第1話
文字数 1,592文字
1
「ちょっと、観葉植物を買ってきてもらえませんか」
その日、私は尊師から、このような依頼を受けました。気持ちのいい晩秋の朝、私たちの小庭でかわいらしく咲いている色とりどりの野菊に水をやっているとき、私は尊師のそう言う声を耳にしたのです。声音はいつものように優しい。そして、いつものように、そばの道場で朝の瞑想にふけっていたのだと思います。尊師の声は優しいけれど張りがあってよく響くので、道場から50メートルほどのここでも、はっきりとよく聞こえるのでした。
しかし、私は尊師から、観葉植物の買い物を依頼されるのは初めてのことです。煙草やビールやなんかはよく言われるのですけれど。それで少し面くらい、一瞬、ホースを持つ手が小刻みに震えましたが、瞑想中の尊師の頭に観葉植物がふと浮かんだのかと考えると、なんだかおかしくなりました。私が尊師に「かしこまりました」と道場まで届く大きな声で、それでいてしおらしい猫なで声で返事をしながら、少しにやついていたのはこのためです。
2
さっきも言いましたけれど、観葉植物を頼まれるなんて初めてのことです。どこで買ったらいいのか皆目分かりません。お目の高い尊師のことですから、その辺のスーパーというわけにもいかないでしょう。
私は観葉植物のことで頭がいっぱいになりました。そのせいで、散水の手をしばらく止めていたようです。小庭の多彩な花々の中で尊師が最も気に入っているアネモネのプランターが、いつの間にか水浸しになっているではありませんか。私はパニックに陥りましたが、その瞬間、いいアイデアがひらめきました。
「そうだ、煙草屋さんに聞いてみよう」
さっきも言いましたけれど、私は尊師の依頼でよく煙草を買いに行きます。なので、煙草屋さんとはすっかり顔見知り。それに、なんだか妙に馬が合うところがあり、おじいちゃんと孫娘みたいな感じになっています。そして、何といっても、煙草屋さんは物知りなのです。いつも店番をしながら、小難しげな本を読んでいて、店の奥には、これまで読んできた本やこれから読むであろう本が、うず高く積まれておりました。その中には植物系の本もあったかと。おそらく、観葉植物についても詳しいはずです。きっと、いいお店を紹介してくれることでしょう。
3
結局、私は観葉植物屋さんに行く必要がなくなりました。煙草屋さんがくれたのです。
煙草屋さんはいつものように、バーコード頭をびんつけ油で丁寧になでつけ、牛乳瓶の底のような眼鏡をかけて書物を熟読しておりました。私がこれこれしかじかと要件を説明すると、煙草屋さんはなぜかピンときたようにすくっと立ち上がり、「こっちへ来なさい」と言いました。こっちとは店の奥のことです。私は古びた本の充満するにおいにくらくらとなりながらも、上背のある煙草屋さんの猫背を追っていきました。古本のビル群をすり抜けながら、はだしの足で本の虫を何度も踏みつけたような気がします。
裏庭に出ると小さなガラスの温室があり、煙草屋さんが「これを君にあげよう」と、そこから取り出してきたのがその観葉植物でした。
いったいこれが観葉植物と言えるのか、いや、そもそも植物と言えるのかさえ、私には分かりません。しかし、赤い開口部から時折、何かの物質を排出しているところを見ると、生命を宿してはいるのでしょう。
道場に戻ると誰もいないのを確認し、いつも尊師が座っている場所に観葉植物を置きました。
フワッパ、フワッパ
赤い開口部から、二度ほど物質が排出されました。
同時に板壁の隙間という隙間から、夕日の光線が放射状に差し込み、道場全体に拡散した鱗粉を毒々しく照らし出しています。それらは迷いなく重力に身を任せ、ただただ静かに落ちていく。相棒のリンが一生懸命に磨いたピカピカの床が台無しだ、と私は思いました。
「ちょっと、観葉植物を買ってきてもらえませんか」
その日、私は尊師から、このような依頼を受けました。気持ちのいい晩秋の朝、私たちの小庭でかわいらしく咲いている色とりどりの野菊に水をやっているとき、私は尊師のそう言う声を耳にしたのです。声音はいつものように優しい。そして、いつものように、そばの道場で朝の瞑想にふけっていたのだと思います。尊師の声は優しいけれど張りがあってよく響くので、道場から50メートルほどのここでも、はっきりとよく聞こえるのでした。
しかし、私は尊師から、観葉植物の買い物を依頼されるのは初めてのことです。煙草やビールやなんかはよく言われるのですけれど。それで少し面くらい、一瞬、ホースを持つ手が小刻みに震えましたが、瞑想中の尊師の頭に観葉植物がふと浮かんだのかと考えると、なんだかおかしくなりました。私が尊師に「かしこまりました」と道場まで届く大きな声で、それでいてしおらしい猫なで声で返事をしながら、少しにやついていたのはこのためです。
2
さっきも言いましたけれど、観葉植物を頼まれるなんて初めてのことです。どこで買ったらいいのか皆目分かりません。お目の高い尊師のことですから、その辺のスーパーというわけにもいかないでしょう。
私は観葉植物のことで頭がいっぱいになりました。そのせいで、散水の手をしばらく止めていたようです。小庭の多彩な花々の中で尊師が最も気に入っているアネモネのプランターが、いつの間にか水浸しになっているではありませんか。私はパニックに陥りましたが、その瞬間、いいアイデアがひらめきました。
「そうだ、煙草屋さんに聞いてみよう」
さっきも言いましたけれど、私は尊師の依頼でよく煙草を買いに行きます。なので、煙草屋さんとはすっかり顔見知り。それに、なんだか妙に馬が合うところがあり、おじいちゃんと孫娘みたいな感じになっています。そして、何といっても、煙草屋さんは物知りなのです。いつも店番をしながら、小難しげな本を読んでいて、店の奥には、これまで読んできた本やこれから読むであろう本が、うず高く積まれておりました。その中には植物系の本もあったかと。おそらく、観葉植物についても詳しいはずです。きっと、いいお店を紹介してくれることでしょう。
3
結局、私は観葉植物屋さんに行く必要がなくなりました。煙草屋さんがくれたのです。
煙草屋さんはいつものように、バーコード頭をびんつけ油で丁寧になでつけ、牛乳瓶の底のような眼鏡をかけて書物を熟読しておりました。私がこれこれしかじかと要件を説明すると、煙草屋さんはなぜかピンときたようにすくっと立ち上がり、「こっちへ来なさい」と言いました。こっちとは店の奥のことです。私は古びた本の充満するにおいにくらくらとなりながらも、上背のある煙草屋さんの猫背を追っていきました。古本のビル群をすり抜けながら、はだしの足で本の虫を何度も踏みつけたような気がします。
裏庭に出ると小さなガラスの温室があり、煙草屋さんが「これを君にあげよう」と、そこから取り出してきたのがその観葉植物でした。
いったいこれが観葉植物と言えるのか、いや、そもそも植物と言えるのかさえ、私には分かりません。しかし、赤い開口部から時折、何かの物質を排出しているところを見ると、生命を宿してはいるのでしょう。
道場に戻ると誰もいないのを確認し、いつも尊師が座っている場所に観葉植物を置きました。
フワッパ、フワッパ
赤い開口部から、二度ほど物質が排出されました。
同時に板壁の隙間という隙間から、夕日の光線が放射状に差し込み、道場全体に拡散した鱗粉を毒々しく照らし出しています。それらは迷いなく重力に身を任せ、ただただ静かに落ちていく。相棒のリンが一生懸命に磨いたピカピカの床が台無しだ、と私は思いました。