欲を言うなら

文字数 1,592文字

始発の電車に乗った。
冬が間近にせまるこの時期、朝は特に冷えた。
久しぶりの制限のない外出にぼくは思わず口角を上げる。
真冬を彷彿とさせる寒さも、吐く息の白さも、悴み赤みを帯びた指先も今の僕にはなんてことはない。

電車に乗りきょろきょろ車内を見渡すが、どうやらこの車両にはぼくしか乗車していないらしくなんだかそれが嬉しかった。
車窓を開け、外の冷え切った空気を肺いっぱいに吸い込む。
新鮮な空気を取り込んだせいかわずかだが清々しい気持ちになる。
「早く着かないかな。あ、そもそも道覚えてるっけ・・・。」
僕のひとりごとが口から洩れ空中へと消える。
君のところまであと1時間はかかってしまう。
ぼくは車窓を閉めると座席の背もたれに深くもたれかかり君のことを考えた。

君はぼくのヒーローだった。元気で、活発で、それでいてとても優しい男の子だった。
幼馴染のぼくがすぐ入院したり学校を休んだりしてしまうから、君はぼくの連絡係大変だったろうな。
でも君は学校が休みでも毎日毎日ぼくのところへきてくれた。
学校での出来事を面白おかしく話してくれるときもあれば、一緒に散歩に行ったり遊んだりするときもあった。
勉強もぼくに教えてくれていたね。
君は話すのが上手だからぼくはいつだって笑ってた。いつも飽きることなく長い時間話していたね。

ぼくは君がいてとても心強かったし、元気をいつももらえていたんだ。
ぼくらが喧嘩したのは1回だけだった。
そうそう、あのときはぼくが我儘を言ったんだ。「喧嘩がしてみたい。」って。
喧嘩をしたときがなかったから喧嘩に憧れていたんだ、あのときのぼく。
そうしたら少し考えた後君が「1回だけなら喧嘩してもいいよ。」って言ってくれた。
今思うと不思議な会話をしたね、ぼくら。
それでも君は優しかった。こんな我儘に付き合ってくれたのだから。

「あ、日差しがあったかい・・・。」
君との思い出を思い出していたら1秒でも早く君に会いたくなってしまった。
体を照らす光は暖かく、君と手をつないで帰った日のことをふと思い出した。
懐かしさのあまり笑みがふふっ、とこぼれ落ちる。
ひとり笑っていると車内アナウンスが流れた。
“次は終点 三ツ谷、三ツ谷~”

徐々に速度を落としていく電車から冬化粧をしはじめる見慣れた景色を見る。
ドアが開いて改札を抜け、駅構内を抜ける。
一歩、一歩とゆっくり、しかし確実に目的の場所へ歩を進めていく。
この時間帯は太陽が家々を照らし空気をあたため、活動する人びとをやさしくやわらかく包んでいた。

久方ぶりの地元の景色をゆっくりと眺めながら歩いていくと漸く目的地へと着いた。
「ついた、ここだ!」
君の家の駐車スペースには車が止まっていたけれど、エンジンがかかり白とも灰色とも言えない色の息を吐いているのがわかった。
「出かける前にあえたらいいな。」
期待に胸を膨らませ、君の家のインターホンを緊張で震える指先で押そうとする。
しかし押しかけると同時に家のドアが開き、中から君が出てきた。

あ、と声を出すより先に君が大粒の涙を流し、泣き腫らした目をしていることにぼくは気づいた。
「ねえ、どうしてそんなに泣いているの?」
君は立ち止まると顔を少しあげた。
泣き腫らしたひどい顔をしている。すぐにでも冷やしたほうがいい。
まろさが少しばかり取れてきた頬は赤く染まり、涙の流れた跡が無数に残っていて痛々しい姿になっていた。
男の子にしては長い睫毛には涙がついていた。
「なんで」「どうして」
君はそればっかりボソボソと言っていた。

泣いた顔よりいつものあの太陽のような笑顔が見たかった。
今のぼくはもう君の涙を拭ってあげられないのだから。

「ぼくがいなくなっても泣かないでよ、ヒーロー。」
「どうして死んじゃったんだよオマエ・・・。」

ぼくらの交わることのない視線が、声が、朝、光の中に溶けていった。

「欲を言うなら。」
欲を言うなら、もう一度君と話がしたかった。
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