷に打たれたように閃いた。
 そういう事か。

 夕刻。先ほどのメンバーの内の新人を社長室に呼び出した。案の定顔が引きつっている。
 俺は何から話せばいいか迷っていると
「まだ出来てません! 本当に申し訳ありません!」
 と新人が勢いよく頭を下げた。俺はふっと息を吐き
「君だったんだな」
 新人の〝彼”は驚きの表情で涙を浮かべ頷いた。
「それと」
 俺は息を吐き
「仕方ない。君達の案を採用しよう」
 と口にした。
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