しとしととんとん

文字数 1,861文字

「それでは早速前回の最後に配ったプリントの答え合わせをしていこうと思います」
 4限の開始を告げるチャイムが鳴り終わると同時に教壇に立つ日本史の池辺(いけべ)先生はそう告げた。
 俺は窓の外に目をやる。外は昨日の夜からずっと雨が降り続いている。

 しとしと、しとしと。

 池辺先生の言葉と同時に教室に座る皆は自分の机の上にそのプリントを広げる。

 バサバサ

 と教室のあちこちで紙を扱う時に出る音が聞こえる。その刹那だけかき消されたがその音が止むとまたこの教室という狭い空間には雨の音だけが響いた。

 しとしと、しとしと。

 俺はクラスメイト達よりワンテンポ遅れて自分のプリントを広げた。白紙のプリントを。そんな課題を出されていたことをすっかり忘れていた俺は先ほどの休み時間に安田(やすだ)の「そう言えば次の日本史はプリントの答え合わせからだな」という一言によってその存在を思い出したのだ。俺のプリントは日本史の教科書にキレイに二つ折りにされた状態で挟まっていた、白紙のままで。なぜなら日本史の教科書は持ち帰らずにいつも机の中に入れっぱなしなのだ。
 そして今に至る。
「じゃあ答えを順番に言ってもらいましょうか」
 そんな池辺先生の言葉を聞いて俺は祈った。どうか俺の座る列が当たりませんように、と。俺の座る列が当たりさえしなければ皆の答えを聞いてそれを書き写して適当に2、3問間違えていかにも「本気でやりました」感を演出して授業の最後にしれっとプリントを提出すればいい。列は6列、確率は6分の1。
「では今日は…」
 俺は強く祈った。池辺先生が思案する間、雨の音しかしない教室で、俺は祈った。

 しとしと、しとしと。

山下(やました)君の列の人にお願いしましょうか」
 俺は小さくため息をついて天を仰いだ。最悪だ、6分の1だ。しかし起きてしまったことはしょうがない。俺はすぐに頭を切り替えて状況を冷静に整理していく。俺はこの列(6人)の4番目だから…俺が答えなければいけない問題は④番の問題だ。その④番の問題を目で追う。

問題④:問題③の答えの人物が1585年に就任し天下人としての地盤を固めるきっかけとなった役職は何か

 …なるほど、分からん。というかこの感じだと問題③も理解していないと答えられないではないか。
ということで俺はそのまま目を問題③へ移動させる。

問題③:問題①の戦いを制したことで織田信長の後継者として問題②の答えの時代の華やかな時代に中心的な活躍をした人物は誰か。

 …これはあれだろう、多分豊臣秀吉だろう。ということは問題④はその豊臣秀吉が1585年に就任した役職を答えればいい訳か。なるほど、オーケー、そうと分かれば話は早い。俺は大急ぎで教科書のページをめくる。
「はい、山崎の戦いです」
 そうこうしている間に早速答え合わせが始まっている。ヤバい。急がないと。
「そうですね、1582年、織田信を討った明智光秀と…」
 池辺先生の解説が続く。よし、そのままずっと解説しててくれ。この隙にと言わんばかりに俺は教科書の文字の海を血眼になって渡る。

しとしと、しとしと

しとしと、しとしと

…ダメだ、先ほどから俄に強くなった雨の音と得意気に解説を続ける池辺先生の声のせいで全然集中が出来ない。早く、早くしないといけないのに!
 机に肘をついて両手の握りこぶしで左右のこめかみの辺りを揉みながら俺は探し続けた、問題④の答えを。
 と、その時だった。

 とんとん

 と何かが俺の右肩の少し下の辺りをたたいた。ビックリした俺は感触がした方を思わず振り返った。するとそこにはメガネを掛けた今までほとんど言葉を交わしたことのないクラスメイトの女の子が座っていた。確か名前は…戸嶋(こじま)さんだったと思う。彼女はプリントをずっと見ていたが俺が振り向いたことに気付くと小さな声で「肩」と言ってさきほどちょうどとんとんされた辺りを指差した。
 全く何だって言うんだ。俺がそのさきほどとんとんされた辺りに触ると水色の小さな付箋が貼られていた。よく問題集からの上から飛び出ている、そんな感じの付箋だ。そしてその付箋にはキレイな字で「関白(かんぱく) 頑張って!」と丁寧に振り仮名つきで問題④の答えとおぼしき単語が書かれていた。
 これで俺の前方に立ち塞がっていた問題は解決した。
 しかし、同時に新たな問題も浮上していた。この授業が終わった後、俺はこれまでほとんど喋ったこともない戸嶋さんになんてお礼をすればいいのだろうか?
 外は相変わらず雨が降り続いている。

 しとしと、しとしと

 それは問題④の答えよりずっと難しい気がした。
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