かけひき

文字数 1,973文字

 ゼミの後輩の男の子が素直だし飲み込みも早いし気遣いもできるし、顔も爽やかで身なりも綺麗だから当たり前のようにみんなから可愛がられているのだけど、凄まじい怨念の塊みたいな女の霊を背中にしょってるから、わたしはあんまり近寄りたくない。
 女の霊といっても服装から女だろうなと推測できるだけで、顔はヤスリで削られたみたいに平らになっていて、鼻なんかただの空洞だし、唇も削げて前歯と歯茎が剥き出しになっているしで、全体的に血塗れで元の造作はぜんぜん分からないうえ、たぶん下半身はペチャンコに潰れてしまっている。そんな恐ろしい見た目の怨霊が、いつも背後からものすごい殺意を込めて後輩くんを見つめていて、明らかに後輩くんに強い恨みを残して死んだ者の霊だと分かるのだけど、どうやったらそんなレベルの恨みを買うのか逆に不思議だ。情報を素直に読み取れば、後輩くんがどこかの女を顔がグチャグチャになって下半身がペチャンコになるような残酷な方法で殺して、そのせいで女から恨まれているのではないかと考えられるけど、いくらなんでも、この素直で明るくて爽やかな後輩くんが残虐非道なサイコパスの人殺しってことはない気がする。でも、とにかく後輩くんの背後には恐ろしい怨霊がくっついていて、わたしは本能的に近づきたくない。
 そんな感じで、せっかくのゼミの良い雰囲気が、わたしが後輩くんを露骨に避けているせいで微妙に悪くなり、他の子たちがアレコレと気を回してわたしと後輩くんが自然と仲良くなれるように取り計らうし、わたしも素直で気遣いのできる顔も爽やかで身なりの綺麗な、誰もが好感を抱いて当然の後輩くんを避け続けるのも難しくなって、飲み会の席で(みんなの取り計らいの結果)隣になった機会に、思い切って直接訊いてみる。
「え? 先輩さんって霊感とかある人なんですか?」と、無邪気に笑う後輩くんの質問に、わたしは「あるってほどじゃないけれど」と、曖昧に言葉を濁す。なにしろ、曲がりなりにも理系の学部のゼミなので、霊感だとかなんだとか、そんな非科学的な話は自分でも鼻で笑ってしまいそうになる。わたしだけが見ている幻覚と考えたほうが理に適うし、その場合、心配するべきはわたしの精神状態や脳機能のほうだ。
 でも、見えてしまうものは仕方がないし、わたしが「ヤスリで削られたみたいに平らな顔をした、たぶん女で、下半身がペシャンコになっている」と説明すると、後輩くんは思い当たるところがあるみたいで「あ~、じゃあアレかなぁ」と、話し始める。
「イヤホンで音楽を聴きながら信号待ちをしてたんですよ。そしたら、気がついたら全身にゴツンと衝撃がきて、で、目を開いたらさっき先輩さんが言ったとおりの、顔が平らに削れて下半身がペチャンコに潰れた女が、俺の足に縋りついていたんです」
 よく分からない話だな? と思って、わたしが首を傾げていると、後輩くんは「プリウスロケットですよ」と言って、また爽やかに笑う。
「ブレーキとアクセルを踏み間違えたプリウスがすごいスピードで突っ込んできて、信号待ちをしていた俺の横にいた女の人に思いっきり突っ込んだんです。俺も吹っ飛んだけど、幸い全身打撲の軽傷で済んだんですが、女の人は顔面を引き摺られて平らに削られたうえに、下半身をプリウスと壁の間に挟まれてペチャンコにされちゃって、でもまだ生きてたんですね。それで、反射的に一番近くにいた俺の足に縋りついたんでしょうけど、俺からすればパッと目を開いたら、そんな化け物じみた女が足にきつくしがみついている状態だったわけで、反射的に蹴っちゃったんですよ。顔面のど真ん中を」
 後輩くんが訳も分からず吹き飛ばされたのと同様に、プリウスに潰された女も、きっと何が起こったのかすらも把握できないまま死んだのだろう。彼女が最期に見たのは、自分の顔面に蹴りを入れてくる後輩くんの姿だったわけで、それで彼女は後輩くんに対して強い恨みを残して死んで、怨霊となって後輩くんにくっついているというわけだ。
「だから、とんだとばっちりですよ。憑りつくなら憑りつくで、プリウスの運転手にしろよって感じですよね。別に、僕が殺したわけじゃないんですから」
 そう言う後輩くんの笑顔は、やっぱり誰もが好感を抱いて然るべき爽やかさだし、彼に凄まじい怨霊が憑りついているのは別に彼の責任ではないというのも理屈としては理解できるのだけど、咄嗟の反射的にとはいえ、死にゆく女の顔面に思いっきり蹴りを入れたことに対して何らの自責の念も感じていなさそうなのはやっぱりそれなりに異常なんじゃないかと思うし、きっと彼に1ミリの自責の念もないから、女の怨念も後輩くんに何らの影響も与えていないのだろう。
 どっちみち、やっぱりわたしはあんまり後輩くんに近寄りたくない。
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