第1話

文字数 4,983文字

 十時間にもおよぶ採掘シフトからようやく解放された。炭素運搬用シャトルに今日の成果の積み込みを終え、〈エスぺランザ〉へ向けて発射し終えたときには全身汗まみれ、へろへろのメタメタだった(身動きのしづらい宇宙服のなかでそんな状態になるのを想像してみてほしい)。
「先輩、あたしもうだめ」専用線モードで通信が飛び込んできた。「自分の臭い息で窒息しそう」
 振り向くと、小惑星〈イカルス〉の表面に鈴なりになった坑夫たちに交じって元気に手を振っている小柄な宇宙服姿。後輩の佐伯香苗だ。ヴァイザに表示されたメニューを視線で操作し、回線の周波数を設定する。「あともう少しの辛抱だ。我慢しろ」
〈エスペランザ〉に残っている宇宙服は局地探査仕様なので、呼気のリサイクルシステムは簡易型しか搭載されていない。カタログスペックでは連続二十時間使用可能となっているけれども、それを真に受ける気にはならない。
 香苗の宇宙服が跳ねるような動きで近づいてきて、数十センチの間隔を空けて止まった。「帰ったらどうします、先輩」
「シャワー浴びて寝る。それだけだよ」
「じゃあ予定ないんですね。二十時に〈アース・ドロップ〉で」
「予定はいましがた伝えたばかりなんだけどな」
「たまにはかわいい後輩とコミュニケーションとらなきゃ」
「お前らなにいちゃついてんだ」いきなり共用回線モードにシステムが変更された。強制的な通信への介入ができるのは管理者仕様の宇宙服を着ている倉本さんだけだ。「人が坑内の見回りをやってる最中にいいご身分なこった」
「隊長、お疲れさまです」香苗がすかさずねぎらった。
「おう、お前らもお疲れさん」大柄な宇宙服が大きく伸びをした。「やっと酒が呑めるぞ」
 倉本さんの台詞が合図になったかのように、星ぼしの輝きを背に迎えの輸送船がぐんぐん近づいてきた。すでに噴射を終えて慣性飛行に入っている。逆噴射で姿勢と速度を調整しつつ、寸分の狂いもなく〈イカルス〉とランデヴーした。坑夫たちがぞろぞろと乗り込んでいく。
 立錐の余地もない輸送船に無理やり身体を押し込み、ヘルメットを脱いだ。一度もリサイクル装置を通っていない清浄な空気で肺が満たされる。
 全員が乗り込んだことを倉本さんが識別信号の照合で確認し、万事OK。輸送船は故郷目指して発進した。
「年々〈イカルス〉からの収穫が減ってる」すし詰めの船内でむさ苦しいひげ面のおっさんに密着されるのは快い体験とは言いがたい。「桐谷、お前どう思う」
「どう見ても〈イカルス〉は穴ぼこだらけですね」
 重々しくうなずいた。「まだ二、三年は持つだろう。けど五年後、十年後はわからん。ステーションの人口が増えればなおさら足りなくなる」
 それまでにぎやかだった船内がぱったりと静まり返った。誰かが言った。「まあ先のことを心配してもしょうがないわな」
「そうだよな、すまん」倉本さんは破顔して柏手を打った。「みんな、帰ったら呑むぞ!」
 船内は再び活気を取り戻した。
「あの、隊長」ぎゅう詰めになって身動きのとれない状態からなんとか脱出して、香苗がわたしたちのスペースにやってきた。汗で前髪が額に貼りついている。「さっきの話、本当ですか」
 管理者はしぶしぶといったようすでうなずいた。「近いうちに新しい小惑星を捕獲しなきゃならんだろうな」
 小惑星の捕獲……。年配者たちが語るおっかない苦労譚が脳裏によみがえる。いま採掘している〈イカルス〉の捕獲では、坑夫たちの実に五パーセントが失われたそうだ。繊細で、困難を極める作業である。それをやらねばならないのだ。
 わたしは身震いして、窓外から見える蒼い星――地球を眺める。
 いつかきっとあの惑星に降り立ってやる。

〈エスぺランザ〉にランデヴーしたと同時に、坑夫たちはわれ先にと〈アース・ドロップ〉へ殺到する。それはちっぽけで黒鉛まみれの宇宙コロニーで営業する唯一の酒場であり、総人口比に対して不釣り合いに多い呑兵衛どもの需要を満たし続けているのを誇りにしている(飲用として供される商品のほとんどすべてが、排泄物浄化槽にたむろするバクテリアの分解生成物なのは公然の秘密である)。
 アルコールに魅力を感じないわたしはめったにのれんを潜らないのだが、今日は後輩から人権を無視した強制招集を受けている。身体の節々に残る凝りをほぐしつつ準備をし、二十時きっかりに滑り込んだ。
〈アース・ドロップ〉はすでに大盛況だった。客層のほとんどは小惑星採掘坑夫たちである。肩を組んで調子っぱずれの歌を披露する者、各テーブルで散発的に起きる口げんか、飛び交う下品なジョーク。
「先輩、こっちこっち!」香苗が二人がけのテーブルから手を振っている。
 いすを引いて腰かける。「相変わらず世紀末的な感じだな、この店は」
「〈ビール〉でいいですよね」
「ミネラルウォーターで」
「ぜいたくですねえ」
 すぐに〈ビール〉とミネラルウォーターが届いた。乾杯して一気に飲み干す。信じられないほどうまい。いつも飲まされている尿やら汗やらの再処理水とは雲泥の差である。今日の採掘で運よく掘り当てた氷床が早速商品に加工されたわけだ。
「ねえ先輩」三杯めをたったいま飲み干した後輩はすっかりできあがっている。うつろな瞳で床に設えられた展望窓を見つめている。「あたしたち、やっぱり坑夫のまま一生を終えるのかなあ」
「仕事がいやなら転職したらいい」
「そうじゃなくて」展望窓から見える惑星を指さす。「いつかあの星にいってみたいなって」
「またその話か。ぼくらが生きてるあいだには無理だって結論出ただろ」
 彼女は返事をしなかった。顎に手を添えてはかなげに蒼い星を眺めている。息を呑むほど美しかった。
「みんな聞いてくれ」だしぬけに倉本さんのだみ声が響き渡った。声のしたほうを向くと、ひげ面のおっさんが腕を組んで口をへの字に曲げている。「半年後、〈エスペランザ〉は小惑星〈トータティス〉に最接近する。野郎を捕獲する絶好のチャンス到来ってわけだ」
 どんちゃん騒ぎが瞬時に静まり返った。〈冗談だろ〉式の不安そうな笑みを浮かべている者もいるが、大半は身を乗り出して謹聴の構え。
「〈カタストロフ〉の日、俺たちのご先祖はたまたまここ〈エスぺランザ〉に――地球低軌道を周る小惑星採掘基地にいた。それが運命の分水嶺になった。恐竜を滅ぼしたのより何倍もどえらい隕石が降ってきて、地球は徹底的に蹂躙された。数キロにもおよぶ津波が都市を押し流し、火災の粉塵が何年も太陽光を遮断して〈核の冬〉が続いた」
 その光景を想像してみた。さぞ心胆を寒からしめるショーだったろう。
「下に生き残ってるやつらがいるのか俺は寡聞にして知らないが、仮にいたとしても文明を保ってる連中はおそらくいまい」隊長は拳を振り上げた。「俺たちだけが! 俺たちだけがいまや、地球を継ぐものなんだ」
 香苗と顔を見合わせる。彼女もおっさんのらしくない一面にまごついているようだ。
「いまのところ俺たちは日々の暮らしだけで青息吐息だ。小惑星から採掘した炭素と氷を使ってアミノ酸を合成し、そいつで命をつないでる。だがいつか態勢を立て直して降下ロケットを作り、地球へ舞い戻る。それまでなんとしても生き延びなきゃならん」
 そんなことが可能なのか? いやちがう。なんであれ

のだ。
「〈イカルス〉の炭素がじき底をつくという話はみんな知ってるだろう。危険を冒さず野垂れ死にすることを選ぶのは簡単だ。で、このなかにそうしたいやつがいるか。いるなら遠慮なく名乗り出てくれ」
 俺はごめんだぜ! 勇ましい賛同の声が上がる。これを皮切りにパブは熱狂に包まれ、わたしを含む全員が拳を掲げて総立ちになっていた。
「よおしみんな。宇宙坑夫の意地を見せてやろうじゃないか」

 すし詰めの船内におっさんの声がうつろに響く。「あれだけシミュレートしたんだ、リラックスしていこう」
 ヴァイザの望遠モードで見る限り〈トータティス〉は静止しているように思える。ところが実態は秒速三十キロもの猛スピードで疾走しているのだ。
「総員出動体勢、加速開始。L3ポイントでランデヴー」
 主観的には数世紀ほどもすぎたのち、パイロットが厳かに宣言した。「ランデヴー完了」
 先発隊がボーリングマシンつきのワイヤを発射して標的に打ち込む。架橋がうまくいったのを確かめるため、隊長が率先して一番手を引き受けた。カラビナを通して固定完了、慎重なスラスター飛行。無事接地したらしく、両手を使ったOKサインが出た。
 それを皮切りに次々と坑夫たちが小惑星に群がった。ワイヤを伝ってあばた面の表層に降り立つ。〈トータティス〉は降り立てるくらいには大きいけれども、人間をがっちり引きとめておけるほどの重力はない。ふざけてジャンプでもしたが最後、深宇宙への長い旅路が待っている。むろん片道切符のだ。
「みんな接地したな」共用回線モード。「ゆっくりでいい。気楽にやろうや」
 手順は次の通りだ。随伴してきた貨物船と小惑星をまずは連結する。当然全長五キロほどもある岩塊を輸送船程度の出力で牽引するのは不可能なので、補助用スラスターを同軸方向に取りつける。あとは一斉噴射で小惑星を動かし、採掘に適した軌道にまで引っ張ってこられれば無事終了だ。
 シミュレートした通り、細心の注意を払ってスラスターユニットを取りつけていく。文明水準が逆戻りしていくばかりの〈エスペランザ〉にとって、この手の機械はたいへんな貴重品だ。小型のものですら人命より価値がある。
 倉本隊長率いるベテラン部隊がお化けみたいな大出力スラスターを輸送船から引っ張り出しているのを頼もしい気分で眺めながら、確実に手持ちの仕事を片づけていく。設置場所は厳密な計算のもとに弾き出されており、わずかな角度のずれでも小惑星の運搬が困難になる可能性があった。誰の仕事も等しく重要なのだ。
 張りつめた数時間ののち、ついに工事は完了した。ミスがなければ小惑星の軌道を変えられるはずだ。総員輸送船に退避し、噴射の瞬間を固唾を飲んで見守っている。
「噴射開始!」
 輸送船と〈トータティス〉に取りつけられたスラスターがいっせいに蒼い炎を吹きあげた。十秒、三十秒、一分。岩塊はびくともしない。肩を落としてかぶりを振る坑夫たち。
「小数点以下の齟齬か」隊長の声音には失望がにじんでいた。「それともシステムのバグか」
 捕獲対象はいまを逃した場合、次に最接近するのは何十年もあとになる。失敗は許されない。小惑星は捕獲されねばならないのだ。
 わたしは輸送船から飛び出した。表面に降り立ち、進行方向に身体を押しつけて目いっぱい宇宙服のスラスターを起動する。
「桐谷戻れ。そんなことやっても無意味だ」

かもしれないでしょうが」叫び返した。「あとほんの少し押してやれば動く。ぼくはそう信じる」
「先輩、あたしも手伝います」小柄な宇宙服が加勢してくれた。「生き延びていつか地球に降りる。そうですよね」
「こうなりゃ一か八かだ。みんな桐谷に続け」
 あっという間に輸送船は空になった。誰もまごついたりはしなかった。各自が率先してこの自殺的な試みに参加してくれたのだ。
 最後の坑夫が表面に張りついたのを見計らって、いっせいに噴射。五秒、十秒、三十秒。動け。動け。動いてくれ、頼む。
「動きました」興奮気味のパイロットから入電。「本船は〈エスペランザ〉とのランデヴー軌道に向かって転進してます!」
 われわれは賭けに勝った。人間の勇気が機械の見落とした小数点以下の誤差を埋めたのだ。
「いま俺たちは歴史の転回点にいる」おっさんの説教が始まった。「桐谷の執念が〈エスペランザ〉の存続する未来に俺たちをシフトさせたんだ」
 酷寒の真空のなか、坑夫たちは黙々と岩に張りついている。
「次の目標は地球だ。俺たちならできる。そうだなみんな!」
「先輩、もう一度聞きます」賛同の通信が入り乱れるなか、専用線から入電。「生きてるあいだに地球へいけると思う」
「いける」次は自信たっぷりに、「きっといけるさ」
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