第1話
文字数 1,750文字
Ladies and Gentlemen.
諸君、少女というとどういうイメージがあるだろうか。
可憐、若い、女の子、いい匂い、JK、あっけらかん、華やか…さまざまなイメージがあるだろう。女の子同士で仲良しだとかそういった集団行動を好むというところがあるかもしれない。それは何も学生時代に限ってではないだろうが、そういった集団行動を強く意識するのは学生時代が特に強い気がする。
そう、女の間のなかで何か噂話のターゲットにされるということは、グルーブ内で銃口を向けられるということだ。表面では仲良しこよし花や蝶よと小鳥のように囀るが裏では他人の粗探しに、目を光らせまるで猫のように舌舐めずりしているのが「女」というものだろう。
「失恋した」
そうクラスのごく一部の比較的仲の良い女の子たちに零したその話は、コップが倒れテーブルを滑る水のように、次の休憩時間に入る頃にはクラス内に広まっていた。大して仲良くもない「クラスメイト」というそいつらはニヤついた気持ち悪い笑みや視線や、浅はかで気持ち悪い同情めいた言葉を私に向かって唾棄と共にふきかける。
それでいて男の趣味が悪い、私が狙っていたのだから生意気だと放課後のトイレで吊し上げながら軽く化粧を直すのだ。
同情するように横に立ち、ハンバーガー屋に行こうか。それともパンケーキがいい?とのうのうと友達ヅラをして話しかけてくる友達らしきクラスメイト。お前らが私の許可なく失恋話をクラス中に広めたんじゃないのか、と胸ぐらを掴んで問いただしたい感情を無理やりに押し込み唾液と共に飲み込み腹の中に収める。
嗚呼、煩わしい煩わしい煩わしい!!!!!!!
どうにか失恋した経緯を聞き出したがるクラスメイトに適当な理由をつけ一人帰路への道を歩く。その間にもスマホには「傷が癒えるようにお話しして洗い流そう!」「相手が見る目なかったんだよ!」「○○さんがそんなことを言っていたよ、やだね」「ねえ、聞いたんだけれど本当?」だのくだらない単語が着信拒否できないまま入り込んでくるのだ。
あの人たちから見たら私は一体どういう人物像として作り上げられているのだろうか。
視線の先には河原と夕陽という青春ドラマも真っ青になりそうなセッティング、どこからか先生もしくは異性の先輩でも現れたら最高なんだろう。
もしもだ、もし、先生が現れたとしよう。先生は私に「ホームルームで元気がなかっただけれど、どうかしたの?」と声をかけてくれたとしたら私は素直に言えるだろう。
否だ。
絶対に言えないだろう。そこまで信用している先生など存在しないし。では先輩ではどうだろうか。
否だ。
先輩ということは部活の先輩だろう。そんな事をぼやけば次の日には部活内にバラされ、『失恋しショックのあまり相手の男子生徒をハサミで脅した』『いやいや、まだ根に持っていてストーカー行為を繰り返しているらしい』だのとんでもないオヒレハヒレがついてボロボロになって持ち主である私の元へ返ってくるだろう。それではいくらなんでも噂が可哀そうだ。
そもそもだ、何故周りは揃いも揃って私が「傷ついた」と勝手に決めつけているのだろうか。確かに失恋したことは確かだが、それによって私という存在が歪められたわけでも無いし、クラスメイトたちの嘲笑や中傷が私を傷つけることはないのだ。
確かに、失恋が私を傷つけることはない訳ではない。
表面には出てきていないが心の中ではきっと大雨のようにわんわんと泣き、通学路で想い人に出会ってしまったら言葉や視線に敏感になってしまうだろう。
でも、それも過去の自分だ。
私は私を大切に抱きしめ愛情を最大限に注ぎ、一歩一歩、自分自身に向き合い、自分の感情を全て掬い上げ理解していく。それは誰にもできない行為であり、私にしかできないこと。私が進むべき道は私自身が選ぶものだ。どうして他人なんぞに私を理解してもらおうなどと考えていたのだろう。自分を理解できるなんて自分にしかできないことだというのに。ああ、馬鹿げている。馬鹿げているがそれが世に蔓延る真理というものなのだろう。
諸君、覚えていてほしい。
女の子は気に入らない相手を陥れるために計算高く、あざとく気分屋でわがままで強かな気高き戦士だということを。
諸君、少女というとどういうイメージがあるだろうか。
可憐、若い、女の子、いい匂い、JK、あっけらかん、華やか…さまざまなイメージがあるだろう。女の子同士で仲良しだとかそういった集団行動を好むというところがあるかもしれない。それは何も学生時代に限ってではないだろうが、そういった集団行動を強く意識するのは学生時代が特に強い気がする。
そう、女の間のなかで何か噂話のターゲットにされるということは、グルーブ内で銃口を向けられるということだ。表面では仲良しこよし花や蝶よと小鳥のように囀るが裏では他人の粗探しに、目を光らせまるで猫のように舌舐めずりしているのが「女」というものだろう。
「失恋した」
そうクラスのごく一部の比較的仲の良い女の子たちに零したその話は、コップが倒れテーブルを滑る水のように、次の休憩時間に入る頃にはクラス内に広まっていた。大して仲良くもない「クラスメイト」というそいつらはニヤついた気持ち悪い笑みや視線や、浅はかで気持ち悪い同情めいた言葉を私に向かって唾棄と共にふきかける。
それでいて男の趣味が悪い、私が狙っていたのだから生意気だと放課後のトイレで吊し上げながら軽く化粧を直すのだ。
同情するように横に立ち、ハンバーガー屋に行こうか。それともパンケーキがいい?とのうのうと友達ヅラをして話しかけてくる友達らしきクラスメイト。お前らが私の許可なく失恋話をクラス中に広めたんじゃないのか、と胸ぐらを掴んで問いただしたい感情を無理やりに押し込み唾液と共に飲み込み腹の中に収める。
嗚呼、煩わしい煩わしい煩わしい!!!!!!!
どうにか失恋した経緯を聞き出したがるクラスメイトに適当な理由をつけ一人帰路への道を歩く。その間にもスマホには「傷が癒えるようにお話しして洗い流そう!」「相手が見る目なかったんだよ!」「○○さんがそんなことを言っていたよ、やだね」「ねえ、聞いたんだけれど本当?」だのくだらない単語が着信拒否できないまま入り込んでくるのだ。
あの人たちから見たら私は一体どういう人物像として作り上げられているのだろうか。
視線の先には河原と夕陽という青春ドラマも真っ青になりそうなセッティング、どこからか先生もしくは異性の先輩でも現れたら最高なんだろう。
もしもだ、もし、先生が現れたとしよう。先生は私に「ホームルームで元気がなかっただけれど、どうかしたの?」と声をかけてくれたとしたら私は素直に言えるだろう。
否だ。
絶対に言えないだろう。そこまで信用している先生など存在しないし。では先輩ではどうだろうか。
否だ。
先輩ということは部活の先輩だろう。そんな事をぼやけば次の日には部活内にバラされ、『失恋しショックのあまり相手の男子生徒をハサミで脅した』『いやいや、まだ根に持っていてストーカー行為を繰り返しているらしい』だのとんでもないオヒレハヒレがついてボロボロになって持ち主である私の元へ返ってくるだろう。それではいくらなんでも噂が可哀そうだ。
そもそもだ、何故周りは揃いも揃って私が「傷ついた」と勝手に決めつけているのだろうか。確かに失恋したことは確かだが、それによって私という存在が歪められたわけでも無いし、クラスメイトたちの嘲笑や中傷が私を傷つけることはないのだ。
確かに、失恋が私を傷つけることはない訳ではない。
表面には出てきていないが心の中ではきっと大雨のようにわんわんと泣き、通学路で想い人に出会ってしまったら言葉や視線に敏感になってしまうだろう。
でも、それも過去の自分だ。
私は私を大切に抱きしめ愛情を最大限に注ぎ、一歩一歩、自分自身に向き合い、自分の感情を全て掬い上げ理解していく。それは誰にもできない行為であり、私にしかできないこと。私が進むべき道は私自身が選ぶものだ。どうして他人なんぞに私を理解してもらおうなどと考えていたのだろう。自分を理解できるなんて自分にしかできないことだというのに。ああ、馬鹿げている。馬鹿げているがそれが世に蔓延る真理というものなのだろう。
諸君、覚えていてほしい。
女の子は気に入らない相手を陥れるために計算高く、あざとく気分屋でわがままで強かな気高き戦士だということを。