第1話

文字数 1,999文字

 
 誓夏(チカナ)には気になる先輩がいた。

 その人は、いつも濃紺のジーンズ姿で、この時間帯にここを通る。
 初夏の青々とした風景の中で、先輩の颯爽とした姿は、まるで映画のようで。フランス?イタリア?行ったことないのにそんな異国を思わせる。
 
 現実じゃないって感覚、ほんとにあるんだ…。

 この時間にここを通るということは、たぶんドイツ語の授業か中国語か。つまりは語学の授業に出てるはず。それ以上は分からないが、高確率で通るのは間違いない。
 初めて見かけたとき、濃紺ジーンズに、白地のシャツに袖口がレースだった。素材とかそんなことわからないが、風がふわりと舞うと先輩の服がふわりと靡いて、それだけで赤面した。スラッとした彼女のビジュアルは入学したての俺たちには眩しくて、一緒にいた友人も目を奪われていた。それ以来、俺は先輩を探していた。大学内の中央の通りを長い髪をなびかせながら通る姿は女神のようで。その場にいるみんなの視線を釘づけにしていた。
 先輩が通る時間になると、出会えることを願って待っている奴らが多くいた。視線を周囲に走らせると、数人、キョロキョロしている奴らがいる。
誓夏(チカナ)
 呼ばれて振り返ると、そこには同じ学科の友人、造来(ツクル)がいた。彼は軽く走りながら近づいてくる。
「先輩は行っちゃった?」
「まだ。今日は遅いみたいだ」
「良かったー。逃したかと思ったよ」
 彼は、ちょっと息を整えると、スマホを出す。
「おい、それはやめろよ」
「何でだよ」
「盗撮じゃないか」
「なんだよ、真面目だな。みんな撮ってんじゃん」
「だからってするな」
「……分かったよ」
 俺も……たぶん先輩が相手じゃなかったらやろうとしたかもしれない。でも、先輩に関しては…先輩が嫌であろうことは絶対したくないのだ。
「なあ、先輩の名前知りたい?」
「…え」

 え、え、名前って言った???

「え?分かったの?」
「分かりましたよー。俺の情報網、甘くみないでいただきたい」
 造来(ツクル)は報道関係に就職したい情報命の男だ。
「正当な取材だろうな」
「バカにするなよ!そこはプライドがある!」
 じゃあ、隠し撮りもやめろ、と俺は思うが……。
「先輩は3回生だ」
「2個上か。え、でも3回生っていったら語学はもう履修済みじゃ…」
「そこだよ。履修は終わってるけれど、受講してるらしいぞ。苦手なんだってさ語学」
 そうなのか…。なんだか…かわいいな…。
「お前さ、今、“かわいいな”とか思っただろ」
「お、思ってないよ!」
「そか?俺は思ったね~。なんかあんなに颯爽としてる美人がさ、こつこつ努力してるとかキュンとしないか?」
 
 する…。

 なんか勝手に完璧なんだろうって思ってたから、ちょっと意外な姿にどきってした。
「で…」
 造来(ツクル)が言いかけたとき、周囲がざわついた。雰囲気の変化に視線を上げると、周辺になんとなく存在していた者たちが一点を見つめていた。
 集中した視線の先には、先輩がいた。
 レフ版があるわけでもないのに白く輝く肌はもう眩しすぎる…。今いる空間は時間軸がきっとおかしいんだ。だってこんなにゆっくりと時間が流れてる。今日のポニーテールは反則級だ…。ゆらりゆらりと髪が揺れ、肩から掛けられたトートバックに時折あたり、どうしたらこれほどの所作が身につくのか。

 綺麗だ。この世のモノ?触れたら消えるのかな…?

 そう思ったのも束の間。
 別の意味でざわつき始める。いつもは眼前をただ通り過ぎていくだけなのだが、今回はなぜかルートが違う。こちらに向かってきているように


 俺の感覚がおかしくなったのだろうか?まっすぐ、迷わず、俺たちがいる方向へと向かってきてるような…
誓夏(チカナ)!夢か幻か?こっちへ来てる?」
「奇遇だな、俺にもそう見える…」
 あまりのことにベンチから立ち上がることもできず、ただ、呆然と近づいてくる美しき人を見つめていた。

 なんだ?! ほんとにこっちに向かってきているのか? 
 いや…こういうのって大体が勘違いで。
 手を上げたり、にっこり微笑んだ瞬間に自分に向けてではなかった、っていうオチがついたりで…。
 でも!でも…!!

 俺たちは何も出来ず、見とれていたら、先輩は目の前に到着してしまった…。
 美しき人は、間近で見るともっと麗しく…、これは間違いなく夢であろうと納得した。
「こんにちは」
 にっこり笑った笑顔と、想像していたより少し低めの声は、心にとどめを刺した。
 先輩の視線と時間と声を独り占めした!



 と…

 何度も見慣れた天井と右上で鳴るスマホの目覚まし機能。
 周囲は暗く、夜中だと確信する。

 え…? えー……夢オチ…?

 スマホに手を伸ばし、時間を確認する。
 9時15分…。なんだその中途半端な時間。
 …なんでそんな幸せな夢見るかな?確かに途中で夢だって確信したけれども!でも、でもだよ!だからって、本当に夢だなんてっ!

 テーブルの上に置かれていたビールの空き缶が床に落ちた。



 
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