第1話

文字数 4,345文字

『その時、写真には血塗れの女の顔が……』
 テレビ画面に大きく映し出される女の顔にワイプの出演者が悲鳴を上げる。
 そして私はそれを欠伸をしながら眺めた。
 毎年この時期に放送されている心霊番組を見ているのだが大して怖くない。
 暇だから何となく見た番組だけどそこまで面白くなかったから、テレビを消して時計を見ると午後2時になろうとしていた。
 そろそろ支度しなくちゃいけないけど、窓の外に広がる憎たらしくなるくらい青い空と燦燦と降り注ぐ日差しを見ると支度する気が削がれていった。
 こんな天気の中わざわざ外に出るなんて自殺行為だけれど、夏休みの課題を終わらせるために図書館に行かなきゃいけないから外に出るしかない。
 ぶっちゃけ外に出るどころか課題だってやりたくないし、出来ることなら冷房が効いている家でジュースを飲んだり漫画を読んだりしてダラダラと過ごしたいけど課題が進んでなかった事がお母様に発覚したら怒られてお小遣いなしやスマホ没収という事になりかねない。
 そんな事になるのは絶対に避けたいので観念して支度を始めた。
 課題と筆記用具と財布と鍵をバッグに適当に突っ込む。スマホは持って行くかどうか少し迷ったけれど課題に集中しなきゃいけないので部屋に置いて行く。
 家と図書館はそこまでの距離じゃないし急な連絡なんてそうそうないからスマホが無くても大して困らないでしょ。
 快適な自室に後ろ髪を引かれつつ、覚悟してドアを開けると熱気が私に襲いかかってきた。たちまち身体中から汗が吹き出し、全身のあちこちがベタつく。もうこの時点で即部屋に戻りたくなったけど、なんとか我慢して外に出たら目が眩みそうなほど強い日差しが降り注ぎ、私の肌をジリジリ焼く。私は別に健康的な褐色女子になりたいわけじゃないのに。
 日焼け止めクリームを塗っておけば良かったと後悔したけどもう遅い。
 そしてただでさえ暑さと汗で不快なのに蝉の鳴き声が周囲からひっきりなしに聞こえてくるのでうるさいなんてもんじゃない。
 一刻も早く静かで冷房の効いた図書館に着くために歩く速度を早める。このままだと気が狂いそう。
 家から図書館までの距離はそこまで離れていないはずだけど、この猛暑で体力を消費しているからかとても遠くに感じる。
 猛暑と蝉の五月蠅さを我慢して歩く事数分、鬱蒼とした木々が見えてきた。
 この木々が植えられている場所は森林公園で、その一画に私が今向かっている図書館は建設された。つまりこの木々が見えた時点で目的地まで後少し。
 木々の下を歩いていると、やがてガラス張りの大きな建物が見えてきた。それで自分が目的地にたどり着いた事を知る。
 やっと図書館にたどり着いた。
 思わず小走りになって図書館に入ろうとしたら妙なものが視界に入ってきた。
 それは影法師のようにも、煙が人の形をしているようにも見える黒い何かだった。大きさは幼稚園児くらいで、輪郭はぼやけていてよくわからない。そして特徴と呼べるものはそれ以外に何もない。
 一瞬壁の染みかと思ったけれど、よく見たらそれは宙に浮いていた。
 思わず写真を取ろうとしたけどスマホは家に置いてきたんだった。
 しばらく影法師(?)は宙に浮かんでいたけれど何もしてこない。最初こそ奇妙に思ったけれど、奇妙なだけだしそれよりも暑いのでさっさと図書館に入る。
 図書館の中は冷房がよく効いている上にとても静かで外とは完全に別世界だった。
 昼寝してスペースを陣取っている爺さんにイラつきつつも課題をやる為に丁度いい席を見つけ課題に取り組む。
 この涼しく静かな図書館の環境は勉強には最適で、そのおかげで順調に課題を一つ終わらせる事ができた。
 時計を見ると1時間経っていた。課題も一段落したし休憩しよう。
 喉が乾いたから飲み物欲しいけど、水筒持ってきてないから外の自販機で買うしかない。
炎天下を歩くのかと憂鬱になり、水筒を持ってくれば良かったとまたも後悔しつつ外に出る。
 冷房に慣れきっていた体が急激に外の熱気に晒されて、温度差で気分が悪くなった。速やかに自販機でオレンジジュースを買って木陰に入る。
 ジュースを喉に流し込むと乾いた喉が急速に潤っていくのを感じた。一気に冷たい物を飲んだからか頭がキーンとしたけど、その痛みすらどこか心地いい。
 一息ついてふと顔を上げると目の前にあの影法師が浮かんでいた。
 またかと思ったけれど影法師を見かけた場所と私が今いる場所は位置が全然違う。それなのに影法師が私の前にあるという事はもしかして私を追っている…………?
 それによく見たらその影法師は明らかにさっきよりも一回り大きくなっていた。
 目の前の影法師が薄気味悪くなり、その場を離れ図書館に戻る。
 途中周囲を確認したけどあの影法師はどこにもなく、その事に少しホッとした。
 残りの課題に集中しようとしたけど最初ほど順調に課題は進まず、結局残りの課題が片付いて窓の外を見ると空は群青色だった。
 時計を見てみると閉館時間1時間前だった。
 時間的にも丁度いいし課題はもう終わったから帰ることにする。
 今日は疲れたし課題を頑張った自分へのご褒美としてコンビニでお菓子でも買おうかな。
 外に出たけどそこには焦げるような日差しも吐き気を催す程の熱気もなかった。
 森林公園を抜けようとすると、あの影法師がまた目の前に現れた。
 最初は幼稚園児程度の大きさだったのに、今は私と同じぐらいの大きさになってる。
 しかも最初はぼやけていた輪郭もかなりハッキリしていた。
「私そこ通りたいんだけどどいてくれない?」
 緊張が声に出ないように、毅然と振る舞う。
 ここで影法師が素直に道を空けてくれたら笑っちゃうけど、影法師は佇んでいるだけだった。
「どいて」
 声に力を込めてゆっくり言い放つ。
 相変わらず影法師はノーリアクション。
 こんな私の声を認識しているかどうかもわからない影法師に割く時間が無駄だから、別のところから出ていこう。
 私が影法師に背を向け別の出口に向かおうとすると瞬時に影法師は私の前に立ち塞がる。
「…………」
 なんかイライラしてきた。
 ただでさえ課題で疲れて早く帰ってゆっくりしたいのに何でこんな変なものに邪魔されなきゃいけないんだろう。
 なので思わず声に出してしまった。
「なんなのさっきから付きまとってきて! いちいち道塞ぐとかあんた小学生か!」
 そう言った直後、まずいと思った。
 これで影法師が逆上してしまったら大変な事になる。
 万が一に備えて身構えたけど影法師は私に何もしてこなかった。
 たださっきのような無反応じゃなくて、輪郭がぼやけて最初の幼稚園児並みの大きさに戻り、道を空けた。
 いやあっさり引き下がるんかい。
 予想外の反応に内心そう突っ込んでしまった。
 小さくなった影法師はどことなく落ち込んでいるようにも見えた。もしかすると影法師は私に構ってほしかっただけなのかもしれない。
 そんな事を考えてもしょうがないので私は影法師を尻目に森林公園を出て家路につく。
 途中でコンビニでお菓子を買うことを忘れずに帰宅した。
 それにしてもあの影法師一体何だったんだろうか?特に害はなかったけれど不気味な事には変わりない。
 お菓子を貪りながらそんな事を考えているとスマホの通知が鳴った。
 見てみると友人の真希からメッセージが送られてきた。スワイプして内容を見る。
『美鈴、一つ聞いていい?』
 何だろう、課題の範囲を忘れたから私に聞きたいとかかな。
『いいけどどうしたの?』
 既読がついてすぐに返事が来た。
『美鈴、今日森林公園にいた?』
『いたけど何で?』
 もしかして真希もあの影法師を見たのだろうか。
 しかしその次に来た返事は私の予想外のものだった。
『森林公園の近くを通りがかったら、一人で大声を出している美鈴らしき人物を見かけたから』
 …………いや、おかしい。
 あの森林公園は夜間は安全のために自動的に灯りが着くから暗くて見えなかったということはないし、位置の都合上私の姿が見えたという事は影法師も見えなきゃおかしい。
『ちょっと変な人に絡まれちゃってさ』
 一応影法師の事は伏せて事情を簡単に説明してみる。
 しかし真希からの返事はまたしても予想外のものだった。
『いや美鈴一人の姿しか見えなかったけど?』
 そういえば思い返してみたら最初出くわした時や、ジュースを飲んでいる時あの影法師の近くを確かに人が通っていた。
 それなのに誰もあの影法師に視線を向けてなかったし、誰かが影法師を見ているところも目にした記憶がない。
 もしかして、いやもしかしなくてもあれは私以外には見えていなかった。
 白昼夢という可能性も考えたけどそれはないと即座に否定した。
 あの影法師は紛れもない現実で私にしか見えなかった怪奇現象だ。
 ただあれが私にしか見えなかったところでだからなんなのって話だけれど。
 正体不明で不気味な事にはなんら変わりはないわけだし。
 これ以上考えていても不毛だから、考えることを止めた。
 翌日私は森林公園や図書館の近くを見て回ったけどどこにも影法師の姿はなかった。
 その次の日も影法師を探したけど見つからなかった。
 よくわからないまま現れて、よくわからないまま消えていったあれは一体何だったんだろうか。
 しばらくの間いつも通り夏休みを過ごしているうちに影法師の事は少しずつ記憶から薄れていった。
 夏休みも終わりに差し掛かったある日の事。
 私が隣町のプールから自宅へ帰ろうとしていた時だった。
 道を歩いていると背後から何か視線のような感覚がしたから振り返ったけど、そこには誰もいない。
 背後どころか周囲を見渡しても誰もいなかった。
 気のせいか。
 そう思ってまた歩き出すとまた視線のような感覚がした。それもより強く。
 また周囲を見渡して、私は全身が粟立つのを感じた。
 何故なら成人男性並みの大きさの影法師が私のすぐ近くに立っていたからだった。
 影法師は私の顔を覗き込む。
「また」
 聞こえてきた掠れた声に身体が凍てつく。
 お願い、それ以上は言わないで。もしその先を聞いてしまったらーー。
「あえたね」
 あっ、と。
 突然世界が闇に染まった。
 自分が何者なのかわからなくなって、ただ肌を刺すような冷気と辺りに広がる闇しか認識できない。
 そして終わりは突然訪れた。
「いこう」
 その言葉が『私』が認識できた最後のものだった。
 
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