第1話

文字数 3,044文字

 余命一か月といえども、一見そのような気配がみられない人は多い。私が看護師だった時に出会ったK子さんも、そうだった。当然、はち切れるほど元気とは言えないが、体がだるいながらも痛みなく動けるK子さんは、今ならどうにか自宅で過ごすことができそうだった
 K子さんは、アミロイドーシスという病気だった。それは、アミロイドという特殊なたんぱく質が体のいろいろなところに沈着する病気である。これが手の関節にたまれば指が動きにくくなるだけだが、心臓にたまってその動きを封じ込めると、体を動かすのも苦しくなり、ついには心臓が停止する。医師によると、K子さんの心臓も、持つのはあと一か月だった。
 ところが、患者から尋ねられない限り余命を告知しないのが、日本の医療の現状。医師は、死を宣告された患者が精神的に不安定になることを恐れる。だから、家族にはこっそり現実を伝え、彼らの意向を確認するが、本人には黙っている。もちろん、K子さんにも予後は伝えられていない。だから、
『まだ体力があるうちに自宅に戻り、家族と時間を過ごしてほしい』
 と思っている医師が自宅への外泊を持ちかけても、K子さんはあっけらかんとこう答える。
「いいえ、もう少しよくなってから帰ります」
 医師はがくりと肩を落とし、言葉を失う。
 確かに自宅外泊を薦めることは、一方的にすべてを掌握している医療者のエゴでしかない。しかし、K子さんのような選択をする多くの患者が、そうしているうちにあれよあれよと具合が悪くなり、とうとうその期を逃して終わるのを、私たちはどれだけ見てきたことか。
 三十代後半のK子さんには、高校生の娘さんがいた。気立てが良くて笑顔が似合うお嬢さんだった。さぞかし旦那さんとも暖かみのある家庭を築いてきたのだろう。だからこそ私たちは、K子さんに数日間でも家で過ごす最後の時間を作りたく、焦った。
「悪くなるにしても、まあ、ゆっくりよね」
 いつものように検温をしていると、K子さんは自分の指の関節を確認するかのように、目の前で両手をちらちらとかざしながら言った。K子さんは、自分の病気のことを自分が一番わかっていると思っているのだ。何も答えられない私は、K子さんのマイペースさに、なぜか苛立ちを感じた。
 ある日、K子さんが立ちくらみで倒れた。
「とうとうこの時が来たか!」
 私たちは直ちに血圧計をもって駆け付けた。平らに寝ていると、K子さんはすぐに回復した。ところが、新人の若い看護師も含めて集まった私たちを見まわし、
「大丈夫よ」
 というK子さんの口調は、
「あらあら、たいしたことないのにこんなに集まってきちゃって、かわいいものよね」
 と言わんかのようだった。
 K子さんが悪いわけではない。しかし、正直、看護師の中には、どこか上から目線のK子さんを敬遠し始める人たちがいた。それは私も同じだった。やさしくなりたくても、気持ちがついていかなかった。多くの看護師がそうであったように、私もK子さんと距離をとり始めた。
 そのうち、はれ物を扱うように様子をうかがっていた医師たちは意を決し、K子さんに言った。
「K子さん、集中ホルモン療法をやりませんか。ただし、この治療は体にとても負担を与えるので、一度開始すると当分家には帰れません。なので、治療前に一時お家に帰ることをお勧めします」
 外泊の口実として持ち出された話にK子さんは同意した。
 かくしてK子さんは家に帰ったが、二日目にはさっそく自宅で過ごすのがつらくなり、横になったまま救急車で搬送されてきた。
「帰ってきちゃった」
 と、担架の上からぼそっと言うK子さんに、私は当然、顔色一つ変えず、黙って出迎えた。
 その後は、思った通りの展開だった。K子さんはもはや、ベッドの上で寝がえりをするにも息が切れ、一人でできない。言葉を発するのも体を動かすのもしんどいK子さんは、娘さんの介助でスープを数口すするのが精一杯だった。
「これでよかったのだろうか。そもそも私は、K子さんが『まだ帰らない』と言ったときに、何と答えればよかったのだろうか」
 自分の過去の居場所探しが、実にこんな時でも続いていた。
 K子さんが病院に戻ってからは、K子さんが何を思っていたのかわからず、けじめをつけたくてもできない、けん制するかのような時間が過ぎた。K子さんの体の向きを変えながら、私はたわいない天気の話や季節の出来事を話してきかせ、その場を無難にやり過ごした。その合間、ちらりとK子さんの反応を見た。しかしK子さんは、視線を合わせる余裕すらない、難しい状況だ。
「なんだかんだ言って、少しでも家に帰って、自分の体の実情もわかったから、良かったんじゃない?」
 という医療者もいる。でも、本当にそうなのだろうか。家族も承知の上でこういう手立てを講じたのだろうが、これもまた、K子さんを騙したようなものではないか。
「K子さん、家に帰れてよかったですか?」
「今、何を考えていますか」
 しかし、何を問うても、K子さんが本音を言うことはなかっただろう。なにしろK子さんは、わずかに喋るだけでも息が切れて苦しくなってしまうのだから。

 午前中は検温をし、お体をきれいにお拭きしてお着替えをする、午後はご家族が面会に来てそばに付き添う日が続いた。
 そんなある日、私はあることに気づいた。それは、毎日高校の帰りに制服姿で面会に来る高校生の娘さんのことだ。娘さんは、K子さんの余命のことはひそかに知らされていた。K子さんが自宅でとうとう動けなくなり、救急車で運び戻される直前まで一緒にいたのだから、納得もできているのか、その穏やかな表情は高校生ながらも落ち着きがあった。母親との残された時間を有意義に過ごそうとする覚悟も見受けられた。そのお嬢さんが何かとK子さんのお世話をするのだが、よく見ると、スープの飲ませ方が日に日に上達していたのだ。
「すごくお上手になられましたよね」
 というと、娘さんはお礼を言って、うれしそうにした。そこで、
「こういう体験をしておくと、将来いつか役に立ちますよ」
 と言おうとした。
 その時、何かが私の中で引っかかった。
「将来いつか?」
 そうだ。
 医師がホルモン療法を持ち出さなかったとしても、K子さんは具合が悪くなるにつれて
「今機会を逃したら、もう家に帰れない」
 と、察する時が来ただろう。だが、一度断った外泊を申し出ることは、K子さんには気まずいはずだ。
だから、その前に私はこう言えばよかったのだ。
「入院生活が長くなると、途中で気が変わる人は結構いらっしゃいますよ。それは自然なことです。なので、もしも『やっぱり帰りたい』と思ったら、いつでも遠慮なく言ってくださいね」
 と。
 この言葉を見つけた時、私はようやくK子さんにやさしくなれそうな気がした。
 すると、私の中に余裕が生まれて、今まで見えなかったものが見えてきた。
 家族を大事にしているK子さんが
「もう少し良くなってから帰る」
 というのは、中途半端な状態で家に帰って、家族に迷惑をかけたくなかったからなのかもしれない。そう考えると、上から目線に見えたK子さんの中に、別のものが感じられた。
 ああ、だとしたら、なぜ、あの時私は、
「お家の方にご迷惑がかかると思って、心配していますか。だとしたら、私たちに何かできることありますか」
 と、K子さんに言ってあげられなかったのだろうか。

 救急車で病院に戻ってから三週間後、家族に囲まれてK子さんは静かに天国に旅立った。

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