第1話

文字数 1,916文字


深夜2時。会社の椅子を並べて、シーツを敷いて俺は横たわる。もう何日帰っていないだろうか。
俺の寿命を削って口座の金額が増えていく。
辞めるという選択肢は自分の中にはなかった。これから子供が産まれー……性別は男らしい。不自由ない生活をおくるための資金、それでいて素敵な思い出も残せるような、立派な父だと言ってもらえるような稼ぎを考えると、残業は当然。休んでる場合ではなかった。

ゆら、ゆらと幻のように隣の席に置いてあったペンギンのぬいぐるみが揺れる。地震か、どうせすぐに止むんだろう、どうでもいい。そんなこといっていざ大地震になったらビビるくせに、小さな地震が多すぎて、またかよと呆れて何も思わなくなっていく、それは自分の体の不調と同じく
風邪をひいても、またかよ。と舌打ちして終わる。
べつに俺が特別頑張ってるわけじゃないさ
皆口を揃えて言う、皆つらいのだと。とくにー……これはもはや人間ではないが

皇帝ペンギンの子育ては……オスは過酷なのだと言う。数ヶ月絶食して極寒の中卵を守り続けるんだとか。愛だ、立派だと思う。

「頑張らなきゃなあ……頑張らなきゃなあ」

暗いオフィスに俺の声だけが響いていた。

それから数ヶ月がたって
出産に立ちあって
仕事をさらに頑張って……。

そんな俺に先輩が言う。

「いまが頑張り時だな!」

……うるさいなあ
だから頑張ってるんじゃないか。俺は腹が立ってキーボードを床にたたきつけて、会社を早退した。電車を待ってる間に冷静になってきた頭が、おいおい明日からどうすんだと言っている。クビにはならないと思う。だが会社の備品を壊したことで怒られるだろうし、突然キレだすやばいやつは周りから距離をおかれ、仕事しづらくなるだろう、なんでキレたかなあ。
俺はなにもかも嫌になって電車がまだ到着していないのに黄色い線をこえて足を進めた。
その時、背後から声がした。

「お……さん」

なんだ、おっさん?口の悪いガキだ。振り返ると、学ラン?の両ポケットに手をつっこみ、染めてから時間がたつのか毛先だけが金髪で、喧嘩を売ってるような目つきの男が居た。中学生くらいだろう。

「何だ」
「電車、まだきてないよ」
「そうだな」
「死にたいの」
「うるさい、死んだらいままで頑張ってきたのが全部パーだ。そんなことはわかってるんだ
それでも無意識に引き込まれるほど辛い時が大人にはあるんだ」
ガキにわかるか、そう思い睨む。
「何?べつに辛いのって大人限定じゃなくない?それに、そりゃ辛いだろうよ。
自分のレベルにあわない仕事してさ、でけぇ家買ってさ勝手に頑張ってんだもん、で、これからって時に死ぬとかはた迷惑にも程があるよな、あんたはどこを目指してんの?給料てめちゃくちゃ高くないと家族養えないの?べつに夕飯もやしで我慢してくれとかボロい家で我慢してくれとか言えばいいじゃん、それを許さないってあんたの周りの誰が言ったの?
あんたはあんたを愛してない、だから次第に疲れて、妻も子供も愛さなくなったんだ。当然だよね、自分を捨てて愛なんて保てるわけがない。そんな綺麗なもんじゃないでしょ
なに?皇帝ペンギンにでも憧れてる?やめとけってそんな見た目も可愛くないのに」
なぜ長々と語られなきゃいけないのか、無視したいがなぜか無視できず、普通に電車が来て俺は飛び降りをしそこねた。ガキをおいて電車に乗り込む。睨むように前方を確認すると、ガキはいつの間にか、どこにもいなくて。
そういや、聞き取りづらかったが、あいつは最初俺をおっさんと言ったか?いや、もっと、ちがう、こう……
「お……さん」
「お…と…さん」


「お父さん」

俺は、帰ってから心配そうに俺を見てくる妻に笑いかけ、すやすやと寝ている赤ん坊を見下ろした。
たまにひらく目は、可愛いんだが生意気そうだ。

「……こんな大変な時期にごめん
仕事……変えたい……かも」
「本当?!よかった……ずっと心配してたの。貯金があるから大丈夫よ、それに私のお母さんも一時的にひろとのこと預かってくれるって、2人で息抜きしましょ
大丈夫、大丈夫。なんとかなるよ」
「……そうか、なんとかなるか……。
……なあ、中学生で金髪に染めてるのってどう思う」
「?どうしたの急に……うーん、不良ぽいなと思うから、ひろとには染めないでほしいかなー……でも」
「……でも?」
「べつに髪を何色にしてても、健康に育って、根が良い子だったら他に希望は、とくにないかも」
「はは……まあ、生意気だけど根は良い子だと思うぞ」

何だったんだろうか、俺の自殺を止めた何か、は
強い精神力がー……未来の息子の念力かなにかだったんだろうか。
でも、あいつと会える未来なら
生きていて悪い気はしない。

遥か先の未来が眩しくて、俺は目を細めた。
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